御山参詣(山かけ)の神事とIVUSAの大学生① 山へ登る前に、円陣を組んで気合を入れる学生たち 山かけ踊りのお囃子に手拍子で応えるお年寄りたち 毎年、旧暦の8月1日、私たちが暮らす大間越集落で、白神岳の頂上まで登山をする神事「御山参詣(山かけ)」が行われます。集落の若集が、麓を流れる津梅川で身を清め、頂上付近にある祠(ほこら)まで一気に駆け上り、豊かな恵みに感謝し、招福を願う伝統行事です。 ※読売新聞に掲載されました http://www.yomiuri.co.jp/local/aomori/news/20150914-OYTNT50341.html まず、麓の大間越稲荷神社に参拝 登頂の前に、稲荷神社の周りを3周 その歴史は古く、江戸時代の頃まで遡れるそうです。青森県で御山参詣といえば、岩木山が有名ですが、白神岳も神の宿る山として、漁師さんやマタギたちから信仰されており、ひっそりと続けられてきました。 登山口近くにあるご神木に、全員で手を合わせる 男子を先頭にグイグイ登り始める その山かけに、春日祭と同じように、IVUSA(国際ボランティア学生協会)の大学生に助っ人を頼みました。すると、前回と同様、快諾の返事。今回は事務局の社会人を含めた12人が駆けつけてくれました。 登る前に装備のチェック 出発前に、残るメンバーらとお別れの握手 そして、神事の当日、登頂班と直会(なおらい)準備班に分けられた学生が、山かけに臨みます。哲二が膝を痛めているので、今回は麓でお留守番。当然、私も直会の準備があるので登れません。残念ですが、最近、運動不足なのでホッとしています。 太鼓のお囃子を先頭に、川へ禊に向かう 全員で稲荷神社に参拝 実は、学生たち、当初は9人で頂上を目指す予定でした。が、2人が北関東と東北地方を襲った豪雨のために青森への到着が遅れて、登山は7人しか参加できませんでした。 頂上で奉納する御幣が、リュックからのぞく 前夜までの大雨で、濁流となった津梅川で身を清める 大間越集落の山かけは、ここ数年、悪天候続きと登り手の不足で、実施されていませんでした。今回も、直前まで2~3名しか参加希望者がなく、前日も土砂降りの豪雨だったので、開催が危ぶまれていました。 登山を先導する若集(手前の二人)の指示で行動する いきなり、きつい登りがある が、学生が来ると聞き、「ならば私たちも」と、参加を決意してくださった方々がいて、総勢20名近い祭列に。ここ最近は、4~5名しか参加者がいなかったので、祭り保存会のメンバーも嬉しそうです。 学生のために急きょ、参加して下さった地区の方(中央のご夫妻)。頂上の様子を撮影してもらうためにカメラも託した 学生をサポートするために協力して下さった、棟方ご夫妻 大雨で濁流となった津梅川で禊を済ませた後、元気一杯に登って行きました。山頂から麓まで往復すると、おおよそ8時間かかるそうです。今回は、夫婦そろって登山をサボりましたので、ここからは参加者から聞いた話をもとに書き記します。 山かけに参加する学生に挨拶される保存会の伊藤会長 山かけの神装に身を包んだIVUSAの女子学生。カメラを向けると、少しはにかんだ 麓では晴れていましたが、登るにつれて霧が立ち込め、所々で雨に降られたそうです。約4時間で山頂に到着。頂上付近にある祠を取り囲み、踊りながら、御山参詣の唱文を唱えます。 «登山ばやし» 「懺悔、懺悔(サイギ、サイギ) 六根懺悔(ドッコイサイギ)―⦅たぶん「ロッコン」だと思うが、方言で訛っていると思われる⦆ 御山八大(オヤマハチダイ) 金剛道者(コンゴウドウサ) 一々名拝(イチニナノハイ) 南無帰名頂禮(ナムキミョウチョウライ)」 頂上の祠に参拝する参加者たち(棟方友裕さん撮影) 頂上に到着。強風の中、神事のために着替える学生たち(棟方友裕さん撮影) そして、御幣などを奉納した後、お神酒を戴きます。これで神事は終了。この後、麓での「山かけ踊り」などに必要な高山植物の「イワテトウキ」と「ハイマツ」を採集します。順調に進行しましたが、接近していた台風の影響で山頂の天候は大荒れに。 元気一杯の学生たち。前夜、飲みすぎたのか大あくび(棟方いづみさん撮影) 頂上の避難小屋の前で、おにぎりを頬張る女子学生(棟方いづみさん撮影) 普段でも、頂上と麓との温度差は10度前後あり、強風と雨のおかげで体感温度は10度以下だったようです。皆、震えながら、神事を執り行い、終了後は、避難小屋に飛び込んで温かいカップ麺などを啜ったと話します。 参拝を終えた後、お神酒を戴く。とても寒い‥(棟方友裕さん撮影) 頂上の祠に参拝する参加者たち(棟方友裕さん撮影) そんな中でも、学生たちは一人の脱落者も出さずに、最後まで頑張りました。しかし、この神事が大変なのは、下りてからの踊りです。集落の端から、中央にある稲荷神社まで、回転したり、飛び跳ねたりする、独特な振り付けの山かけ踊りを披露しながら、練り歩くからです。 笑顔で下山してきた一行 やっと下山。麓で待つ仲間に手を振る お疲れさま、大丈夫?。うー、無茶苦茶しんどかった‥ 「下山ばやし」を合唱して、激しく踊ります。とても、ユーモラスな姿なのですが、参加者によると、膝はガクガクで、足は靴擦れのために、歯を食いしばるほどの痛さに悩まされた、と聞きました。 «下山ばやし» 「①ソーリャ、ソーリャ、ソーリャナット 白神の陰(かげ)コで 大きな御幣締めだ、ホイ それでも良い山かげだ、ホイ ソーリャ、ソーリャ、ソーリャナット ②ソーリャ、ソーリャ、ソーリャナット 白神の陰(かげ)コで 苦瓜マグラッタ、ホイ それでも良い山かげだ、ホイ ソーリャ、ソーリャ、ソーリャナット」 全員が息を合わせて山かけ踊りに取り組む コミカルな仕草で飛び上がり、回転する 採取してきたイワテトウキの香りを嗅ぐ そして、神事のフィナーレとして、集落内にある大間越・稲荷神社に参拝。社殿を3周回った後、履いていた草鞋を境内にある木の梢に放り投げます。一番高い枝に引っ掛けた者には、良縁が訪れるそうです。学生たちは目の色を変えて、高さを競い合っていました。 コミカルな仕草で飛び上がり、回転する 仕事を終えた中国人研修生たちも、思わず踊りを真似ていた 背中に背負ったヤジガラに、イワテトウキを挿してもらう この神事は本来、女人禁制で行われていました。昔の参加者は約1週間、神社の社殿などに籠り、毎日、川で全身を洗い清めながら、禊をします。そして、白装束に着替えて草鞋を履き、塩で磨いたさい銭、米、お神酒などを携行して、白神川に沿って岩場を直登していたようです。 境内の木の梢に草鞋を放り投げる すべての神事を終えて、神殿に拝礼 放り投げたつもりが大失敗。恥ずかしい‥ 最近は、女性も登山での参加として同行したり、他の地域の方の飛び入りも認められるようになりました。その理由ですが、集落に暮らす住民の高齢化と過疎の進行で、祭りを担う人材が不足しているからです。 大間越の3人娘とご対面。おー、久しぶり。春日以来だね! 沿道に出てきたお母さんも、祭列に拍手喝さい 祭囃子に手拍子を合わせながら、笑顔で踊りを見るお年寄りたち 深浦町指定の「重要無形文化財」になっていますが、このままだと、消滅してしまう危機にありました。それを救うために、IVUSAの学生たちが立ち上がってくれました。これだけ賑やかな祭列は、近年、見たことがなかった、と、お年寄りたちも大喜びです。 神殿の周りを回って参拝 麓の稲荷神社で参加者全員で記念撮影 長くなりましたので、IVUSAの学生たちの活躍は、2部に続きます。 女子学生たちも元気いっぱいに踊る Post Views: 219
