みらいを紡ぐボランティア

ジャーナリスト・浜田哲二と学生によるボランティア活動

青森県深浦町の小さな集落     
その他

南国・高知の春の味を満喫①

干物①hp

父親の法事のために帰った高知県で買ってきた干物を食べてみました。高知では、春になるとウルメイワシやニロギ(ヒイラギ)などの干物が日曜市などに出回ります。子供の頃は苦いだけで、食卓に上がると苦痛でしたが、今は最高の酒のツマミとなっています=写真上、ニロギやオキウルメなどの干物。今夜も飲みすぎてしまいそうだ

ジャコhp

そして、ご飯のおかずはジャコ。一見、出汁ジャコのように見えますが、軽く醤油を塗して、熱々の白米に乗せて食べると最高です。何倍もおかわりしてしまいます=写真上、火曜市で買ったジャコ。すごく香ばしくて最高に美味

酒hp

酒は「楯の川」を。口に含むとピチピチとした微発泡が舌に残る薄濁りの日本酒で、フルーティーな香りと柔らかい甘さが口に広がります。こうした純日本風の和食にピタリ合う酒です。もう書き込んでいる場合じゃない。直ちに始めます=写真上、楯の川の搾りたて薄濁り

 

 

是非ご覧あれ、仲間が作るブログです

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新聞社時代の上司である清水祐一さんが、とても興味深いホームページを立ち上げられています(下記のURLを検索してみてください)。

http://uozu-yama-kawa-umi.net/

私と同時期、第二の人生を探求するために退職され、魚介類が豊富な海と黒部峡谷で有名な富山県魚津市で、山、川、海と深く関わる生活をされています。

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故郷でもある魚津で、ご高齢の父上との田舎暮らし。地元で手に入る自然食材を使った男の手料理とそのレシピが圧巻です。

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そして、立山連峰や黒部峡谷の山歩き情報なども豊富で、中身が濃くて秀逸なブログです。

皆さま、是非一度ご覧下さい。

 

 

久しぶりに「関スー」でお買い物

ロイポ②

東北には売っていない物を仕入れに神戸の「関スー」こと関西スーパーに寄りました。日持ちがしないものは難しいのですが、クーラーBOXに入れて持ち帰られる商品だけを買いました=写真上、青森では滅多に見かけないポールウィンナー。我が家では「肉々ソーセージ」と呼んで哲二が大好き

エンドマメ

春先に、関西以西に出回る「若ゴボウ(別名:葉ゴボウ)」ですが、青森には5日後に帰れるのでギリギリセーフかな。新聞紙にくるんで車に積んであります。そして、豆ご飯にするエンドウ豆=写真上、青森ではどこにも売っていなかったエンドウ豆。去年は自宅庭で栽培してみた。東北でも、絹サヤやスナップ・エンドウならあるのですが、豆ご飯にできるエンドウ豆はまったく売っていません。どの店に聞いてみても、「知らないし、食べない」と冷たく言い放たれます。ゆえに毎度のことながら、西日本の春の味覚を買って帰ります。

時間があればイカリの業務用トンカツソースとウスターソースも買うのですが、今回はそんな余裕はなさそうです。これらは関西方面へ来た時の重要なミッションの一つです(律)。

法事で実家に戻っていました

流星群③

父親の法事で実家がある高知県へ帰省していました。10年前に父を亡くし、8年前に母も亡くしました。妻の父親も14年前に逝去し、私たちには妻の母一人しか残されていません。親を亡くすというのは思った以上に応えるもので、年月が過ぎれば過ぎるほど、心の拠り所を失ったような喪失感に苛まれています=写真上、満点の星空に流れる流星、深浦町で

時計4

たった一人となった母を大切にしたいのですが、私らが終の住まいを青森に移したので、今は離れ離れです。毎年、遺骨収集のため沖縄へ向かう前後に、妻の実家である岡山と私の実家である高知へ寄りますが、年々弱くなってゆく母を大切にしたい想いがこみ上げてきます=写真上、おしゃれな装飾が施された懐中時計の遺留品。親の存在のありがたさは、亡くして初めて感じるものです。不義理の子供たちが公言できる内容でもないのですが‥。

