みらいを紡ぐボランティア

ジャーナリスト・浜田哲二と学生によるボランティア活動

青森県深浦町の小さな集落     
青い森の白い神の里から

デブ夫婦のウォーキング日記⑬「私の伴侶はクラッシャー」

軒先に垂れ下がった氷柱

 12月25日の記事です。今日も律子です。

 今冬、最大級の寒波が到来。ご多分に漏れず、西津軽も昨夜から大雪です。そんな朝、ウォーキングへ出掛ける前にふと見ると、先月末から頼んでおいた用事をしてくれてません。

 まず、窓や玄関の網戸がはめ込まれたまま。これでは、虫除けというよりも雪除けになっています。「もうっ、凍り付くとパッキンがダメになるのよ。早く外して、綺麗にして仕舞ってね!」

 大慌ての哲二、雪を掃って、倉庫へ走ります。「ダメよ、乾かしてからでないと、アルミでも錆で劣化するからね」。本業にはとても厳しい男なのに、家事となった途端にいい加減な手抜きをします。

 どんどん成長する氷柱。大きくなると危険だ

 そして、ウォークから帰ってくると、なんとガレージの雨どいが付いたまま。例年は冬になる前、きちんと洗って倉庫に仕舞うはずなのに、これも忘れている。

 すぐ横の軒先には、大きな氷柱がぶら下がっています。といの中の水が凍結すると、プラスチック製なので簡単に割れてしまうのです。なんで今まで気づかないのでしょう、うーん、哲二、惚けて来たか‥

 7段の大脚立を持ち出して雪の中、不器用な手で外そうとしています。が、今度はバキッと嫌な音、同時に何かが外れて落ちてきました。叱られて焦ったのか、寒いので手が悴んだのか、留め具をへし折ったようです。

 「はぁ~」なんて、ため息を吐いていますが、それはこっちのセリフ。このっ!、クラッシャー男め。天気の良い日に働かず、追い立てるように毎日、私を歩かせるからよ。今夜は罰としてビール抜きね!。クリスマスは麦茶でサイレントナイト、だな。

デブ夫婦のウォーキング日記⑫「吹雪の朝、無謀or阿呆の彷徨」

 12月18日の記事です。

 猛吹雪の朝、起きたら哲二が薪の入れ替えをしていた。どうも、乾燥していないものが混ざっていたらしい。どうりで最近、ストーブの燃えが悪いし、室温も上がらないわけだ。雪まみれになりながらも、せっせと運び込んでいる。

 早くから、ご苦労さま。

 うーん、今日はすごく寒いね。だから、絶対に表へ出ないわよーっと、伸びていたら、ウォーキングの杖の準備をしている。

   屋根の上に積もった雪が雪庇となってせりだしている

 えーっ、行くの!。

 まさか、嘘でしょう!!、と声を張り上げたけど、無表情でリックサックに飲み物なんかを詰めている。

 痩せるために、そこまでするのか‥。

 でも、私は今日は行かないよ。だって吹雪だし、とっても危ないんだもの。きっと道もツンツルテンに凍ってるし、転んで打ち所が悪いと死ぬこともあるんだからね。

 後退りして、背を向けても、杖と長靴を準備して、玄関先で待ってるじゃん。ん、もーう、仕方ないわね。ちょっとだけよ。危なかったら、すぐ引き返すからね。

 昨夜から降り続いた雪で、集落は真っ白。車が走った轍がカチカチに凍っているので、道を歩くのもひと苦労だ。柔らかい雪の上を歩くと滑らないが、砂浜を歩くのと同じぐらい前へ進まない。いつもの半分も行かないうちに息が上がってきた。