春日(鹿嶋)祭の神事2015 大学生がやってきた 舟神輿を担ぎ、集落内を練り歩くIVUSAの学生 神事が始まる前、保存会の柴田さん(左)から踊り方を習う学生たち ブログでもご紹介したように、今年の「春日(鹿嶋)祭」には、東京などの首都圏から「IVUSA(国際ボランティア学生協会)」のメンバーら11人が、お手伝いに来てくださいました。 東奥日報に掲載されました。 http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2015/20150627003035.asp 太刀棒を運ぶ女子学生 浴衣に着替える男子学生。ん?、どうすれば‥ その多くが、2回生から4回生の学生さん。大学はまだ、夏休みに入っていないので、ウィーク・デーは講義がある時期。にもかかわらず、週末を利用して、12時間近く夜行バスに揺られながら、駆けつけてくれたのです。 地元の女衆から着付けてもらう。さまになっているよ 女子学生も法被姿に 大間越地区の春日祭は、青森県の無形文化財に指定されている由緒ある神事です。が、過疎による少子高齢化で、人材不足が深刻になり、先々の継続が心配されています。 男衆のお化粧。学生も塗ってもらう 女子学生も祭り化粧。紅もさします 舟神輿の行列も、年々、短くなり、集落内のお年寄りからは、「寂しくなったなぁ。このままでは、ダメになるかもしれん‥」との声も出ていました。 あいにくの大雨。舟神輿を濡らさないようにビニールを被せる 美人がそろい踏み。雨が降っても大丈夫 IVUSAの学生さんとは、沖縄県での遺骨収集活動中に知り合いました。ここ数年、毎年のように100人以上の隊員を派遣して下さり、遺骨を見つけるだけでなく、遺留品の返還などの素晴らしい成果を上げてくれています。 舟神輿を担ぎあげる集落の男衆 雨が止む気配は、まったくなし そこで、私たちが終の棲家とする村の窮状を話すと、熱い言葉で応えてくれました。「そうした状況を打破するために、存在するのがIVUSAですから」と。そして、その子たちが、やって来てくれたのです。 今春、逝去された、祭り好きのレンジさんの家の前で。特に、念入りに踊ります 大雨で全員がびしょ濡れ。それでも神事は進行します 今回、6人来てくれた男子は、太刀振りとして行列に参加し、4人の女子は各舟宿で女衆を手伝うことに。全員が集落の人とは初対面です。 柴田さんから踊りの手順を習う6人の男子学生 雨の中、傘を差しながら、見守る女子学生たち が、人見知りがちな集落の人々にも、満面の笑顔で接します。そして、真剣に働くのです。これが、IVUSAの良さ。あっという間に溶け込み、神事をつかさどるチームの一員として受け入れられました。 激しい風雨の中、行列は進んで行きます 先振り(左)と同じように飛び跳ねるように踊る 午後1時、集落の青年会館でそろいの浴衣や法被に着替えた10人は、全員が舟神輿の行列に参加。男子は太刀棒を手に踊りながら、女子はそのあとを追います。 「今年の行列は長いね、活気があるね」。雨にもかかわらず沿道から声が飛んだ 全員がびしょ濡れ。まったく動じないで、踊り続ける が、この日は、大雨と強風波浪注意報が発令されたあいにくの荒天。激しい風雨に、重い神輿はあおられます。担ぐのは集落の高齢者たち。若い頃から、山や海で鍛えた先輩たちも、長時間、担ぎ続けるのはつらい仕事です。 担ぎ手を交代する学生たち それ、担げた。主役は俺だ!、いえ、私よ!! 最初の舟宿に到達したとき、男子たちが、「代わりましょう」と、さっと神輿の担ぎ棒に肩を入れます。先輩たちは、ホッと一息。少し心配そうですが、「よし、やってみろ」と笑顔で託します。すると、女子の一人が、「私も担げます」と、前へ。 舟神輿を軽々と担ぐ女子学生(手前) 雨の中でもぐいぐい進むよ これには皆がびっくり。でも、男子顔負けの体格とやる気。さすがIVUSAです。作業に男女差はありません。男子から棒を奪い取るように、舟神輿を担ぎあげました。見物からは、「おーっ」という声が。 楽しいー。男子に負けじと、担いで練り歩きます さぁ、スタートするぞ。真っ先に飛び出す学生たち いつもと違う春日祭に、沿道で見物するお年寄りたちは目を丸くして見入っています。太刀棒を振る、見かけない若者たち。初めて見る女子の担ぎ手‥。いつにない賑やかさで神輿の行列は続きます。 雨も風もへっちゃら。舟宿に到着 学生たちへ、沿道から「ごくろうさま」の声が掛かった でも、大雨と強風で、子供たちも辛そう。舟宿に到着すると、気温の低下と雨に濡れた事が重なり、ブルブル震えています。そこで、女子たちが手伝った料理が生きてきます。熱々のおでんや焼き立ての鳥串、お肉など。皆が笑顔で頬張っています。 雨で濡れた太刀棒が干されています 自分たちが賄いを手伝った舟宿で休憩。美味しいー 結局、強風と波浪のため、神輿として担がれた春日丸はこの日、海へ流されませんでした。学生たちは少し残念そうでしたが、波が高くて出航できないのは、仕方のないこと。悪疫退散の神事が事故を招いては意味がありません。 舟宿で温かい食事が振る舞われる 可愛い坊やにご挨拶 最後は、青年会館で打ち上げ。今まで見たことがないほどの人数が集まっています。大雨の中、頑張ってくれた学生たちを労うために来てくださったのです。 青年会館に集まった集落の方々と学生たち スマホで記念撮影。大先輩に撮り手をお願いします 全員が車座になって、祝宴が始まりました。学生たちが、それぞれ自己紹介し、祭りの感想を述べます。ここで何と、参加学生の半分近くが、祭り保存会の役員の後輩だったことが判明。30年近い年の差を置いた大学の先輩、後輩の出会いは、少し照れくさそうでしたが、お互いが感慨深げでした。 集落に大学の先輩がいました。後輩たちに激励の言葉を掛けて下さいます 先輩からのありがたいお言葉にお礼のあいさつ 実は大間越地区には、文化財指定されている神事があと二つあります。ひとつはお盆と十五夜に実施される「獅子踊り」。もうひとつが「御山参詣(山かけ)」です。実は、この山かけが、たいへんな行事なのです。 神社の前に置いた舟神輿の周りを踊る 十二湖の森を散策。柴田さんから、植物の説明を聞く 簡単に言えば、踊りながら白神岳登山をするような神事です。参加者はまず、頂上付近にある祠まで列をなして駆け上がり、五穀豊穣の祈願と、海や山からの豊かな恵みに感謝しながら、祠を踊りながら3周します。 柴田さんの案内で十二湖の森を歩く 激しく太刀棒をぶつけ合う男衆 そして、麓にある集落内の稲荷神社まで駆け下り、そこでも儀礼の踊りなどをするのです。山岳信仰に端を発している神事とされています。この山かけの継承も、少子高齢化などで年々、厳しくなっているのです。 子供たちも祭りの主役。でも数が年々減りつつあります 青池にも行きました 今回、参加してくれた学生たちに、その窮状を話してみました。すると、「時期さえ合えば、またお手伝いに来ます」と前向きな返答。祭の保存会や集落の長老たちも、この快活で素晴らしい働きを見せてくれる若者たちが気に入ったようです。 和気あいあいと祭りを楽しみます 大間越の3人娘とも仲良しに 再会を誓い合って、短い初夏の祭事は終わりました。一泊もしくは二泊三日の弾丸ツアーを終えた彼らは、また、夜行バスに揺られて帰って行きます。お別れの時、不覚にも涙がこぼれそうに。帰省してくれた可愛い息子や娘と、離れがたい父母の気持ちが痛いほど判ります。 秋田出身の女子学生が、帰省の際に足を延ばし、参加してくれました また、おいで。集落の総代さんたちも、大歓迎で迎えて下さいました ありがとう、IVUSAのみんな。また会おうね。大間越を故郷と思って、また、帰って来てね。そして、元気に学業に励んでください。いつまでも応援してますよ。 十二湖のブナ林でポーズ IVUSAの決めスタイルで Post Views: 219
