みらいを紡ぐボランティア

ジャーナリスト・浜田哲二と学生によるボランティア活動

青森県深浦町の小さな集落     
03月

是非ご覧あれ、仲間が作るブログです

8BAC92J82CC8Dg97t

新聞社時代の上司である清水祐一さんが、とても興味深いホームページを立ち上げられています(下記のURLを検索してみてください)。

http://uozu-yama-kawa-umi.net/

私と同時期、第二の人生を探求するために退職され、魚介類が豊富な海と黒部峡谷で有名な富山県魚津市で、山、川、海と深く関わる生活をされています。

20130107_054506_83u838A1483L838D_R

故郷でもある魚津で、ご高齢の父上との田舎暮らし。地元で手に入る自然食材を使った男の手料理とそのレシピが圧巻です。

8F5C8E9A8BAC

そして、立山連峰や黒部峡谷の山歩き情報なども豊富で、中身が濃くて秀逸なブログです。

皆さま、是非一度ご覧下さい。

 

 

何かおかしいなぁ‥

ストーブhp

約2ヶ月間の旅を終えて、ようやく青森へ帰ってきました。一応、家も燃えてなく、侵入者の形跡もありません=写真上、2ヶ月ぶりに火を入れた薪ストーブ。暖かい‥、深浦町で

薪②hp

と、外に積んであるストーブ用の薪が、心なしか減っているような‥。いったい誰が???=写真上、屋根近くま積んであった硬木の薪がこの高さになっている。うーん‥

ひまわりhp

そして、納戸の中に置いてあったヒマワリの種が、中身がなくなって殻だけに=写真上、中身が食べられて散らかされたヒマワリの種。こっちの犯人は割れており、今度、ロボットカメラで犯行現場を押さえる予定

これはネズミくんの仕業のようです。

うーん、缶かんに仕舞っておくんだった‥。

でも、これで冬を越せたのかな。

んならば良かったんだけど。

薪①hp

薪の方も冬を越せない人がいたのかな=写真上、杉の薪もこの通り。勘違いかなぁ‥

来年からは、なんかトラップを仕掛けて出かけることにします。

久しぶりに「関スー」でお買い物

ロイポ②

東北には売っていない物を仕入れに神戸の「関スー」こと関西スーパーに寄りました。日持ちがしないものは難しいのですが、クーラーBOXに入れて持ち帰られる商品だけを買いました=写真上、青森では滅多に見かけないポールウィンナー。我が家では「肉々ソーセージ」と呼んで哲二が大好き

エンドマメ

春先に、関西以西に出回る「若ゴボウ(別名:葉ゴボウ)」ですが、青森には5日後に帰れるのでギリギリセーフかな。新聞紙にくるんで車に積んであります。そして、豆ご飯にするエンドウ豆=写真上、青森ではどこにも売っていなかったエンドウ豆。去年は自宅庭で栽培してみた。東北でも、絹サヤやスナップ・エンドウならあるのですが、豆ご飯にできるエンドウ豆はまったく売っていません。どの店に聞いてみても、「知らないし、食べない」と冷たく言い放たれます。ゆえに毎度のことながら、西日本の春の味覚を買って帰ります。

時間があればイカリの業務用トンカツソースとウスターソースも買うのですが、今回はそんな余裕はなさそうです。これらは関西方面へ来た時の重要なミッションの一つです(律)。

白神山地の「マタギ」伊勢親方の記事を書き込みました

白神岳の紅葉②hp

私らのライフワークである白神山地の生活文化を紹介する記事です=写真上、紅葉に彩られる白神山地、深浦町で。

ウサギ狩り①hp

このマタギの親方の話は、白神山地が世界遺産に指定された当時、新聞記者として取材していたネタです。紙面化を前に、記事の内容で上司との意見の相違があってお蔵入りになっていたのですが、その後、私費で約20年間通いつめて追い続けてきた物語です=写真上、白く雪が被った白神山地(後方)の麓を歩く伊勢親方、深浦町で