 深浦の今朝の気温は氷点下4度、10メートル前後の北西の季節風が吹き荒れている。むちゃくちゃ寒い‥。わずかに露出している顔の部分の感覚がなくなってきた。

      雪がメガネに付着して、前が見なくなる

 「ねぇーっ、もう帰ろうよ」と先行する哲二に声掛けするが、届いていないのか、ずんずん進むのみ。行くしかないのか‥

 昔、映画で見た「八甲田山死の彷徨」が頭に浮かんできた。いくら戦没者へのご奉仕を続けているからといって、こんなことまで模倣しなくてもいいのになぁ。

 海は、凄まじく、大荒れ。波は立ち、そのしぶきが風に乗って走っているかのようだ。港や磯で、波の花がふるふる揺れているのが、未知の生き物のようで不気味。

 グイグイ歩く哲二と距離が出来ると、横殴りの雪に霞んで見えなくなる。

 「怖いよー!」

 なのに結局、いつものコースを歩き切り、帰宅。歩数は今日だけで1万歩を超えた、と哲二は満足げだ。あまりに寒かったので、家に帰って体温を測ってみると、35度7分。これって、低体温症になりかけているんじゃない。

 もう嫌、お風呂に入る。温かいお湯がこんなにありがたく感じたのは久しぶり。過酷な行軍だったけど、この瞬間はやすらぐわねぇ。ありがたや、ありがたや‥

 体温を測ってみたら‥

 と、脱衣場に出てみると、日課のごとく体重計に乗る哲二の姿が。今日は雪の中をいっぱい歩いたから、期待できるね、と声掛けしたら、「1キロ増えている‥」と暗い声。

 へーん、こんな日に無理したから、きっと罰が当たったのよ。

 雪の中、過酷な訓練で亡くなった青森の連隊将兵の冥福を、きちんとお祈りしようね。

桃ちゃんは、田舎暮らし!①「故郷の味は祖母の『けんちん(けの汁)』」

桃ちゃん(自画像)

 新年明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。本年も宜しくお願い申し上げます。

 改めまして、こんにちは!、桃子です。戦没者の遺骨収集などを取組みの柱とする「みらいを紡ぐボランティア(以下みらボラに略)」に参加して、ほぼ3年。戦争関連だけでなく、自然の事や地域の伝統的な暮らしなどについての発信もしたくなり、ブログを始めます。

危険な流倒木をチップにして観光地の遊歩道を守る取組みに臨む桃ちゃん。この活動で、第18回日本水大賞の「未来開拓賞」を受賞した

 タイトルは、世界自然遺産・白神山地の麓の集落で生まれ育った私をイメージして、仲間たちが考えてくれました。面映ゆいのですが、楽しみながら、面白がりながら、田舎の情報を伝えて行きたいです。お付き合いください。

    桃子の家の「けんちん(けの汁)」

 第一弾は郷土料理の話。年末年始に必ず私の家の食卓に並ぶ、「けんちん」のレシピを祖母から教わったので、ご紹介いたします。

 これは、さいの目切りにした山菜と根菜、砕いた豆腐などをじっくり煮込み、醤油や味噌で味付けした汁物です。主に年末からお正月にかけて作られ、具材や味付けも各家庭で異なる「ふるさとの味(郷土料理)」です。

ワラビ、アイコ、フキ、ナラタケ、シイタケ、大根、人参、牛蒡、こんにゃく、豆腐、油揚げをストーブの上で煮込む。祖母いわく、「何を入れてもいいんだ」そう

 私にとっては毎年、この時期になると食べたくなる、おばあちゃんの味。我が家では「けんちん」と呼んでいますが、津軽地方の郷土料理としては、どうやら「けの汁」という名前の方が有名だと、ネットには出ています。

   味付けをしたら最後にカリカリに焼いた昆布を砕き入れる

 恥ずかしながら、この歳になるまで知りませんでした。はたして深浦町やそれ以外の地域では、どう呼ぶのか?。これもネットで調べてみました。

 すると、「けんちん汁」は日本全国に存在するらしく、語源は鎌倉時代に創建された「建長寺(けんちょうじ)」で作っていた精進料理から来ているとされています。「けんちょうじ→けんちん」に変化して広まったという記事。うーむ、勉強になる。

    ボランティア活動でテレビ局の取材を受ける

 なぜ今になって祖母から料理を習おうと思ったのか。それは、ボランティアの活動でお会いする方々を通して、大切な人と過ごせる時間は「有限である」と感じることが多くなったからです。身近すぎて忘れがちになっていましたが、自分のふるさとの伝統や文化を改めて学び、継承していくのも「みらいを紡ぐ」事に繋がるのでは、と気付いたのです。