屋久島との交流2014 第三弾「交流会とソリ遊び」 発表する屋久島の子どもたち=写真はいずれもアオーネ白神十二湖で 真剣な眼差しで、屋久島側の発表を聞く参加者 今回の交流会の中心となる研究発表の開始です。今まで、お互いの遺産地域の自然や生活文化を学習してきた成果を披露します。 交流会で挨拶する、いわ小の柳澤校長先生 深浦町立いわさき小学校の柳澤弘幸・校長先生や県立木造高校深浦校舎の吉田信治・教頭先生ら、学校関係者も大勢参加して下さり、子どもたちを見守ります。 屋久島側の発表を聞く子どもたち 最初は、屋久島の子どもたち。代表の4人が、屋久島の植生や屋久杉の特徴、登山者やヤクシカの問題などについて発表しました。屋久島の世界遺産の成り立ちや、現在、抱える問題点がよくわかります。 交流会で挨拶する環境文化財団の竹本准・課長 また、「岳参り」と呼ばれる信仰を通して、島民が山を畏れ敬ってきた文化についてのお話もしてくれました。 2度目となる交流会。研究発表の形が定着してきた 発表を終えて一礼する環境文化財団の牧さん(左端)と屋久島の子どもたち 自分たちで撮影した写真や、島を空から見た体験を交えた発表に、屋久島へ行ったことがない白神の子どもたちは、想像をかきたてられたようです。 お土産の屋久杉で作ったキーホルダーを受け取る白神の子どもたち 続いて白神の子どもたち。私たちとフィールドワークを通して、環境学習や生活文化の継承を行っている、「白神の生き物を観察する会」のメンバーが、演壇に立ちます。 白神側の発表 深浦校舎の二年生と町立岩崎中学校の一年生たち。白神山地の林道建設に対する反対運動と、「山を、川を、水を守ろう」という自然保護運動が高まりが、自然遺産登録へと結びついたことなどを説明します。 発表を聞く子どもたち 発表を聞く白神側の先生たち そして、森で生きる野生動物を、ロボットカメラでとらえた写真を紹介し、生き物たちの生態を伝えることで、豊かな白神の様子を報告。同時に、狩猟採集など、昔ながらの生活を継承する人たちがいなくなって行く現実にも触れました。 挨拶されるマタギの伊勢親方 会場には、今年、75歳になる「マタギ」の伊勢勇一親方も参加。体調がすぐれない中、東北地方などに伝わる伝統文化の消滅の危機を訴えて下さいました。 連日のハードスケジュールと慣れない雪上ハイクで、少し眠気が。ゴメンね、詰め込みすぎた内容で みんなが親しくなれたワークショップ 最後は、自然との共生をテーマにしたワークショップです。両遺産地域の子どもたちが5グループに分かれ、意見交換を行いました。メンバーをチェンジしながら、紙に考えたことを書き出します。多くの友達とお話して、皆、仲良くなれたかな。 ワークショップの開始前、互いの遺産地域の子どもたちが自己紹介と握手 高校生や中学生がリーダーとなって話をまとめた 研究発表会の後は、子どもたちお待ちかねのレセプションです。アオーネのシェフが腕をふるったごちそうの数々に歓声が。パーティーの開幕には、白神の3人娘と大間越地区の有志が、伝統神事「鹿島祭り」の舞いで華をそえます。 鹿島祭りを披露する白神側の中学生たち 日本海の魚の刺身が船盛で提供された また、いわさき小6年生9人が、自分たちで考えた「方言クイズ」を披露。 「どんず、ってな~んだ」 「えー、わかんない」、「ヒントください」 白神側の「方言クイズ」。交流会のメニューで、最も盛り上がった お土産にもらったポンカンを掲げるいわさき小学校の児童たち 「下半身の、ある部分です」 「わかった、お尻の‥穴!」 皆、大爆笑でした。 すっかり打ち解けて、会場で格闘が始まった レセプションの終了後、ハイタッチしながら会場を去る子どもたち 一夜明けると、もうお別れの日。 雪の滑り台でソリ遊び。笑顔がはじける 屋久島っ子たちが来る前に、アオーネのスタッフと作った大滑り台で、ソリ遊びを楽しみます。 高さ約5㍍の台から滑り降りる ずっこけて転倒。でも、楽しい! 滑り台の高さは5メートル、長さ30メートル。頂上に立つと、ちょっと怖いぐらいです。 わー、押すなよ。あー、止まらない 最初は、恐る恐るでしたが、一回滑るともう止まりません。2人乗り、3人乗りの方法を教わって、何度も雪山を滑ります。 それ!、3人乗りだ。でも、すぐに転倒 ああ、いい笑顔だなぁ。 女子も3人乗りよ。で、後ろ向きでチャレンジ もう、最高に楽しい。雪大好き ごめんね、楽しい旅のはずなのに、今まで自由時間がほとんど無かったね。 3人でスタート 誰!、横から雪をかけるのは おかげで止まらないよー。誰か止めて! 慣れない表敬訪問や研究発表で緊張の連続だったし、雪国を満喫したとは言えない日程だったもん。 楽しそうなので、朝日学生新聞の記者さんも参加 牧さんと一緒に滑る。重いからスピードが出るよ 南国育ちの屋久島っ子、いっぱい、雪で遊んで楽しんで。 4人にチャレンジよ! 悪戯者は雪に埋めちゃえ 最高に楽しい。帰りたくなーい そして、いよいよお別れの時。 バスの中から手を振る屋久島の子どもたち 皆でお見送りです。あっという間の二泊三日でした。 また、来てね。お見送りするアオーネのスタッフと関係者 また、いつか、どこかで会えるといいな。 帰る前に全員で記念撮影。また会おうね 最後になりましたが、白神での交流事業が大成功したのは、屋久島町をはじめ、屋久島環境文化財団、深浦町、町立いわさき小学校、青森県立木造高校深浦校舎、ウェスパ椿山、アオーネ白神十二湖の皆さまのおかげです。ありがとうございました。また、取材して下さった報道各社に深く御礼申し上げます。 Post Views: 194
屋久島との交流2014 第二弾「かんじきウォークとロボットカメラ」 新雪が降り積もったブナの自然林の中を歩く子どもたち=写真はいずれも深浦町の十二湖の森で 深浦での二日目。屋久島の小学生と、深浦の子どもたちが交流する日がやってきました。舞台は、白神山地の裾野に広がる「十二湖の森」。 まず、十二湖の森を一望できる高台で記念撮影 世界自然遺産地域内の厳冬期は、数メートル規模で雪が積もるので近づくのは困難です。でも、この森は、観光地でありながらも、ブナなどの自然林が広がっています。 白神の3人娘は、屋久島で去年、お世話になった牧さんと ゆえに、登山になじみのないお客さんでも、世界遺産の森の雰囲気を味わってもらえる場所とされているのです。癒しの効果がある「森林セラピー基地」として、昨年、専門家からの認定も受けました。 厳冬期の鶏頭場の池。一部が結氷している 西田さん(左端)のガイドで、新雪の道をスタート 真っ白な粉雪が、新雪として降り積もる朝、深浦町の「マタギ」・伊勢勇一親方と白神ガイドの西田秀一さんの案内で、全員が「カンジキ」を装着して歩き始めました。8人の屋久島の子どもたちを先頭に。 