みらいを紡ぐボランティア

ジャーナリスト・浜田哲二と学生によるボランティア活動

青森県深浦町の小さな集落     
青い森の白い神の里から

ヤフーニュースに切り抜き記事がでました

https://news.yahoo.co.jp/articles/4a709967b3065c37730d88cb3cde00191102b152

https://news.yahoo.co.jp/articles/5efad553bd9697291b02a9d25f0787bb2a9c9998

https://news.yahoo.co.jp/articles/98221867c5873d902d06548ecf913bfcd097fbcf

 拙著の抜粋記事をデイリー新潮がリリースしてくれました。 こうした手法で書籍の普及を訴えるのを初めて知りました。ネット社会ゆえんのことでしょうが、紹介した戦没者を「凄腕スナイパー」にしてしまうのは、ちょっとなぁ(笑)

 まるで映画か漫画の主人公のようで、恥ずかしくなってしまいます。ただこれも、より多くの方に本書を手に取ってもらうパブリシティのひとつと割り切って受け止めています。

 まだ、手に取っていただけていない方も、よろしくお願い申しあげます。いまひとつ話題にもならず、売れ行きも行くないみたいですので‥

 メインの写真は手紙に同封されていた戦没兵士の写真です。NHKの取材を受けたときに、横から撮影しました。ほとんどが遺影に使われたカットで、これには胸を締め付けられました。

東奥日報の書評欄で紹介されました

 青森県の県紙・東奥日報さんが私たちが執筆した本を書評欄で紹介して下さいました。以前からお世話になっている同社の記者さんや地元の集落の友人が繋いで下さったのです。

   東奥日報さんの書評欄で紹介された記事

 私たちは今、沖縄に滞在しているのですが、青森や北海道などの友人たちが次々と出版を祝福して下さいます。そして、ご遺族へお送りしたところ、大喜びで受け取ったとの返信が返ってきました。

   文化面の左端で紹介された

 「仏前に供えて、手紙を書いた母さんと話し合ったよ。様々なことを想い出して涙がこぼれた……」と。それを聞いた私たちも、涙がこぼれました。ほんと、頑張って良かった。

   事務所の近所の書店に並んでいた私たちが書いた本

 そんな中、事務所の近所の書店に行ってみると、なんと拙著が店頭の一等地に並んでいました。嬉しかったのですが、まだ、それほど売れていないようです。購入戴いた皆さま、よければAmazonなどにレビューを書いてやってください。伊東大隊長やご遺族、一緒に活動してくれた若者たちの願いと想いが籠った同書。一人でも多くの読者へお届けしたい。

書籍のパブリシティが出ています

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001327.000047877.html

新潮社のパブリシティです。

主に目次ですが、内容も少し紹介されています。

活動と取材を同時並行させながら、足掛け7年かけて書き上げました(執筆期間は約半年でしたが)。

取り組みに参加してくれた元学生さんたちにも登場願っています。

ここまで来れたのも、ご協力戴いたご遺族、生き残りの兵士、関係機関の皆さまのおかげです。

この場を借りて御礼申し上げます。

伊東大隊長との約束、ようやく果たせそうです。

一人でも多くの皆さまの手に届くことをお祈りして。

2024年1月、現場で活動を開始しました

    事務所でくつろぐ。近所の100円市で買ったパッションフルーツと

 沖縄に事務所を設営して2年目を迎えました。今回の活動から約半年間は滞在して、遺骨収集とご遺族への調査などに時間を充てようと考えています。今まではウィークリーのアパートに泊まり込んで、若者が来ても同部屋での雑魚寝を余儀なくされていました。でも今後は、女子メンバーにも個室を用意できそうで、早速、一月末からメンバーが来てくれます。

    垂れ下がったガジュマルのひげ根を払いながら前へ進む

 さて、北国の暮らしだと初夏のような気候が続いていた沖縄本島の南部。ようやく気温が下がってきたので現場に出ています。来沖して1カ月以上が過ぎましたが、活動を始めると言いつつ、行動に移せていなかったのが、季節外れの陽気のせいでもありました。というのも、暖かいと森の中に生息する毒蛇のハブが怖いのです。

    昨年の台風による大雨で壕口には土砂が流れ込んでいた

 「気温が25度以下になると、動きが緩慢になってくる」。本島北部のやんばるで生き物たちを取材した時に聞きました。生物学的な見地かどうかは不明ですが、毒蛇と共存してきた地元の方からの助言。以来、最高気温が高い日が続くときは無理をしないで自粛してきました。