塩漬けにした山菜を水にさらして塩抜きする

 具材のアイコやフキなどの山菜は毎年、祖母が山を歩いて採取し、春のうちに塩漬けて保存したものばかり。野菜の多くも畑で育てていました。おもに狩猟と採集で暮らしてきた地域の人たちが、昔ながらの知恵や工夫を詰め込んだ料理なのです。

 これからは、祖母から学ぶ料理などを通して、山菜やキノコ採り、マタギの狩猟のことなども紹介していければと考えています。よんでくださいね!

デブ夫婦のウォーキング日記⑪「ハタハタ来たる、ブリコの不思議」

ハタハタの卵「ブリコ」

 12月15日の記事です。

 西津軽や秋田沿海の方々が待ち望んでいる時期がやってきました。そうです、ハタハタの季節。繁殖のために沿岸近くに集まり、海底や岩場にある海藻へ大量に卵を産み付けるのです。

 ウキペディアなどによると、分類学上ではスズキ目ワニギス亜目ハタハタ科に属していおり、カサゴ目のカジカの仲間に近いそうです。秋田の県魚で、漢字では「鰰、鱩、雷魚、燭魚」とも表記されています。

夕暮れの中、ハタハタを狙って集まって来たゴメら

 この時期になると、集落内の方々は落ち着きがなくなり、そわそわ、うきうきし始めます。道行く人々が会えば、小声で囁き合ったり、頷きあったり。「そろそろか?」「んにゃ、まだだべ」。そして、強風が吹いて海が荒れ、嵐のような吹雪の中、海の男たちは出漁し、舟に乗れない女性や高齢者も、港の防潮堤などですくい網を振るいます。

海岸に打ち上げられたブリコを狙うゴメ

 そんなハタハタが寄って来るのを真っ先に嗅ぎ付けるのがゴメ(カモメやウミネコ類)。魚が群れていそうな海の上で、虎視眈々と乱舞しています。そして獲物を見つけるや急降下してキャッチ、晩御飯にありつくようです。そんな喧騒が繰り広げられた後、海岸を歩きに行くと、ハタハタの卵「ブリコ」が産み付けられたホンダワラが打ち上げられていました。

 ハタハタの卵「ブリコ」。触感はやや硬くて、表面はつやつやしている。日本海の夕日を浴びて、キラキラと輝いた

 強い波に根本が引きちぎられたようです。こうなると、せっかくの卵も孵ることができません。ゴメの餌食になるか、イタチやテンのおやつになるか、です。実はこのブリコ、地元では希少品の珍味として有名です。一度、食べさせて戴きましたが、「ちょっと‥、濃厚すぎるなぁ」といった味。両親も白身で美味とされているのですが、西日本で生まれ育った私らには、あまり口に合わないようです。

 ところがこのブリコ。海岸に落ちているのを拾って帰ると、なんと密漁になってしまうのです。引っ越してきたばかりの知り合いが、何も知らずに持って帰って、こっぴどく叱られたそうです。ゆえに私らも、とるのは写真だけ。上空を旋回するゴメに睨みつけられながら、ホンダワラに付着した卵塊を撮影。そっと海へ戻してあげました。無事に生まれて、また、帰って来いよ、この浜へ。

デブ夫婦のウォーキング日記⑩「人生楽ありゃ、苦もあるさ♪」

 集落内の道を薄っすらと雪が覆う。最初の一歩は気持ちいいが、滑るのが難点

 12月13日の記事です。

 急速な低気圧の発達で大荒れの朝。今日のウォーキングは無理じゃない、と布団に潜り込んでいたら、ガバッと起きた哲二がいそいそと身支度。ストーブの火を落として、股引を履いています。えー、行くのかい‥。しぶしぶ起き出し、のろのろと身支度を始めます。

 黎明の中、外を見渡すと、あたりは薄っすら雪化粧。手入れの行き届かぬ庭も心なしか美しい冬の風情に。滑らないように気をつけながら、まだ誰も歩いていない道へ防寒長靴を踏み出します。

