みらいを紡ぐボランティア

ジャーナリスト・浜田哲二と学生によるボランティア活動

青森県深浦町の小さな集落     
法事で実家に戻っていました

法事で実家に戻っていました

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流星群③

父親の法事で実家がある高知県へ帰省していました。10年前に父を亡くし、8年前に母も亡くしました。妻の父親も14年前に逝去し、私たちには妻の母一人しか残されていません。親を亡くすというのは思った以上に応えるもので、年月が過ぎれば過ぎるほど、心の拠り所を失ったような喪失感に苛まれています=写真上、満点の星空に流れる流星、深浦町で

時計4

たった一人となった母を大切にしたいのですが、私らが終の住まいを青森に移したので、今は離れ離れです。毎年、遺骨収集のため沖縄へ向かう前後に、妻の実家である岡山と私の実家である高知へ寄りますが、年々弱くなってゆく母を大切にしたい想いがこみ上げてきます=写真上、おしゃれな装飾が施された懐中時計の遺留品。親の存在のありがたさは、亡くして初めて感じるものです。不義理の子供たちが公言できる内容でもないのですが‥。

認識日本1

実家での法事が終わった後は、戦没者のご遺族の元へ遺留品の返還に参ります=写真上、旧日本軍兵士が身につけていた認識票。この一部を戦没者のご遺族へお届けする、那覇市の国吉勇資料館で。今回は喜んで受け取って戴けると思います。が、 時間の経過と共に記憶が薄れるせいか、受け取りを断られるご遺族もいっらしゃいます。あの戦争から68年。今は平和で太平な日々が続いています。でも、国や家族のために、と戦場に赴いた方々の犠牲の上に成り立っているのが、現代の日本です。行き過ぎた国粋主義によって起こされた戦争であっても、犠牲になった方々の命は、何ものにも代え難い存在でした。皆、私たち日本人にとって、良き父親であり、兄弟であり、自慢の息子たちでした。でも、その屍は、今もユーラシア大陸や太平洋の島々、海底に眠ったままです。

遺骨4

私たち夫婦にとって、今の暮らしや生き方がこれでいいのか、と自問する日々です。が、自らなせることは、親を大切にし、家族を守り、精一杯働いて生きる事だと、決めています。勤めを辞めて、1年の半分近くをボランティア活動に捧げていますが、最も力を入れていると言っても過言ではない戦没者の遺骨収集は、今、自分が生かされていることを根源的に考えさせてくれる取り組みです。参加するたびに突きつけられる事実の重みとあの戦争の凄惨さに、うなだれかける背筋が伸ばされる気持ちです。それゆえに、犠牲になった方々のために尽くすのが私たちの仕事だと自負しています。何かに取り憑かれている、と揶揄されることもありますが、ありがたい限りです。それこそが熱心に働いている証ですから=写真上、戦没者の遺骨を納骨のために袋へ収容するボランティアたち、沖縄県八重瀬町で

ボタンhp

明日から、返還に向けての活動を再開いたします。皆さま、ご支援を願います。そして昨日、東日本大震災から2年目を迎えました。大切なご家族を亡くされた方々と今も故郷へ戻れない方々に心からお悔やみを申し上げます=写真上、戦没者の衣服のボタン。遺骨と一緒に出土することが多い

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