細かな雪が静かに降り続く十二湖の森 雪の中で初めてのカンジキ体験。歩きづらい・・ 深浦からは、町立いわさき小学校の6年生ら10人のほか、町立岩崎中学校、青森県立木造高校深浦校舎の生徒、小学校の先生、保護者らが参加。総勢約40名が、水墨画のような雪景色の遊歩道を、およそ2キロにわたって歩きます。 ブナの自然林の中を一列になって歩く子どもたち 息が切れるけど、楽しいね。うん、池の氷の上に足跡がついているよ カンジキは雪輪(ゆきわ)とも呼ばれ、クロモジなどの枝を素材に曲げて作ります。足を載せてひもで縛ると、雪の上でも沈まずに歩ける先人の知恵。古くは青森県八戸市の縄文遺跡からも、似たような構造の道具が出土しているそうです。 カンジキのつけ方を伊勢親方から学ぶ ただ、雪国の伝統的な文化でありながら、ほとんどの白神の子どもたちが、装着したことがありません。普段は、除雪した道や雪が積もっていない場所しか歩かないため、触ったこともない子ばかりです。ちゃんと歩けるのか、心配。 新雪の中に倒れこんで、感触を確かめる屋久島っ子 深浦っ子も負けてはいません この日の朝の気温は、氷点下5度。12月末としては冷え込みましたが、子どもたちは元気いっぱいです。頭上を覆う木々の枝や幹に雪が降り積もり、真っ白なドームのようになった林道を歩きます。 雪が降り積もったブナの自然林の中で観察会 「すごい。何もかもが真っ白だ」。 「池に氷が張ってるよ。あの上を歩いてみたいな」。 屋久島っ子から、次々と歓声があがります。 未明から降り積もった雪には、人の足跡や車のタイヤ痕がありません。 まさに、新雪のバージンロードです。 マタギの伊勢親方(左端)と雪に残った動物の足跡を見る 途中、動物の足跡が道を横切っていました。 「これは、テンだ。今朝、歩いた跡だね」と、伊勢親方。 「たぶん、ウサギを追って来たのかな」と、教えて下さいます。 新雪の積もる遊歩道に現れたホンドテン 雪の上を駆け抜けるトウホクノウサギ 「屋久島にテンはいないけど、どんな動物なの」との質問が屋久島っ子から。 すぐさま白神の中学生が、「鳥やウサギを食べるよ」。 「体に真っ黄色の毛が生えている」と回答。 笑顔の高校生が、「夏と冬で毛変わりする哺乳類よ。冬眠しないから、真冬でもロボットカメラによく写るのよ」と解説してくれました。 マスコミの取材を受ける深浦っ子 白神の子どもは雪は慣れっこ。でも、カンジキは・・ ガイドの西田さんからは、ブナの樹齢や木の上に生えるヤドリギなどのお話が。屋久島っ子たちは、「山の木に、葉っぱが一枚もないのが不思議」と、真冬の神秘な森の光景に魅せられた様子でした。 ガイドの西田さんの話を聞く 律子さんから森の説明を聞く そして、十二湖の景観を代表する「青池」に到着。そこで、白神の参加者から、驚きの声があがりました。いつも見慣れている美しい色彩と違い、薄墨を流し込んだような地味な色の黒っぽい水面だったからです。 青池が青くなかったよ!。驚きの光景が・・ 「こんな色の青池、初めて見た」。 「十二湖の自然って、謎だらけだな」。 「仲間たちに、冬の青池へ行った、と自慢できる」。 参加した大人も子ども、興奮した様子で声をあげています。 この森は、冬季は閉鎖されており、一般の人は入れない場所だからです。 カンジキにも慣れて、急な坂や階段もヘッチャラ 厳冬期の青池広場は神秘的な風景だった 青池を背に記念撮影をした後、青池広場から続くブナの自然林を歩いて帰途につきます。約2時間の行程でしたが、慣れないカンジキに悪戦苦闘しながらも、全員が最後まで頑張りました。お疲れさま。 お兄さんたちに交ざって、いわ小の2年生・文哉くん(手前)も完走。雪国っ子は強い! 新雪のバージンロードを歩く子どもたち フィールドワークの最後は、アオーネの敷地内に仕掛けてあるロボットカメラの見学。今回の交流事業のために、約10日前から、地元の高校生らが設置しました。 ロボットカメラの説明をする高校生たち アオーネに仕掛けたロボットカメラの前に現れたウサギ 俊敏な動きをするホンドギツネ 何が写っているのか、子どもたちは興味深々。 高校生が操作すると、10日間の間にレンズの前を駆け抜けた動物たちがモニターへ映し出されました。 「きれい・・」 「すごく、可愛い」。 ウサギ、キツネ、テンが、雪の上で躍動しています。 「白神って、こんなに野生動物がいるの」と、顔を寄せて見入っていました。 遊歩道を走り去るトウホクノウサギ ロボットカメラで撮影された動物の説明を聞く ロボットカメラを窺うホンドテン お昼ご飯を食べた後、地元の名所でもある不老ふ死温泉で入浴体験。ちょっと寒いけど、露天風呂にもチャレンジしました。赤茶色のお湯の色に驚きましたが、カンジキ・ウォークで冷え切った身体が芯から温められたそうです。 休憩のたびに新雪へダイブ。気持ちいい! 雪にまみれて遊ぶ屋久島っ子。風邪引くよ この後は、いよいよ研究発表会。その様子は次回に続きます。 青池のテラスで、子どもたちが全員で記念撮影 Post Views: 177
屋久島との交流2014 第一弾「雪国へ到着」 粉雪が降りしきる中、屋久島からの子どもたちが到着した=写真はいずれも深浦町で ユネスコの世界自然遺産に日本で最初に登録された、「屋久島」と「白神山地」に暮らす子どもたちの交流プログラムが、12月25日のクリスマスの日から深浦町で実施されました。 毎日新聞に掲載されました http://mainichi.jp/area/aomori/news/20141228ddlk02040112000c.html 東奥日報に掲載されました http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2014/20141229105507.asp 雪化粧した椿山。屋久島から訪れた6年生の男子が撮影してくれた この交流会は、遺産登録20周年を機に、お互いの地域の自然や文化を学習し、発表する場を作るために始めたもので、今年が2回目。屋久島から訪れた8人の小学生に、冬の白神山地の自然や暮らしを体験してもらうのが狙いです。 屋久島から到着。吉田町長にお土産のポンカンを手渡す子供たち 今回の訪問団は、島内の小学校から選抜された男子3人、女子5人の6年生と、引率の「屋久島環境文化センター」のスタッフ3名らの計11人です。そして、この団体に、岩川浩一・屋久島町副町長らも同行され、まず、深浦町役場で、吉田満町長に表敬訪問されました。 子どもたちへ歓迎の言葉を述べる吉田町長(左)と菊池副町長 緊張した面持ちの子どもたちを前に、吉田町長が、「遠かったでしょう。飛行機は屋久島から何機乗り継いだの?。え、3機、本当にごくろうさまでした。では、初めての雪国と、冬の白神山地を満喫してください」と、歓迎の言葉。 子どもたちに白神の話をする吉田町長 一人ずつ、自己紹介をした6年生たちが、町長から青森県の印象を問われると、「寒くてびっくりしました」、「早く雪合戦や雪遊びがしたい」と、予期せぬ寒さに身を縮めながらも、期待に目を輝かせていました。 屋久島町の岩川副町長(左)から、お土産の焼酎を受け取る吉田町長 そして屋久島側からのサプライズ。島の特産品である「ポンカン」や「三岳」などの焼酎をいただき、その味を知っている一同がニッコリ。白神側からは、交流を新聞紙面で支援して下さる「東奥日報社」の本間記者から、「青森の野鳥」の図鑑が子どもたちへ贈られました。 