   移住した翌年の冬も大雪が降った=2011年1月

 「ビュオゥー、オゥー、ビュゥーゥー」。フードを被った顔へ、叩きつけるように雪交じりの風が。わずか数十歩で、体感温度は一気に低下、身震いしながら哲二が呟きます。「今日から真冬だよ‥」。これが北東北の季節の変わり目です。

 海は想像以上の大荒れ。打ち付ける波のしぶきが風に煽られ、湯煙ならぬ潮煙となって集落内を漂っています。身体にあたると痛いほどの堅い雪が、強風で渦を巻き、前後左右から襲い掛かってきました。油断すると、杖で支える力士体型の身体ごと吹っ飛ばされそうです。

 いつも座って休む流木に波が打ち寄せた。危なかった‥

 逆風の中、ふうふう言いながら砂浜を突っ切り、いつも座って休む流木へ。と、哲二が「危ない」と制止。なんと、大波が流木を超えて行くではありませんか。ほぇー、今日は休憩なしだ。

   いつも一服する流木。べつの巨木が流れ着いていた

 さらに、海岸を往復しようとしたら、先行する哲二の足元まで波が届きます。「うへぇー、こりゃダメだ。今日はロマンの里を抜けて行こう」と、いつものコースを変更して迂回路へ。

 が、ここも高架橋の路面がカチカチに凍って、危険極まりないサバイバルに。愛用の帽子が風に飛ばされて、あっという間に荒れ狂う海の藻屑となるし、もう帰りたいよー。

    雪に覆われたロマンの里

 でも、これも痩せるため、いや、修行なのだと自らに言い聞かせて、一歩一歩、刻むように帰途につきます。杖をしっかりと路面に突き立てながら、水戸黄門の主題歌、「人生楽ありゃ苦もあるさ♪」と歌いながら。ただ、後ろから、「泣くのが嫌なら、さぁ歩け!♪」と、突いてくる哲二がウザいけど‥

デブ夫婦のウォーキング日記⑨「最近、薪割りがしんどくて‥」

斧を振り下ろすのも、齢とともに辛くなってきた

 12月10日の記事です。

 まもなく西津軽は長く、寒い冬を迎えます。深浦町の積雪はそれほど多くないのですが、季節風が強いために体感は「凍れる」という表現がぴたり。雪が積もった静かな朝は、逆に温かく感じることもあるぐらいです。

イベント用の派手なウインドブレーカーを着て働く。1着500円だったので、汚れても、破れても気にならない

 そんな真冬に働いてくれる、我が家の暖房器具が薪ストーブ。かれこれ15年間使っていますが、今冬も暖かな炎を揺らしてくれます。

チェーンソーは何度使っても恐ろしい‥

 そのストーブに欠かせないのが薪。「人を三度、暖めてくれる」とされ、①切り出して割る作業②燃やして暖を取る③温かい料理で身も心も‥。薪の温もりを体感すると、もう石油ストーブやエアコンには戻れません。

今回の丸太の量は例年より少なめだった

 ただ、齢を重ねると共に、薪の準備がたいへんになってきました。今年は、大型トラックで運びこんで戴けなかったので、我が家の軽トラックで、往復80分の道のりを6往復させられたのです。積み込みも降ろす作業もすべて自前で。

作業中に愛用のチェーンソーが破損。代替え機は北欧製

 哲二も来年、還暦を迎えます。そんな初老の夫婦には、まさに荷が重い仕事。太いナラやケヤキの木は半端ない重量で、ヒーヒー言いながら、運び込みます。

玉切った「どんころ」

 そして、ここ数日、哲二がチェーンソーで玉切りして斧で割る作業、私が薪棚に詰め込む作業をやりました。夜明けと共に開始、お昼ご飯も食べずにがんばって、日暮れの直前にようやく完了。

 こうした節がある曲がった木は簡単には割れません

 ウォーキングの時に装着する万歩計をみると、薪割り作業だけで約14000歩。夫婦ともに腕や腰、下半身にもみが入って、ロボットのような姿で歩く羽目に。それでも、これで冬の備えが出来ました。今回購入したのは二棚分。一冬ゆっくり燃やせる量です。