 そして、活動ができなかったもう一つの理由が出版です。本来、到着しての数日間は、掘削する現場の地主さんを訪ねて活動許可を頂く前準備をします。が、編集者からの注文に応えるために待機していたので、一月の半ばまで何も手をつけられませんでした。その仕事にも目途がたったので、重くなってしまった腰をあげられそうです。

    崩れた土砂で埋もれていた別の壕口も整備。これで準備OK

 1年ぶりに訪ねた森は一月でありながら、盛りもりとした緑に覆われ、昨年に切り開いた進入路が見つかりません。夏に直撃した台風で倒れた樹の枝が折り重なり、それを覆うように蔓の草が生え繁っているので、壕口がどこであるかも判らなくなっています。ガジュマルのひげ根が縄のれんのように垂れ下がり、とっても不気味‥。こんな状況で、今年はスタートしました。

沖縄戦(伊東大隊長の手紙)の書籍を出版することになりました

 沖縄戦の生き残りである、歩兵第32連隊第一大隊の伊東孝一大隊長(享年99)からお預かりした手紙を、現代の遺族へお返しする取り組みを始めて足掛け7年。その活動の軌跡を記録した書籍が「新潮社」から出版されることになりました。

伊東孝一大隊長

   在りし日の伊東孝一大隊長

 題名は「ずっと、ずっと帰りを待っていました―『沖縄戦』指揮官と遺族の往復書簡―」で、拙いながらも哲二、律子の書き下ろしです。新たな年となった2024年2月15日に上梓される予定で、計272ページ、判方は四六判変型、定価は1760円(税込み)になります。

伊東大隊長がご遺族へ出した手紙など

 沖縄戦で亡くした部下の遺族から終戦間もない頃に、伊東大隊長のもとへ届いた356通の手紙。これを「世に出してほしい」との依頼を受け、高校生や大学生たちと一緒に古語や候文が入り混じる難解な文(ふみ)を読み解き、現代の遺族を探して返還を続けているボランティア活動の記録です。

    母の手紙を読んで涙ぐむ、ご遺族

 手紙の差出人である遺族やその子孫が生き抜いた、戦後の苦難の人生。若くして志を絶たれた戦没者の無念の想いや為人(ひととなり)。それを沖縄の戦場で、兵士が戦死した日時の時系列に合わせて紹介してあります。

    満洲から届いた戦没者の写真とその裏書。妻へ宛てた手紙に同封されていた

    手紙を受け取って号泣する戦没者の三女〈左から二人目〉と孫たち

 「ありったけの地獄を集めた―」とされる沖縄戦を生き抜き、復員した伊東大隊長や第一機関銃中隊の笹島繁勝兵長たちから聞き取った証言。他の復員兵が残した出版物や口伝。日米両軍の記録などをもとに構成しました。

    戦友の遺影の前で銃を構えるそぶりをする笹島繁勝兵長

    学生たちを前に語る伊東大隊長

 新聞社を退職したジャーナリスト夫婦が、初めて挑戦したノンフィクションの書籍。一人でも多くの皆さまに戦争の惨劇と悲劇をお伝えしたく、精魂を込めて認めてあります。読み終わった後、このページに感想をいただければ幸甚の至りです。

    糸満市の原野で掘り出した戦没者のご遺骨

※下記は新潮社からです。

https://www.shinchosha.co.jp/book/355551/

    並べられたご遺族からのお手紙

デブ夫婦のウォーキング日記⑮「押しつまってきました」

日課のようになった海辺の祠へお祈り

本日は律子です。

 今年もおしつまってきましたが、西津軽の天候はどっぷりと冬型。雪は断続的に降り続き、北風が吹き荒れています。例年、お正月は静かなんですが‥。ウォーキングを初めて約1カ月半、当初は健康のためでしたが、北国の寒村に移住した夫婦の日記ネタになりつつあります。

勝手に「安徳さま」と呼んでいる祠

 歩き初めに手を合わせる海辺の赤い祠も、連日の降雪で真っ白なお化粧を施したように。その頭越しに見える集落も、綿菓子を飾り付けたようです。大型のショベルカーで除雪を終えた道路はカチカチに凍結、足腰の弱ったデブはヨチヨチとしか歩めません。そこで、ついにスパイク付きの長靴を導入しました。そうまでして海岸を歩いてるのは、どうも浜田夫婦のみ。雪の上に残される足跡も二人と野生の生き物だけになりました。どっぷーん、と打ち寄せる波うち際に、ゴメ(カモメ類)が集まっています。近づいても、なかなか飛び立ちません。