子どもたちへ東奥日報が出版した野鳥図鑑を配る吉田町長 一行はその後、「ウェスパ椿山」に移動。深浦牛のメンチカツバーガーや雪人参ジュースの昼食に舌鼓。お腹が膨れたら、併設のガラス工房で「トンボ玉作り」に挑戦しました。 名産の「深浦牛」で作ったメンチカツバーガーにかぶりつく 名産の「深浦牛」で作ったメンチカツバーガーを頬張る 屋久島を昨年、訪問した白神の「3人娘」が、印象に残った出来事として挙げたのが、屋久杉を使った木工細工でした。自分で木片を削り、加工したペンダントを今も大切にしています。やはり、「手作りの思い出」は、何物にも代えがたい値打ちがあるようです。 ガラス工房の受付で自分が作る品を選択 トンボ玉のネックレスを試着 トンボ玉は、色付きのガラス棒をバーナーで炙り、液状に溶けたものを金属の棒に巻き付けて作ります。クルクルと回して整った丸い形にすると、飾り用の細いガラス棒を密着して加熱。すべてが溶け合うと、美しいマーブル模様が入ります。でも、難しそう・・・ バーナーでガラス棒を溶かしながら成形されるトンボ玉 インストラクターのお姉さんから指導を受ける 好きな色のガラス棒を選択 「好きな色を選んでね」。工房のインストラクターのお姉さんの声掛けに、出来上がりを想像しながらガラス棒を吟味します。そしてエプロンを着け、いよいよ製作開始。 男子もエプロンをつけて準備OK 真っ赤に燃えるガラス玉 バーナーの火にゆっくりとガラス棒をかざすと、ひときわ赤い炎があがる瞬間が。と、同時に棒が水あめのように溶けはじめました。お姉さんの指導で、金属の芯に垂れ下がるガラスを、慎重に巻き取っていきます。 とても器用にこなしてゆく 男子も手先が器用な子ばかり 水平に保たないと、出来上がりがいびつになるそうです。ゆえに、全員が真剣な表情で臨んでいます。うまく模様が入ったら、割れないよう静かに冷却。「すごく綺麗・・」。「でも、腕が疲れるよ」と、順番を待つ間も、仲間たちの手元をじっと見守ります。 真剣な眼差しで作業を続ける 真っ赤に燃えがるガラス玉を見つめる いつも笑顔の女子も真剣そのもの トンボ玉を冷ましている間に、同施設の展望風呂へ入浴です。温泉で体が暖まったと思ったら、何と、髪の毛も乾かさず、外に走り出て雪遊びを始めたではありませんか。 男女別れて雪合戦 いたずら者の男子が勢い余って転倒。みんな大爆笑 耳が取れてない?、感覚がないのよ。どーれ・・ 遊びの時間は取ってあるのに、それまでに風邪をひくなよ、と注意しますが、まったく聞き入れません。案の定、耳や頬などを真っ赤にして帰ってきたので、「ほら、凍傷になって、耳が取れてなくなるよ」との脅しに首を竦めていました。でも、楽しそうな嬉しそうな笑顔に、心から癒されます。 出来上がったトンボ玉に、「うわー、かわいいね!」 ちょっと着けてみるわ。どう、似合うかしら? 出発する前に、出来上がったトンボ玉を受け取りました。ネックレスかキーホルダーに加工されてます。ガラスが冷えると透明感が出て、輝きが増したように見えます。 すごく綺麗で素敵・・。自分で作ったトンボ玉に満面の笑顔 男子はキーホルダー。カッコいいだろう 皆、自分で作った作品を嬉しそうに眺めたり、身に着けたりしていました。中には、「屋久島の太陽の光に当ててみたいな」という子も。白神の思い出の品が出来たかな。 引率の大人もチャレンジ ありがとうございました。ガラス工房のスタッフらと記念撮影 今夜の宿は、「アオーネ白神十二湖」。子どもたちの到着を待っていたのは、サンタとトナカイのゆるキャラたちでした。一緒に出迎えた西﨑直子支配人が、「ようこそ白神へ。ようこそ十二湖の森へ。雪国の自然と暮らしをしっかりと体験してくださいね。心より歓迎いたします」と優しい笑顔でご挨拶。 宿舎では、サンタのゆるキャラが出迎え 寒ーい。震えながらバスを降りる プレゼントの手袋と靴下を受け取る 同時に、サンタさんから子どもたちへ、防寒手袋と靴下がプレゼントされました。これから3日間の交流プログラムがスタートします。待ちきれない子は、さっそく雪と戯れています。風邪、引くなよ(笑) カチカチに凍った地面の上も、遊びながら走る。「危ないよ!」 Post Views: 130
木造高校深浦校舎の生徒らと流木をチップにする活動④ 十二湖の森でチップを撒く高校生と取材する報道関係者 河川の流木などを集めて木材チップにするボランティア活動が、大詰めを迎えました。青森県立木造高校深浦校舎の生徒たちが、夏の暑い盛りに、深浦町や地元の企業、マタギの伊勢勇一親方らの協力で作ったチップを、同町の観光地・十二湖の遊歩道へ撒く日です。 紅葉に彩られた晩秋の十二湖の森。小さな池の水が少なくなっていた 紅葉シーズンも終わりに近い晩秋の十二湖は、時折、みぞれが降る日もあり、訪れる観光客もまばらです。作業は、同校の全校生徒と教職員80名をはじめ、観光ガイドや町役場職員、地元の有志の皆さんら総勢約100人が参加。手分けして、観光客がよく利用する遊歩道1キロメートルに、約5トンのチップを敷き詰めます。 全校生徒が参加。凛々しい顔つきで先生の話を聞く この森は、ブナやカツラ、イタヤカエデなど、白神山地に自生する種類と同じ樹木が茂り、神秘的な色の青池など33の池や湖が点在しています。険しい世界自然遺産の中心部へ行けない観光客に、気軽に遺産地域の雰囲気を味わって戴ける人気のある景勝地です。 晩秋の森を歩いて、チップを撒く場所を下見する生徒たち 林内を縦横に走る遊歩道は、自然に近い形で整備されていますが、頻繁に利用される区間は傷みも激しくなります。表土が池に流れ込んだり、周辺の植物へ悪影響が出たりするのではないか、と心配される声が出ていました。 作業開始前に、役場の職員から撒く場所などを聞く そのために高校生と町が、流倒木などから自分たちで製作した木材チップを撒くことで、通行人による道への踏圧を軽減し、自然環境の保護へ繋げることができると、考えたのです。 男子も女子も、チップが入った重い土嚢袋を担いで現場へ向かう そして、チップの原料は、白神山地に生えていた地元産の樹木。中でも、河川に放置された流木は、大水のたびに流出して土手を壊したり、川を堰き止めたりして、危険な土石流を誘発させる原因にもなりかねません。そんな厄介者に、新たな「命」を吹き込むことで、無駄のない自然に優しい再生のサイクルを創り上げたのです。 紅葉の森をチップ入りの袋を担いだ高校生の列が進む 用意された土嚢袋に入ったチップは、5キロと10キロ入りの2種類。今年、森林セラピー基地としてオープンした十二湖の遊歩道を、袋を抱えた生徒たちが何往復もしています。そして、土がむき出しになった場所や、水が浸みだしてぬかるんでいる部分に、チップを丁寧に広げました。お客さんが、歩きやすく、癒しを感じてもらえるように、と心を込めて。 3人が並んで、土嚢袋からチップを遊歩道に撒く。左は取材する報道関係者 高校生が撒いたチップを観光ガイドさん(手前)が広げて行く これで、春先から取り組んできた木材チップ関連の作業はすべて完了です。 晩秋の森は、最高の癒しの空間 初夏、集めた流木を運び、砕いたチップを袋に詰めて保管する作業では、参加した全員が炎天下で大汗をかきました。乾燥の途中、仕上がり具合を見るため、袋の中のチェックも欠かしません。そして晩秋、重い土嚢袋を背負って、上り下りのある遊歩道を何往復もしながら敷設。