みらいを紡ぐボランティア

ジャーナリスト・浜田哲二と学生によるボランティア活動

青森県深浦町の小さな集落     
「学生」ーみらいを紡ぐボランティア
サイト管理人のブログです。

ブログ一覧

白神山地の「マタギ」伊勢親方の記事を書き込みました

白神岳の紅葉②hp

私らのライフワークである白神山地の生活文化を紹介する記事です=写真上、紅葉に彩られる白神山地、深浦町で。

ウサギ狩り①hp

このマタギの親方の話は、白神山地が世界遺産に指定された当時、新聞記者として取材していたネタです。紙面化を前に、記事の内容で上司との意見の相違があってお蔵入りになっていたのですが、その後、私費で約20年間通いつめて追い続けてきた物語です=写真上、白く雪が被った白神山地(後方)の麓を歩く伊勢親方、深浦町で

熊犬③hp

転勤が多かったため、一部のフィルムが引越しの荷物と共に行方不明になってしまい、途中の写真が大きく抜け落ちてしまいました。でも、残っているネガと最近撮りだめているカットで、何とかお見せできると考えています=写真上、約20年前に親方らが仕留めたツキノワグマ。飼い犬のアイヌ犬「ロッキー」が踵にかぶりついている、深浦町で

ナメコ・アップhp

世界遺産になることで立ち入れない場所が作られ、森に生きる人たちは活動の場を狭められて、生活が激変しました。時代の流れに沿うように、観光ガイドなどで新たな生き方を模索する人もいましたが、器用に転身できなかった伊勢親方のような方は、辛酸を舐め尽くしました。そうした20年間の軌跡や親方の心の動き、葛藤などを森で生きる姿と共に紹介してゆきます=写真上、ブナやイタヤカエデの朽木に寄生したナメコ。豊かな森の恵みは親方らの貴重な食料

⑮桂の若葉hp

春夏秋冬を通した、少し長いシリーズになりそうです。よろしくご支援ください=写真上、ハートを形どるカツラの若葉

法事で実家に戻っていました

流星群③

父親の法事で実家がある高知県へ帰省していました。10年前に父を亡くし、8年前に母も亡くしました。妻の父親も14年前に逝去し、私たちには妻の母一人しか残されていません。親を亡くすというのは思った以上に応えるもので、年月が過ぎれば過ぎるほど、心の拠り所を失ったような喪失感に苛まれています=写真上、満点の星空に流れる流星、深浦町で

時計4

たった一人となった母を大切にしたいのですが、私らが終の住まいを青森に移したので、今は離れ離れです。毎年、遺骨収集のため沖縄へ向かう前後に、妻の実家である岡山と私の実家である高知へ寄りますが、年々弱くなってゆく母を大切にしたい想いがこみ上げてきます=写真上、おしゃれな装飾が施された懐中時計の遺留品。親の存在のありがたさは、亡くして初めて感じるものです。不義理の子供たちが公言できる内容でもないのですが‥。

認識日本1

実家での法事が終わった後は、戦没者のご遺族の元へ遺留品の返還に参ります=写真上、旧日本軍兵士が身につけていた認識票。この一部を戦没者のご遺族へお届けする、那覇市の国吉勇資料館で。今回は喜んで受け取って戴けると思います。が、 時間の経過と共に記憶が薄れるせいか、受け取りを断られるご遺族もいっらしゃいます。あの戦争から68年。今は平和で太平な日々が続いています。でも、国や家族のために、と戦場に赴いた方々の犠牲の上に成り立っているのが、現代の日本です。行き過ぎた国粋主義によって起こされた戦争であっても、犠牲になった方々の命は、何ものにも代え難い存在でした。皆、私たち日本人にとって、良き父親であり、兄弟であり、自慢の息子たちでした。でも、その屍は、今もユーラシア大陸や太平洋の島々、海底に眠ったままです。

遺骨4

私たち夫婦にとって、今の暮らしや生き方がこれでいいのか、と自問する日々です。が、自らなせることは、親を大切にし、家族を守り、精一杯働いて生きる事だと、決めています。勤めを辞めて、1年の半分近くをボランティア活動に捧げていますが、最も力を入れていると言っても過言ではない戦没者の遺骨収集は、今、自分が生かされていることを根源的に考えさせてくれる取り組みです。参加するたびに突きつけられる事実の重みとあの戦争の凄惨さに、うなだれかける背筋が伸ばされる気持ちです。それゆえに、犠牲になった方々のために尽くすのが私たちの仕事だと自負しています。何かに取り憑かれている、と揶揄されることもありますが、ありがたい限りです。それこそが熱心に働いている証ですから=写真上、戦没者の遺骨を納骨のために袋へ収容するボランティアたち、沖縄県八重瀬町で

ボタンhp

明日から、返還に向けての活動を再開いたします。皆さま、ご支援を願います。そして昨日、東日本大震災から2年目を迎えました。大切なご家族を亡くされた方々と今も故郷へ戻れない方々に心からお悔やみを申し上げます=写真上、戦没者の衣服のボタン。遺骨と一緒に出土することが多い

那覇の夜を楽しんでいます

先日、友人に連れられて那覇のライブハウスへ。大切な遺骨収集仲間の友人がキーボード奏者なので、会いにいくために一緒に訪ねました。私らにとって、激しく場違い感がありましたが、若い女性歌手らがオールディーズを歌ってくれて、中年のオッサンやオバハンには心地よい空間でした。
ステージの歌い手から、踊れ、踊れとはやし立てられますが、不惑夫婦にはちょっと無理。と思っていたら、もっと高齢のドーンとした体型のオジさんたちが、歳の割には鋭いステップと切れない腰の動きで踊り始めました。たまたま仕事で訪ねてきてくれた新聞社時代の後輩も、この姿を見て声を出さずに大笑い。とても楽しい時間でした=写真下、楽しいライブステージ
アパッチ
過酷な労働の中、時折体験できる異文化ギャップを楽しんでいます。

違法駐車が罰を受けたようです

先日、我が仮の宿の駐車場を不法占拠していた車が罰を受けたようです。当日の夜、私たちが警察に相談したせいか、毎日のようにパトカーが巡回してくるようになり、昨日の朝から、周辺に路上駐車の車が1台も見当たらなくなっています。我が駐車場を占拠していた当該車両も懲りずに連日、路上駐車を続けていたようですが、昨日から姿が見えません。多分、摘発されたか、ステッカーなどを貼られて、別の場所に移動したのでしょう。ちょっと、スッキリです。お巡りさん、ありがとう。