認識日本1

実家での法事が終わった後は、戦没者のご遺族の元へ遺留品の返還に参ります=写真上、旧日本軍兵士が身につけていた認識票。この一部を戦没者のご遺族へお届けする、那覇市の国吉勇資料館で。今回は喜んで受け取って戴けると思います。が、 時間の経過と共に記憶が薄れるせいか、受け取りを断られるご遺族もいっらしゃいます。あの戦争から68年。今は平和で太平な日々が続いています。でも、国や家族のために、と戦場に赴いた方々の犠牲の上に成り立っているのが、現代の日本です。行き過ぎた国粋主義によって起こされた戦争であっても、犠牲になった方々の命は、何ものにも代え難い存在でした。皆、私たち日本人にとって、良き父親であり、兄弟であり、自慢の息子たちでした。でも、その屍は、今もユーラシア大陸や太平洋の島々、海底に眠ったままです。

遺骨4

私たち夫婦にとって、今の暮らしや生き方がこれでいいのか、と自問する日々です。が、自らなせることは、親を大切にし、家族を守り、精一杯働いて生きる事だと、決めています。勤めを辞めて、1年の半分近くをボランティア活動に捧げていますが、最も力を入れていると言っても過言ではない戦没者の遺骨収集は、今、自分が生かされていることを根源的に考えさせてくれる取り組みです。参加するたびに突きつけられる事実の重みとあの戦争の凄惨さに、うなだれかける背筋が伸ばされる気持ちです。それゆえに、犠牲になった方々のために尽くすのが私たちの仕事だと自負しています。何かに取り憑かれている、と揶揄されることもありますが、ありがたい限りです。それこそが熱心に働いている証ですから=写真上、戦没者の遺骨を納骨のために袋へ収容するボランティアたち、沖縄県八重瀬町で

ボタンhp

明日から、返還に向けての活動を再開いたします。皆さま、ご支援を願います。そして昨日、東日本大震災から2年目を迎えました。大切なご家族を亡くされた方々と今も故郷へ戻れない方々に心からお悔やみを申し上げます=写真上、戦没者の衣服のボタン。遺骨と一緒に出土することが多い

ページが安定しなくて申し訳ありません

記事を書き込み中にバグが発生し、安定して閲覧できない状態が続いています。

訪れて下さる皆さま、心よりお詫びを申し上げます。

初めてのホームページ作成に加え、パソコンに無知、不慣れなので、どうも上手く操作できません。

やっと、形が整いつつありますので、もう少し長い目で見てやってください。

よろしくお願いいたします。

(哲)

 

多忙な日々

ホームページを開設して以来、俄然、忙しくなりました。毎日、深夜まで写真の処理と原稿書きに追われています。講演の準備や企画案の書類作り、HPと同時に始めたフェースブックやスカイプの対応‥。電脳原始人夫婦には、荷が重すぎる日々です。

写真をアップするために、押入れから古いフィルムを引っ張り出してきて、錆び付いたニコンのフィルムスキャナーにて読み込み、フォトショップで処理。スキャナーに対応する古いパソコンだから思うように動かないし、すっかり、やり方も忘れていますし‥。

でも、この感覚、締切時間に追われ、ヒリヒリしながら海外から日本へ写真を電送していた新聞記者時代を思い出しました。最後の海外出張は中米のエルサルバドルだったなぁ。スペイン語が判らなくて、当然、エルサルバドルの言葉も判らなくて、オロオロしました。そして、治安が恐ろしく悪い、一人歩きは危険だ、との脅し。怖々お邪魔した国でしたが、人々はフレンドリーで、食べ物もすごく美味しかった。取材もしやすく、アフリカやアフガニスタンよりも断然、安全。危ない現場ばかり歩いてきた身にとって、良い思い出が残る国になりました。

話はそれましたが、20年近くも死蔵していた写真を散りばめる、新しいシリーズを近々アップします。ご期待下さい(哲)。

 

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