 「ん?、何で粘っているの‥」と首を傾げて見ていたら、どうもハタハタの卵「ブリコ」が打ち上げられるのを狙っているようです。私らが通り過ぎると、飛び立った後もすぐ戻って来るので、穴場を知っているのでしょう。賢い子たちです。

    ハタハタの卵(ブリコ)を奪い合うゴメ

 そういえば、マタギの伊勢親方がご存命の頃、毎朝のように海辺を歩き、樽烏賊(タルイカ)が打ち上げられるのを待っていました。秋から冬の時期、海が荒れたときに海岸近くに寄って来るそうで、一匹見つけると必ずペアがいたそうです。時には20㎏を越える大物も。捕獲時は固くて味がないそうですが、切り身にして冷凍すると、柔らかくなって旨味が増すんだ、と舌なめずりされていました。

 「こんな時期、デブ夫婦が海岸で転んだら、親方に樽烏賊と間違われたかもな」と、にやにや笑いの哲二がアホな妄想。何を言うか、私はもっと頑張って、スリムなヤリイカになるのよ。お前だけが樽のまま転がってな、と心で呟きながら帰路へ。

デブ夫婦のウォーキング日記⑭「雪かき地獄」

北国の定番である除雪車。油断できない存在

12月26日の記事。今日は哲二です。

 雪が降りやみません。本日も玄関先から、町道までのアプローチに30㎝以上は降り積もっています。こうなると、北国の朝は重労働の夜明けとなるのです。

 まず、雪掻き用のスコップやスノーダンプで歩道を確保し、新聞や郵便配達のお兄さん、お姉さんが通れるように掘り進めます。でも、降りやまないと、あっという間に元のもくあみ。また、天候を見計らって、一汗掻かなければならなくなります。

 ガレージの前も入念に除去する。シャッターが開かなくなってしまう

 そして、除雪車が来ると、ご近所の皆さまが飛び出してきてます。というのも、大型のショベルカーが路面の雪を押し退けた後、玄関先に高さ40~50㎝にもなる雪塊の壁が出来るからです。それを崩して除去しないと、わずか数十分でカチカチになり、二進も三進もいかなくなります。酷い時には、ツルハシが必要な時も。

 それでも、腰の曲がったお年寄りらが、フーフー言いながら、スノダンを押し、スコップを揮います。「今日も寒いね!」と笑顔をふりまいて。そんな姿に癒されながら、励まされながら、大雪の朝のルーティーンが始まります。そう、私の頑張りで、浜田家の「生命線」は確保されるのです。

自宅前の道路に出来た雪の壁

 それなのに、「頼んだわよ、しっかりね。終わったら、熱いお茶入れてあげるから」と、律子は部屋に戻ります。なんだよ、自分は楽をして‥、とプリプリしていると、「あー、手伝えってこと?。ハイハイ、洗濯物を畳んだらね」とのこと。

 外には干せない北国の冬の洗濯は、面倒でも合理的です。夜に洗ってすべて部屋干し。朝には薪ストーブの熱気で、ほとんど乾いています。こうすれば夜間、乾燥で喉がやられることも防げるのです。最近、夫婦で歩くようになったので、量が2倍になったそう。で、「あんたの明日着る服がなくていいの」と脅されるので、雪掻きはしぶしぶ一人で頑張らざるを得ません。

 でも今日は、やれども終わらない積雪量。嫌になりかけたときに、律子が「そうそう、ブログ用の写真撮っとかなくちゃね」と、いそいそ出てきました。ひと通り撮影した後、「どれ、私も少しやるか!」とスコップを手に路へ。

駐車場の雪を掻く

 あー、そこは‥、という声も届かず、スッテンコロリン。そう、除雪車が通過した跡は、アイスバーンになるのです。大丈夫か?、と声掛けするも、笑いが込み上げてきます。「痛てて‥」と腰をさすりながら、また部屋へ逆戻り。うーむ‥、結局、朝の雪掻きから解放される日は遠そうだな。

デブ夫婦のウォーキング日記⑬「私の伴侶はクラッシャー」

軒先に垂れ下がった氷柱

 12月25日の記事です。今日も律子です。

 今冬、最大級の寒波が到来。ご多分に漏れず、西津軽も昨夜から大雪です。そんな朝、ウォーキングへ出掛ける前にふと見ると、先月末から頼んでおいた用事をしてくれてません。

 まず、窓や玄関の網戸がはめ込まれたまま。これでは、虫除けというよりも雪除けになっています。「もうっ、凍り付くとパッキンがダメになるのよ。早く外して、綺麗にして仕舞ってね!」