赤あかと燃える薪ストーブ

 もし、都会の暮らしに疲れて、癒しが欲しくなったら、冬の浜田家へいらしてください。身も心も温めてあげますよ。哲二が、割るのを手伝ってくれたら、さらに温もるよ、と不敵に笑っていますが‥

デブ夫婦のウォーキング日記⑧「もしかして、がん?」

今から28年前の1994年、取材で訪ねたアフリカのルワンダ難民キャプで子供たちに囲まれる

 12月9日の記事です。 

 この夏頃から、食べ物を飲み込んだときに胸が痞えるような症状に悩まされていました。ググって該当するのは、食道がん?、もしくは咽頭がん?‥。恐ろしくなって先月の初め、隣町の総合病院へ駆け込みました。

沖縄の巨匠・大城カメラマンと遺骨収集の現場で

 友達の皆さまはご存じだと思いますが、私は大酒飲みの暴食家で、これまでの人生はやりたい放題でした。タバコも1996年のアフガニスタン内戦取材の時まで、ピースを1日40本ぐらい吸う悪煙家。新聞記者時代の不摂生は言うが及ばず、今も律子が止めるのを聞かないで、好き放題の日々を送っています。それゆえ、ついに来たのかと、怯えての末でした。

青森へ移住して3年、チェーンソーの刃を目立て

 問診して下さった消化器内科の若きドクターは、「あー、だいぶ無茶されてきたようですね。え、がん?、その可能性もあるでしょう。よし、胃カメラやりますか」とにべもない診断。これまで、自ら構えることが仕事だったカメラを、人生で初めて飲み込みました。

沖縄県糸満市の遺骨収集の現場で。去年撮影

 何とも言えない違和感と鼻でしか息ができない苦しさ。親指ぐらいのスコープが喉を過ぎて行くのを感じながら、「もしがんだったら、律子は独りで生きて行けるのかな?。んで、どう謝ろうか‥、おっと今、案件が進行中の戦没者のご遺族へなんと説明しようか‥」と、苦悶の中でも先々の心配が頭を過ります。  

新聞社の現役カメラマンだった頃のプレスカード

 約10分ぐらいで終了。写真を見たドクターが、「うーん、食道や胃の一部に糜爛はあるけど、がんは見当たりませんね。しばらく様子を見て、症状が改善されなければ、また来てください。え、胸に痞える症状?。それは逆流性食道炎でもおこるのです。浜田さん、はっきり言いますけど、太り過ぎですよね。痞えるのは、内臓脂肪を含めた腹圧が原因かも‥。まず、痩せて下さい。でないと長生きできませんよ」との宣告。恥ずかしくて、駆け出すように診察室を飛び出しました。

 カンボジアで1992年に撮影したプレスカード用の写真。うーん、若い!

 それからです。私の暴飲暴食と夜更かしに巻き込んだ律子とウォーキングを始めたのは。美しい海岸を悲壮感を漂わせて歩む姿は、映画「砂の器」を思いだします。が、実際はそんなドラマ性の無い不摂生なデブ夫婦の散歩。ただ、本人たちはいたってまじめに取り組んでいます。悪天でどうしても歩けないときは、トランポリンを模したクッションで飛び跳ねるのです。死にたくありませんから。

血液検査の結果。左が前回、右が今回。数値が改善された

 医師より、恥ずべき宣告を受けてから、ほぼ1カ月。年に数回受ける定期健診が本日ありました。貼り付けたのは3カ月前と今回の検査データ。その結果、中性脂肪を示すTG(トリグリセリド)や肝機能のデータが改善されていました。普段、私を定期的に診て下さる腎臓血液内科の先生が、「おー、中性脂肪が劇的に改善されています。え、歩いた?。それは頑張りましたね。うん、今後も続けて下さい」とお褒めの言葉。

青森へ移住間もない頃、庭でガーデニング・ティーを楽しむ

 テストで初めて百点満点を取って凱旋する子供のような表情で、律子へ自慢げに見せつけます。が、冷めた目で、「ふーん。で、今、何キロ痩せたの?。検査の数値はいいけど、標準体重迄あとどれくらいあると思っているのよ。ゴールはまだまだ遠いのよっ!」と突き放されました。