どの工程も、泥や木くずにまみれる力仕事でした。 木陰でひと休み。はにかんだ笑顔の女子生徒たち 最初は、現代っ子の生徒たちが、嫌にならないかなぁ、と心配でした。それが、「力仕事が楽しかった」、「地元の高校生である自分たちが、地元の環境に目を向けることは意義がある」、「都会の親戚が来たら、チップを撒いた遊歩道へ連れ行く」と、作業の終了後に報告してくれました。 遊歩道に一列に並んでチップを広げて行く。狭い場所は手作業で 最後になりますが、一緒に活動して下さった町役場の「町づくり戦略室」の皆さん、様々な形の協力と便宜を図って戴けた林野庁、県鰺ヶ沢道路河川事業所、ホリエイさんと三浦建設さん、チップ製材業者・鈴光さんにお礼を申し上げます。そして、ボランティアで手伝って下さった観光ガイドの方々や地元の有志の皆さま、本当にありがとうございました。 テレビ局の取材を受ける女子生徒たち そして、深浦校舎のみんな。来年以降も、この活動を一緒に続けようね。君たちの頑張りに、多くの大人たちが期待していますよ。 後日、森を再訪し、撒いたチップを見る生徒たち。テレビ局が密着で取材してくれた 今回の活動は、東奥日報、読売新聞、秋田の北羽新報などの新聞、青森テレビ、青森放送テレビなどのメディアが報道して下さいました。マスコミ関係の皆さまにも、心よりお礼を申し上げます。 取材が終わった後、チップの上でみんなが記念撮影 Post Views: 102
サルナシのお酒 キウイに似ているサルナシ(コクワ)の実 果樹といえば、りんごが有名な青森県ですが、実は知る人ぞ知るフルーツ王国です。夏のメロン、スイカを始め、秋にはブドウ、ナシ、プルーン、イチジクなど、地の果物が店頭を賑わせます。 包丁で真ん中を切ると そして、白神の森の中にも、サルナシ、山ブドウといった果実が実っています。それを動物たちが、厳しい冬を前にお腹いっぱい詰め込むのです。 これまたキウイとそっくりな果肉 キノコ採りに山に入るマタギたちも、この「森の果物」を楽しみにしています。が、最近は二ホンザルが増えたせいか、あまり収穫できなくなったと嘆かれます。そんな貴重なサルナシの実が手に入ったので、早速、味わってみました。 ホワイトリカーと氷砂糖などを用意 サルナシはコクワとも呼ばれ、マタタビの仲間。果実はキウイフルーツに似ていますが、小型で、皮はつるりとして毛がありません。半分に割って口に含むと、強烈な甘さが広がります。なにより特徴的なのが、熟して発酵した香り。森の木の実の芳香が部屋中に漂うのです。 清潔なビンにサルナシを投入 これを生かす方法はないかと、ワクワクしながら夫に相談しました。「ジャムにする?、それともフルーツソースを作ってヨーグルトに乗せてみようか」。が、だらしなく寝ころんだままの夫は、「ま、それでいいんじゃない」と、気の無い返事。 氷砂糖も加えます 貴方に期待した私が馬鹿でした。と、思いつつも、「本には果実酒が抜群に美味だ、と書いてあるよ」と言った途端。ガバッと跳ね起きて、俊敏な動きで納戸へ。そして、埃をかぶっていたホワイトリカー(焼酎)を片手に、飛ぶような速さで帰ってくると、「他に何が必要?」と、キラキラした眼。はいはい、お酒が大好きだもんね。 静かにホワイトリカーを注いでゆく サルナシ酒は、梅酒と同じようなレシピで作ります。35度の焼酎に、果実と氷砂糖を入れるだけ。目安としては、サルナシの実500グラムに氷砂糖100グラム、焼酎600cc。これを清潔な瓶に入れて、冷暗所に保管します。あとは、果実のエキスがじわじわと出てくるのを待つだけ。 これで準備万端。あとはエキスが染み出して美味しくなるのを待つのみ 長期熟成にも向くとされており、時間が美味しいお酒に仕立ててくれるでしょう。そうそう、我が家のいやしい泥棒猫が、中身をこっそりと「蒸発」させないよう、チェックも入れておかないとね。いずれ来る乾杯の日が、とても楽しみです。 Post Views: 963
座礁船が放置された浜で高校生らが清掃活動 アンファン号と海岸清掃をする町民。手前はお手伝いに来てくださった白神倶楽部の西田会長 青森県深浦町岩崎地区の海岸に、カンボジア国籍の貨物船「AN FENG8」(アンファン号)が座礁して、約一年半。今も放置されている船は、漂流しないようロープなどで係留されていますが、日本海の荒波にもまれて船体が折れてしまい、積み込まれていた装備品や道具類などが流出している状態です。そのため、美しかった浜はゴミや漂着物などで見る影もなく汚れ、海水浴場だった海岸は危険な船の残骸のために、立ち入りが制限されています。 ★朝日新聞さんの記事 http://www.asahi.com/articles/ASG884SB7G88UBNB00H.html ★毎日新聞さんの記事 http://mainichi.jp/area/aomori/news/m20140808ddlk02040065000c.html ★読売新聞さんの記事 http://www.yomiuri.co.jp/local/aomori/news/20140815-OYTNT50481.html ★青森朝日放送さんとATV青森テレビさんが放映して下さいました 清掃活動の前に、町の職員から注意事項を聞く参加者 浜を汚すアンファン号の装備品。ゴミとして処分できないので、保管されている 冬季の甲板作業着。アンファン号から流れ出た その海岸で、地元の県立木造高校深浦校舎(笹浩一郎・校長)の生徒が、町役場の協力で、地元の有志の方々と一緒に、清掃活動をしました。数日間降り続いた大雨で、浜には流木がゴミと共に大量に打ち上げられ、足の踏み場もないような状態。でも、生徒たちは文句ひとつ言わず、燃えるもの、燃えないもの、スプレー缶などに分別して収集し、処理施設へ送りました。 ゴミ袋が一杯になるまで集める女子生徒 台風の余波による大荒れの天気で、海岸にはゴミが山積みになっていた 今回の清掃ボランティアも、高校生たちへの「環境と防災教育」の一環です。放置され、壊れてしまった船が、地域へどれだけ迷惑を掛けているのか、この先、どう処理されて行くのか、などを学習するのが目的です。同時に、早期の撤去へ向けて、何か一つでもお手伝いしたい気持ちが募っての行動でした。国土交通省や海上保安庁、県の関係機関などへ、船主の責任で撤去して貰えるように訴えていますが、なかなか事態は進捗しないからです。 写真が大好きな深浦校舎3年生の香純さんも、撮影を手伝ってくれた 海岸で、カメラを構える香純さん。同窓生の表情を見事に捉えていた 県や町は、早期撤去に向けて、様々な形で、船主や保険会社、国などへ働き掛けています。が、船主の中国人とは、連絡がつかない状態が続いているそうです。そこで県は、海岸を整備したり守ったりするための「海岸法」の改正を国へ働きかけました。 顔をしかめながらも、ゴミを拾う。酷い匂いの物もある=香純さん撮影 中腰で、自分が担当する素材のゴミを集める女子生徒=香純さん撮影 アンファン号は、船体の前半分が陸に乗り上げており、後ろの半分が海に没しています。そのため、現行の法律では、海上にある放置船の処理命令を自治体が出すことが難しかったからです。県が管理する海岸を規制する法律では、船の撤去命令を船主側へ出すこともできなければ、行政の代執行で撤去することも出来ませんでした。 