熊犬③hp

転勤が多かったため、一部のフィルムが引越しの荷物と共に行方不明になってしまい、途中の写真が大きく抜け落ちてしまいました。でも、残っているネガと最近撮りだめているカットで、何とかお見せできると考えています=写真上、約20年前に親方らが仕留めたツキノワグマ。飼い犬のアイヌ犬「ロッキー」が踵にかぶりついている、深浦町で

ナメコ・アップhp

世界遺産になることで立ち入れない場所が作られ、森に生きる人たちは活動の場を狭められて、生活が激変しました。時代の流れに沿うように、観光ガイドなどで新たな生き方を模索する人もいましたが、器用に転身できなかった伊勢親方のような方は、辛酸を舐め尽くしました。そうした20年間の軌跡や親方の心の動き、葛藤などを森で生きる姿と共に紹介してゆきます=写真上、ブナやイタヤカエデの朽木に寄生したナメコ。豊かな森の恵みは親方らの貴重な食料

⑮桂の若葉hp

春夏秋冬を通した、少し長いシリーズになりそうです。よろしくご支援ください=写真上、ハートを形どるカツラの若葉

法事で実家に戻っていました

流星群③

父親の法事で実家がある高知県へ帰省していました。10年前に父を亡くし、8年前に母も亡くしました。妻の父親も14年前に逝去し、私たちには妻の母一人しか残されていません。親を亡くすというのは思った以上に応えるもので、年月が過ぎれば過ぎるほど、心の拠り所を失ったような喪失感に苛まれています=写真上、満点の星空に流れる流星、深浦町で

時計4

たった一人となった母を大切にしたいのですが、私らが終の住まいを青森に移したので、今は離れ離れです。毎年、遺骨収集のため沖縄へ向かう前後に、妻の実家である岡山と私の実家である高知へ寄りますが、年々弱くなってゆく母を大切にしたい想いがこみ上げてきます=写真上、おしゃれな装飾が施された懐中時計の遺留品。親の存在のありがたさは、亡くして初めて感じるものです。不義理の子供たちが公言できる内容でもないのですが‥。

認識日本1

実家での法事が終わった後は、戦没者のご遺族の元へ遺留品の返還に参ります=写真上、旧日本軍兵士が身につけていた認識票。この一部を戦没者のご遺族へお届けする、那覇市の国吉勇資料館で。今回は喜んで受け取って戴けると思います。が、 時間の経過と共に記憶が薄れるせいか、受け取りを断られるご遺族もいっらしゃいます。あの戦争から68年。今は平和で太平な日々が続いています。でも、国や家族のために、と戦場に赴いた方々の犠牲の上に成り立っているのが、現代の日本です。行き過ぎた国粋主義によって起こされた戦争であっても、犠牲になった方々の命は、何ものにも代え難い存在でした。皆、私たち日本人にとって、良き父親であり、兄弟であり、自慢の息子たちでした。でも、その屍は、今もユーラシア大陸や太平洋の島々、海底に眠ったままです。

遺骨4

私たち夫婦にとって、今の暮らしや生き方がこれでいいのか、と自問する日々です。が、自らなせることは、親を大切にし、家族を守り、精一杯働いて生きる事だと、決めています。勤めを辞めて、1年の半分近くをボランティア活動に捧げていますが、最も力を入れていると言っても過言ではない戦没者の遺骨収集は、今、自分が生かされていることを根源的に考えさせてくれる取り組みです。参加するたびに突きつけられる事実の重みとあの戦争の凄惨さに、うなだれかける背筋が伸ばされる気持ちです。それゆえに、犠牲になった方々のために尽くすのが私たちの仕事だと自負しています。何かに取り憑かれている、と揶揄されることもありますが、ありがたい限りです。それこそが熱心に働いている証ですから=写真上、戦没者の遺骨を納骨のために袋へ収容するボランティアたち、沖縄県八重瀬町で

ボタンhp

明日から、返還に向けての活動を再開いたします。皆さま、ご支援を願います。そして昨日、東日本大震災から2年目を迎えました。大切なご家族を亡くされた方々と今も故郷へ戻れない方々に心からお悔やみを申し上げます=写真上、戦没者の衣服のボタン。遺骨と一緒に出土することが多い