浜田夫婦の友人夫妻とマタギの親方。収穫したマイタケを手に

 なんだよ、自分だって太っているくせに。今日は良い気分でおもいっきりビールを飲んでやろうと思ったのに。え!、それも冷えてないって‥。もう今夜は布団に潜り込んで、枕を濡らすだけです。

デブ夫婦のウォーキング日記⑦「訪問者の足跡(シグナル)」

    海岸の折り返し点にある流木で一服

 12月7日の記事です。律子が執筆しました。

 とても穏やかな朝、夜明けと共にスタート。海が荒れたときは打ち寄せる波で、前日に付けた足跡がきれいに消え去ります。そんな真っ新な砂浜に、最初の一歩を踏み出す時、身も心もリフレッシュされる気分です。

    浜辺を歩いたテンの足跡

 しかし、穏やかになると、昨夜から今朝にかけて誰が海岸を歩いたのか判る楽しみが。最初に見つけたのはホンドテンくんの足跡。着地の時に足が揃うのが特徴です。

 

    キツネの足跡

 そして、ひと足ずつ規則正しく直線に繋がるのがホンドギツネさん。テンくんの足跡と交錯している部分がありましたが、お互い乱れていないので、通りかかった時間が違うのでしょう。

    キツネとイタチ?の足跡が交錯

 生き物のシグナルをトレースできるのは、人が歩き回る前の早朝のみ体験できる小さなドラマです。野生動物の息吹きが聴こえて来るかのような。

    テンの足跡

 そして哲二は、過去に取材で追いかけたニホンカワウソさまの痕跡がないか、と血眼になっています。が、可愛い浜辺の訪問者が残したメッセージを大きな足で踏み荒らすだけ。そんなガサツな輩は、美しい浜を歩く資格はなしよ!

デブ夫婦のウォーキング日記⑥「漂着ゴミと隣国との関係」

 健康診断の結果、「とんでもなく太り過ぎだ!」と医者から叱られた夫婦。ずっと座りっぱなしだと早死にしそうなので、1日7000歩~8000歩を目標にウォーキングを始めました.

    敷地内には、サルのふんや熊の足跡が残っていることも

 近所の海岸や裏の里山を目指して、散歩を兼ねてぶらつきます。大雨は降らないかな、落雷の心配は‥、と天気を睨みながら、早朝や夕刻、熊がウロウロしない時間もはかって歩くのです。

    廃墟となっているロマンの里

    ロマンの里に掲示されている看板

 ここ数日の嵐のような荒天がようやく落ち着き、本日の午後は海岸の周辺をゆっくりと周ってみました。と、あちこちに物騒な看板が立っています。どこから誰が密入国してくるのか。北朝鮮からの船が流れ着いたり、怪しい人が納戸に隠れていたり、そうした話題に事欠かないのが深浦町。先日は、米軍の戦闘機が燃料タンクを落として行きました。

    プロパンガスのボンベも‥

  アメリカも含めた隣国の言葉で「ようこそ青森へ」の看板

 秋田との県境には、「ロマンの里」という閉鎖中のオートキャンプ場があります。すでに、廃墟の佇まいですが、ここはあの有名な「ふるさと創生事業」で造られた施設。その入り口の看板には、ロシアや中国、韓国などの言葉で、「ようこそ青森へ」と書かれています。でも、コロナ禍と過疎が進んだ村には、そうした隣国の観光客はほとんど訪れていません。

    ハングル表示の洗剤?の容器

 代わって、大挙して押し寄せてくるのは、かの国々から流れ着いたゴミ。海が荒れた翌日には、嫌というほどハングルやキリル文字などが描かれたペットボトルなどが漂着しています。遠方から見たら、五輪のシンボルのようなものが。近づいたら、強化プラスチック製の巨大なパイプでした。プロパンガスのボンベなども転がっています。使用済みの注射器が散乱していたこともあり、一見、風光明媚な海岸も危険と隣り合わせの寄せ場なのかもしれません。