中国語の表記があるドラムカン アンファン号から流出した物かもしれない それが、早期解決を求める地元の声が国へ届いたのか、今春、海岸法が改正されて、県が船主などへ法的な撤去命令を出せるようになりました。そして、持ち主らが応じなかった場合や緊急時には、行政が代わって執行できるようになったのです。法の縛りが解け、三村申吾・県知事のもと、県や町の職員らが一体となって、解決へ向けて動き出されています。 夏休みなのに、大勢がボランティアで参加してくれた 時には嫌なものが転がっている時もある。それでも、文句ひとつ言わず働く=香純さん撮影 ところが、予期せぬ事態から、深刻な問題が生じ始めています。撤去にかかる費用を、誰が出すのかが、不透明になっているのです。本来、こうした座礁船は、持ち主の責任で撤去することになっています。が、アンファン号の船主である複数の中国人が、責任のある行動を見せていません。県や町はこれまで、十数回に亘って、この船主らに船の撤去要請をしてきましたが、返答はなく、今も、連絡がつかない状態が続いているのです。 同じ集落の柴田さん。私らの会の活動に賛同して下さる大先輩 先頭に立って働く柴田さん。地元の子供たちへ深浦の伝統文化を伝える活動もされている=香純さん撮影 日本へ入港してくる外国籍の船は2005年3月から、船舶責任保険(PI保険)への加入が法律で義務付けられています。総トン数が100トンを下回る船や公用の船舶は除外されていますが、この保険に加入していない船の入港は禁止されています。 危険なスプレー缶なども数多く収集した=香純さん撮影 赤錆びたドラムカン。何が入っているかは不明‥=香純さん撮影 これは04年4月に、「船舶油濁損害賠償保障法」が改正されて、決まったもので、保険金の支払い対象は、「日本の領海と排他的経済水域で起こした燃料油による油濁損害」、「船体の撤去に係る費用」です。アンファン号も、PI保険に加入していました。それゆえ、いざとなれば、保険会社が撤去費用を賄ってくれる、と、県や町の関係者は考えていました。 私らの会の大間越3人娘も参加。最年少にもかかわらず、動きが良い 先頭に立って働く柴田さんと3人娘。同じ集落なので、とても仲良し が、ここにきて、その雲行きも怪しくなってきたようです。それは、アンファン号が加入している保険会社が、「座礁事故に対して船主が適切な行動を取っていない場合、PI保険が適用されない」という保険の規定(約款)があると主張。「船主と連絡がつかないうえ、船も放置されたままの現状では、保険の適用が難しい」と判断している、との情報が聞こえてきました。 生徒たちの前で、写真を掲げながら哲二が講義。風体が怪しすぎる‥=香純さん撮影 哲二(手前)と町役場の松沢戦略室・室長(手前左)の話を聞く参加者=香純さん撮影 これは、深刻な事態です。船主と連絡が取れないうえ、保険が適用されないとなると、県が代執行して船を撤去しても、その費用を支払ってくれる相手がいません。そうなれば、国や県の予算から捻出せざるを得なくなってしまいます。これは、税金です。正式な数字は判りませんが、撤去費用には約3億円ほどかかると試算されているそうで、それ以外にも、すでに船の固定や油の抜き取り作業などで、約5000万円が費やされています。 汚れ仕事も厭わない女子生徒たち。蒸暑いので、ちょっと一服 力自慢で頼もしい男子生徒たち。いつも溌剌としている=香純さん撮影 台風の接近で、曇天だが蒸暑い。スポーツドリンクなどで水分補給する女子生徒たち=香純さん撮影 昨年の3月、嵐の海で座礁したアンファン号から乗組員を救助。無事に祖国まで送り届けたのに、危険なスクラップ同然の船を放置したまま、連絡もして来ない状況が続くのは、遭難者へ誠意をもって対応した青森県民として許せない気持ちになります。 深浦校舎の教職員・古跡先生が、記録担当。すぐ横を白神倶楽部の西田会長(左端)が横切った 片時も休もうとしないで働く女子生徒。深浦の子供たちは、素晴らしい=香純さん撮影 こうした外国籍の座礁放置船は、青森県だけでなく、実は日本各地に存在しているそうです。国の行政機関である国土交通省や海上保安庁などから聞いた話では、北は北海道の根室半島から、南は沖縄県の尖閣諸島にまで、2014年現在で12隻が残されています。 作業が終了。主催者の話を真剣な面持ちで聞く参加者ら=香純さん撮影 放置された地名船籍(旗国)所有者船の種類総トン数発生日時PI保険油流出 ①北海道根室市納沙布岬ロシアロシア貨物船1721992.12.27未加入有 ②北海道根室市花咲灯台ロシアロシア貨物船611999.12.07―有 ③北海道浜頓別漁港シエラレオネロシア貨物船142012.02.15―無 ④青森県深浦町カンボジア中国貨物船19962013.03.02加入有 ⑤大分県佐伯市蒲江深島ベリーズ中国曳き船491994.08.02―有 ⑥長崎県長崎市野母崎樺島町韓国韓国クレーン台船1502000.02.27未加入無 ⑦宮崎県宮崎市日南海岸ベリーズ中国浚渫(しゅんせつ)船59102010.10.24未加入無 ⑧鹿児島県大島郡宇検村ベリーズ韓国冷凍運搬船3421996.08.13未加入有 ⑨鹿児島県南さつま市宇治群島モンゴル不明貨物船1062007.05.20不明有 ⑩沖縄県伊良部島モンゴルシンガポールタンカー992013.01.14―有 ⑪沖縄県竹富町西表パナマ香港貨物船3661991.10.30未加入無 ⑫沖縄県尖閣諸島南小島西台湾不明漁船202001.11.07―無 撤去に向けて、動き始めている自治体もありますが、すでにあきらめて放置したままの場所もあるようです。上記は、2014年7月現在の放置された外国船がある場所と、座礁日時などを書き込んだ一覧表です。これを見る限り、ほとんどの船が、大都市周辺でなく、人口が少ない「へき地」と呼ばれる地域に残されています。うがった見方かもしれませんが、中央政府からも遠く、住民たちの声が大きくなりにくい場所だから?、と訝(いぶか)しんでしまいます。 「先生!。ほら、シャッターチャンスよ」。古跡先生を香純さんがサポート ゴミの山を乗り越えて収集活動する女子生徒たち 実は、世界中でも、こうした放置座礁船が問題になっています。判っているだけで、2007年のデータで約1300隻の放置船があるそうで、年々増えていると報告されています。そのため、「海難残骸物(座礁放置船など)の除去に関する国際条約」と呼ばれる、「ナイロビ条約」もしくは別名の「レックリムーバル条約」が、2015年4月に発効される予定です。 「なにこれ?」。様々なゴミが打ち寄せられている=香純さん撮影 集めても集めても、限がないほど積みあがった漂着ゴミ この条約の趣旨は、船舶の航行や海洋環境に危険を及ぼす「海難残骸物」を、素早く、効果的に取り除き、それに掛かった費用を、船主や保険会社などへ確実に手当させるための国際的な法整備を行うのが目的です。具体的には、海難残骸物を除去する義務を船主に課し、その義務が自発的に履行されない場合は、締約国による代執行を認め、その費用を負担させるための強制保険制度が導入されています。この条約に批准すれば、PI保険に当該の座礁船が加入している限り、船主から撤去費用を取れなくとも、保険会社から強制的に徴収できるのです。 深浦校舎の吉田教頭先生(中央)も参加。熱心に生徒に寄り添って下さる=香純さん撮影 「律子さん、これ何ですか」。きっちりと分別するため、質問に来た女子生徒=香純さん撮影 しかし、今のところ日本は、この国際条約に批准する予定はないそうです。