7羽のヒナを連れたお母さん。子どもたちに指示を与えながらキビキビと泳ぐ、深浦町で
オシドリは白神山地の湖沼や渓流でよく姿を見かけるカモの仲間です。中国やロシア南東部などの東アジアだけに分布し、日本では北海道や本州中部以北で繁殖します。冬になると、主に西日本へ南下して越冬するようです。鳥取県などに有名な越冬地があり、環境省を含む各県のレッドリストで、絶滅危惧や重要な保護動物に指定されています。植物食の傾向が強いですが、雑食で昆虫、両生類なども食べるようです。日本郵便の50円の普通切手のデザインに採用され、私たちにもなじみ深い鳥です。
モリアオガエルを捕らえたメス。卵を産む前は驚く程たくさん食べているようだ
池の倒木にカワセミと同居。まったく気にしないでのんびりとくつろぐ夫婦
白神山地はオシドリの重要な繁殖地のようです。春先、山間部の湖沼や水を張った田などでよく見られるのが、歌舞伎役者のような派手な衣装で着飾ったオスが、地味なメスに寄り添って仲睦まじく泳ぐ姿。この時期は、群れを作らずに1組のペアで行動しています。古くからの民話や俳句などでも、オシドリは仲が良い証とされ、人間も「おしどり夫婦」といえば仲良し夫婦の代名詞です。
水を張った田で餌を探す夫婦。オスが先に畦道に上がって安全確認をした
しかし、本物のオシドリは年事に相手を変え、夫婦が長年連れ添うことはないようです。これはオシドリに限ったことではなく、カモ科の鳥類は、すべてが毎年パートナーを変えるとされています。ペアになっている時、見かけがあまりに美しい鳥なので、多くの勘違いが生まれたのかもしれません。オスはメスとの交尾が終わると早々に飛び去ります。人間だったら「薄情なイケメンのプレイボーイ」と言われてしまいそう。その後、地味なメスが子育てを一手に引き受けます。
ヒナを連れて泳ぐお母さん。周りの安全を確認しながら慎重に‥
初夏、山間部にある湖沼や渓流のたまりで、母鳥は子育てを開始します。通常ヒナは8~10羽。子だくさんなだけに、母鳥は警戒を怠りません。安全な場所では、子どもたちを自由に泳がせ、危険が迫ると「ピッ」とひと鳴き。ヒナを見事に整列させて、水辺の茂みの中などに隠れます。とても可愛い親子連れで、充分に注意すれば、ごく近くで観察することができます。
ブラインドの中から撮影しているため。親子はこちらの存在にまったく気づかない。至近距離で撮っているのに自由に遊んでいる
白神の湖沼でも、そんな光景をよく目にします。初夏、オシドリのお母さんが子育て中の水辺に、四、五人から十数人のカメラマンが鈴なりにレンズを構える時があります。オシドリではなく、狙いは別の野鳥。カメラマンたちが静かにしている時は、オシドリたちも、ほとんど警戒しないで悠々と餌を獲ったりしていますが、周りがザワつき始めると、整然と行動して身を隠します。
同じ場所での別カット。シャッター音も抑えているため、気づいた素振りはない
上の写真を撮影しているとき、私たちは鳥から姿を見せないようにブラインドテントの中に隠れて観察していました。そこに十人近い観光客を連れた観光ガイドの方が通りかかったのですが、オシドリ親子の存在に誰も気づいていないようです。ガイドさんはとても元気良く、ハキハキとした大きな声でお客さんに森の木々や池の成り立ちを説明されています。そして運悪く、オシドリ親子の横で立ち止まって解説が始まりました。
ガイドとお客さんが近くに来た瞬間。さっと集まって安全な場所へ向かう
ヒナを連れたオシドリ母さんはびっくりです。ピッとひと鳴きして、茂みに隠れます。白神の観光ガイドとお客さんの散策を否定するつもりはありません。ただ、もう少し声を絞ってもらえないかと思い、野鳥が子育てしていることを伝え、ガイドさんにお願いしました。が、ムッとされたのか、「ガイドは元気よく、大きな声でと教えられました」と仰られ、説明する声が更に大きくなってしまいました。
岸辺に近い茂みに隠れた親子。一部のヒナは陸に上がりそう
更なる危険を察知したのか、オシドリ親子は水辺から陸に上がって森の中へ逃げ込もうとしています。陸上には、アナグマやテン、猛禽類などが雛を虎視眈々と狙っています。幸いにも、その場での大声の説明は短時間で終わり、オシドリたちは岸辺から水面に戻って大急ぎで隠れ場所に戻っていきました。危ないところでした。
同じようにオシドリが繁殖している別の池で撮影したニホンアナグマ。昼間なのに堂々と現れて餌をあさっていた
そんな場所でも、餌が豊富で子育ての環境の良さを気に入っているのか、毎年のようにヒナを育てています。なぜか、カメラマンが集まる池で子育てしている姿をよく見かけます。それは彼らが狙う、「別の野鳥」と同じように、餌となる両生類が豊富な事が理由と思われます。そうした池はモリアオガエルの産卵地で、周辺の木々に白い乱塊が幾つもぶら下がっているのを見かけるからです。
水面に垂れ下がる葉先に産み付けられたモリアオガエルの卵塊
世界遺産登録後、観光客らが大勢訪れるようになった白神山地周辺。その観光客と生き物との距離が、近すぎることに驚くことがあります。太古以来、その形をほとんど変えずに続いてきた自然は、世界遺産の登録によって、徐々にですが変わり始めています。今まで、地域の人たちが顧みなかった自然や生き物の存在を求めて、外部から多くの観光客らが訪れているからです。私たちも、その中のひとりです。
枯れ木の上でダンスのような素振りをする
この山で獲物を獲るマタギ、キノコや山菜採り、杣夫など、白神の森は、地域の人々が生活のために利用し続けてきました。発掘される石器類などから、縄文以前の時代から続けられてきたと見られています。地元で暮らす人々は、この森に棲む生き物たちとの距離や利用の仕方を、先祖から受け継ぎ、体で覚え実践していました。が、世界遺産登録による観光地化が、ひとつの変化を及ぼそうとしているのが見て取れます。
湖面のアメンボ
世界でも有数のブナの原生林。その中に点在する無数の湖沼や渓流、人を寄せ付けない険しい地形‥。そうした白神山地一帯の自然が、生き物たちの重要な繁殖地になっています。遺産地域の核心地は規制されていて、許可のない人間の侵入は許されませんが、動植物にとっては、核心地だけが重要ではないはずです。緩衝地を含め自由に出入り出来る周辺地域の自然環境を守ることも、私たちに課せられた重要な使命であると考えられます。
元気いっぱいのヒナが親子の群れから離れてしまった。すかさずお母さんが追いかけて戻るように促した
地域が、観光振興で潤うことは、住民にとって大切なことであり、否定する気は全くありません。ただ願うことは、この素晴らしい自然を残してくれた先人たちのように、観光の場合も持続可能な形での利用を真剣に考えたいものです。あまりにも近すぎる距離や、生態を熟知しないで迫る行動、存在も認識せずに客を連れてゆく姿は、生き物たちと共存している行為とは思えません。私たちも、出来る限り生き物に影響を与えないように注意して調査し、撮影を続けたいと思っています。同じように白神を愛する立場として、今後ともお互いを讃え、助け合いながら行動していきたいものです。
驚いたことにオシドリが頻繁に大きなモリアオガエルを採餌していた。カエルが膨らむと岸に叩き付けて小さくしてから飲み込んでいた
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