  清涼飲料水?。牛のマークの回りにキリル文字の説明が

 最近、そうした隣国との関係がよくありません。国境や海の権益争い、そしてナショナリズムの煽り合い‥。いやーな過去を思い起こすようなヘイトな罵りあいも散見されます。日々歩きながら、この美しい日本海がキナ臭い紛争地になってほしくないなぁ、と夫婦で呟きあいます。どうすればお互いを理解し、リスペクトし合えるのか。数年前に海岸を一緒に清掃した若者たちと、また語り合いたくなりました。

遠くから見ると五輪のモニュメントに見えた巨大なパイプ

デブ夫婦のウォーキング日記⑤「やめてよ、クマくん」

熊に食べられたのか、栗の木の周辺には中身のないイガが散らばっていた

 本日も律子が執筆です。

 昨日も今日も荒天で、10㍍前後の風が吹いた西津軽。一瞬、雨が上がった間隙を縫ってスタートしました。波にのまれる恐れがある海は止めて、自分たちの畑がある山方面へ。畑と言っても、7~8年前に一度、草刈りをしただけの荒れ地。すでに原野となりつつあります。

    畑へ続く道。日本海が一望できる

    すでに原野と化した畑。奥の松林迄が我が家の土地らしい

 譲って戴いた時から、どこまでが我が家の境界か解らないままで、地主さんからは「彼方に見える松林迄よ」と伝えられました。たぶん、八千㎡以上あるはずで、無駄な固定資産税を毎年、健気に納めています。購入当時は、「原野商法に騙された」とバカにされましたが、もう細かいことは考えないようにしています。

    熊に折られた栗の木の枝

 その土地を無駄に放置するのも情けないので、今から6~7年前、一念発起して栗の木を10本近く植えました。この場所は白神山地の麓。前方には日本海が広がっており、風光は抜群に明媚です。さらに、元々が畑なので、肥沃な土地と素晴らしい環境が相俟って、すくすくと育つはずでした。

    熊に折られた栗の木の枝。「丹波栗」の木なのに‥

 が、桃栗の3年を遥かに過ぎても、ヒョロヒョロの木が4本残っているだけ。追肥などの手入れをしたのに、なぜ?、と首を傾げていたら、その一因が判りました。なんと、熊が栗を食べに来ていたのです。落ちた実を食べるだけならいいのですが、こずえの実を枝を折って獲るので、せっかく育った木がバキバキです。

    熊が付けた傷痕。最近のもの

 「うーん。これじゃ大きく育たんなぁ」と腕組みする哲二。「どうする、罠でも仕掛ける!」と冗談半分に嗾けてみると、「いやいや罠は怖いよ‥」と言って意気消沈しています。 以前、猟友会の一員として熊の罠を仕掛けていて、何度か怖い目に遭ったようです。さらに檻に入った親子が処理される姿がしのびなくて、今年から活動を休止にしたそう。

    檻に入った三頭の親子グマ

 一番の要因は、戦争関係の取り組みが忙しくなった事ですが、人を襲う危険な生き物でありながらも、処分される前に見せる親子の情愛の姿に心が折れたと、呟いています。

    捕獲された子グマ。切なげに母を呼んでいた

 深浦町に隣接した秋田県八峰町の山。紅葉したかのように進むナラ枯れ

 我が家の周辺の森は近年、ナラの巨木や老木が次々と枯れる「ナラ枯れ」が蔓延し、熊の大切な食べ物であるドングリが減っています。それもあるのか、里で目撃情報が多発し、数年前は近所の先輩が自宅前で襲われて大ケガを負われました。

    ナラの木の根元に散らばった虫害によるフラス

母と兄弟が駆除された後も、逃げ延びていた子熊。だが翌春、近くの河原で餓死していた

 熊も生きてゆくのが大変なのかもしれません。だったら、枝を折られるぐらい仕方ないじゃない。我が家の栗はまだ、一度も収穫できていないけど、熊くんたちにあげようよ。心が折れるような思いをしないで済むのならば、ね。ただ本音は、栗の木がもっと大きく育ってから食べに来てほしい。でないと、大人になる前に枯れちゃいそうだもの‥