 大慌ての哲二、雪を掃って、倉庫へ走ります。「ダメよ、乾かしてからでないと、アルミでも錆で劣化するからね」。本業にはとても厳しい男なのに、家事となった途端にいい加減な手抜きをします。

 どんどん成長する氷柱。大きくなると危険だ

 そして、ウォークから帰ってくると、なんとガレージの雨どいが付いたまま。例年は冬になる前、きちんと洗って倉庫に仕舞うはずなのに、これも忘れている。

 すぐ横の軒先には、大きな氷柱がぶら下がっています。といの中の水が凍結すると、プラスチック製なので簡単に割れてしまうのです。なんで今まで気づかないのでしょう、うーん、哲二、惚けて来たか‥

 7段の大脚立を持ち出して雪の中、不器用な手で外そうとしています。が、今度はバキッと嫌な音、同時に何かが外れて落ちてきました。叱られて焦ったのか、寒いので手が悴んだのか、留め具をへし折ったようです。

 「はぁ~」なんて、ため息を吐いていますが、それはこっちのセリフ。このっ!、クラッシャー男め。天気の良い日に働かず、追い立てるように毎日、私を歩かせるからよ。今夜は罰としてビール抜きね!。クリスマスは麦茶でサイレントナイト、だな。

デブ夫婦のウォーキング日記⑫「吹雪の朝、無謀or阿呆の彷徨」

 12月18日の記事です。

 猛吹雪の朝、起きたら哲二が薪の入れ替えをしていた。どうも、乾燥していないものが混ざっていたらしい。どうりで最近、ストーブの燃えが悪いし、室温も上がらないわけだ。雪まみれになりながらも、せっせと運び込んでいる。

 早くから、ご苦労さま。

 うーん、今日はすごく寒いね。だから、絶対に表へ出ないわよーっと、伸びていたら、ウォーキングの杖の準備をしている。

   屋根の上に積もった雪が雪庇となってせりだしている

 えーっ、行くの!。

 まさか、嘘でしょう!!、と声を張り上げたけど、無表情でリックサックに飲み物なんかを詰めている。

 痩せるために、そこまでするのか‥。

 でも、私は今日は行かないよ。だって吹雪だし、とっても危ないんだもの。きっと道もツンツルテンに凍ってるし、転んで打ち所が悪いと死ぬこともあるんだからね。

 後退りして、背を向けても、杖と長靴を準備して、玄関先で待ってるじゃん。ん、もーう、仕方ないわね。ちょっとだけよ。危なかったら、すぐ引き返すからね。

 昨夜から降り続いた雪で、集落は真っ白。車が走った轍がカチカチに凍っているので、道を歩くのもひと苦労だ。柔らかい雪の上を歩くと滑らないが、砂浜を歩くのと同じぐらい前へ進まない。いつもの半分も行かないうちに息が上がってきた。

 深浦の今朝の気温は氷点下4度、10メートル前後の北西の季節風が吹き荒れている。むちゃくちゃ寒い‥。わずかに露出している顔の部分の感覚がなくなってきた。

      雪がメガネに付着して、前が見なくなる

 「ねぇーっ、もう帰ろうよ」と先行する哲二に声掛けするが、届いていないのか、ずんずん進むのみ。行くしかないのか‥

 昔、映画で見た「八甲田山死の彷徨」が頭に浮かんできた。いくら戦没者へのご奉仕を続けているからといって、こんなことまで模倣しなくてもいいのになぁ。

 海は、凄まじく、大荒れ。波は立ち、そのしぶきが風に乗って走っているかのようだ。港や磯で、波の花がふるふる揺れているのが、未知の生き物のようで不気味。

 グイグイ歩く哲二と距離が出来ると、横殴りの雪に霞んで見えなくなる。

 「怖いよー!」

 なのに結局、いつものコースを歩き切り、帰宅。歩数は今日だけで1万歩を超えた、と哲二は満足げだ。あまりに寒かったので、家に帰って体温を測ってみると、35度7分。これって、低体温症になりかけているんじゃない。

 もう嫌、お風呂に入る。温かいお湯がこんなにありがたく感じたのは久しぶり。過酷な行軍だったけど、この瞬間はやすらぐわねぇ。ありがたや、ありがたや‥

 体温を測ってみたら‥

 と、脱衣場に出てみると、日課のごとく体重計に乗る哲二の姿が。今日は雪の中をいっぱい歩いたから、期待できるね、と声掛けしたら、「1キロ増えている‥」と暗い声。

 へーん、こんな日に無理したから、きっと罰が当たったのよ。

 雪の中、過酷な訓練で亡くなった青森の連隊将兵の冥福を、きちんとお祈りしようね。