日本では一足早く、これに近い法律となる「船舶油濁損害賠償保障法」の改正法を05年から実施しています。が、その盲点を突くかのように、船主が逃げてしまったり、きちんと対応しなかったりしたら、約款違反で保険が適用されそうにない、という現実を突きつけられています。今回のアンファン号の件は、外国籍座礁放置船問題が、一地方だけで解決できるような事案ではなく、国を挙げて取り掛からなければならない、「深刻な国際問題である」と、知らせているようです。 伊勢親方も清掃に参加 体調を崩しているにもかかわらず、親方は来てくださった。「若い衆が頑張っているのに、臥せってられるか」 座礁船がある海岸線は、夏場の磯タコ(マダコ)や冬に寄って来る大型の樽イカ(ソデイカ)、春は海藻のモズクなどが収穫できる豊穣の浜として、昔から、地元で暮らす方々に利用されてきました。地域の方々は、毎朝夕、浜を歩き、その季節ごとの「寄り物」を拾ったり、海藻類を採取したりするのを楽しみにしていたそうです。それが、座礁船のおかげで、これまで獲れていた魚介類がほとんど手に入らなくなり、浜も自由に出入りできなくなった、と困惑しています。 海岸に打ち寄せられたゴミを集める親方(右端)たち。昨年からまったく収獲がない、そうだ 天候が悪く、短い時間しか出来なかったが、結構な量のゴミが集まった 今から約20年前、白神山地が世界自然遺産に登録された基準は、「陸上、淡水、沿岸および海洋生態系と動植物群集の進化と発達において進行しつつある重要な生態学的、生物学的プロセスを示す顕著な見本であるもの」とされています。この素晴らしい自然遺産を守ってゆくには、登録された青森、秋田県境の山岳地帯にある核心の地域だけでなく、周辺の森や河川、沿岸海域までを、一続きの生態系として保全してゆく必要があります。 収集したゴミは、軽トラックの荷台を満載に テレビのカメラマンに撮影されながら、頑張る参加者 今回の海岸清掃は、世界自然遺産・白神山地に係わる地域の子供たちが、自然保護への意識を高める目的と、外国放置船の処理に関する諸外国との国際的な関係を考えてもらうために、実施しました。また、地元から声をあげ、行動することで、放置船対策へ、国がもっと積極的に関わってくれるよう、報道機関などから世論を高めて戴けるように繋げるのも大きな目的でした。 ドラムカンの説明をする場面を取材する報道関係者=香純さん撮影 朝日新聞の須田記者にインタビューされる女子生徒。「いいべ深浦」の山本さんが見守った=香純さん撮影 テレビ局は、地元の青森朝日放送やATV青森テレビ。新聞各社は、地元の東奥日報、全国紙の毎日新聞、朝日新聞などが取り上げて下さいました。ありがとうございました。参加してくれた深浦校舎の生徒たちからは、「世界遺産は、ブナ林だけが大切なのではない。恵み豊かな海が早く返ってきてほしい」、「もし、税金が撤去に使われるなら、苦労している親を見ているので、やりきれない」、などの意見が出て、手ごたえを感じています。できれば、船が持ち主の責任で撤去されるまで、活動を続けたいと考えています。みなさまもご支援戴きますよう、お願い申し上げます。 座礁船が放置された浜で清掃と環境学習をすることで、この問題の意味を理解できた、と感想を述べてくれた 働き者の男子生徒=香純さん撮影 しっかり者の女子生徒 Post Views: 433
私たちの集落で土砂災害が発生しました 濁流となってJR五能線の鉄橋下を流れる津梅川 たび重なる台風の接近と前線の影響で、日本各地で大雨が続いています。深浦でも一昨日の夜半から激しい雨に見舞われました。深夜まで調べ物をしていたら、トタンの屋根を叩きつけるような雨。「ま、大丈夫よ、ね」と、布団をかぶったら、翌朝、けたたましく電話のベルが鳴ります。「うーん‥、今、何時?。誰?」。出てみると、知り合いの新聞記者からでした。「浜田さん、そっち大丈夫ですか?。大雨による土砂崩れで、集落が孤立していると聞いてますけど」。 ★読売新聞さんの記事 http://www.yomiuri.co.jp/local/aomori/news/20140806-OYTNT50549.html ★青森朝日放送さんの動画ニュース http://www.aba-net.com/news/news004.html ★青森テレビさんの動画ニュース http://www.atv.jp/news/index.cgi?md=p&id=19766 (上記URLをコピペして、検索してみてください) 国道101号へ流れ出した土砂。通行が遮断された 「えー。うそ!」。寝ぼけ眼で、テレビとパソコンのスイッチを入れる夫・哲二。画面を食い入るように見ていますが、詳しい情報は何も流れていません。蒸暑かったせいで、汗ばんだTシャツを脱ぎ捨てているので、パンツ一丁の姿がとても情けない。ただ、顔だけは真剣なので、余計に滑稽です。「へぇー、やっぱ災害と聞くと、カメラマンの血が騒ぐのね」、と感心していると、別室の機材庫からカメラを取り出し、バタバタと出かける準備を始めています。で、「おい、何してるんだ!。行くぞ」と、非難するかのような口ぶりで、こっちを振り向きます。 何台ものトラックがピストン輸送で土砂を運んだ 「えー、私も?」。嫌だなぁ、朝早くから、雨に濡れるのは、と、思いつつも、こんな時に口答えすると、烈火のごとく怒るので、渋々と後を追います。が、野外へ出て、びっくり!。いつも水が流れているのかどうか、判らないような側溝の穴から、噴水のように茶色く濁った水が噴き上げています。夫の顔を見ると、なぜか目が爛々と輝いている始末。あー、もうダメ。こうなったら、納得いくまで、帰らないわね‥。仕方ない。お付き合いしましょう。雨は小康状態になっていますが、山に降った量が半端じゃないらしく、道が川のようになっています。 お隣の集落を流れる白神川はもっと酷い状態に。鉄橋や建物に濁流が迫る勢い シノリガモを観察する川へ行くと、もう、見たことがないような姿に。ゴウゴウと音をたて、大きな石も流されているのか、水中から雷のような地響きが、ズシン、ズシンとしています。「す、すごい‥」。息を飲んで立ち尽くしていると、近所に住むシノリガモ観察の3人娘とそのお母さんが、心配そうに様子を見に来ていました。が、夫は、見向きもしないで、カメラを構え続けています。ほー、いつになく、真剣ね。「さぁ、次だ」。あっという間に車に乗り込み、土砂崩れの情報がある国道101号へ。対向二車線の道路は、あちこちで冠水し、走る軽トラックが、水しぶきで見えないぐらいです。ものの5分で、土砂崩れの現場へ到着。 復旧作業が続く脇をお年寄りを乗せて病院へ向かうワゴン車がすり抜けた いつも、道路脇へチョロチョロ水が漏れ出ている小さな沢から、大量の土砂が流れ出し、国道が完全に塞がっています。その上を真っ茶色の激流が飛沫をたてて、流れ落ちて行きます。すでに、復旧のための重機が来て、土砂の撤去を始めていました。その脇を役所や宿泊施設などへ勤める地域の方々の車がすり抜けていきます。国道の抜け道の手前が崩れたのが、もっけの幸いでした。土砂はゴロゴロし、水も流れていますが、何とか通行できそうです。ずぶ濡れになって戻って来た夫は、「よし、次は秋田県境だ」と、もの凄い勢いで車をバックさせていきます。 国道に流れ出た土砂を懸命に除去する 完全にスイッチ・オン。こうなったら、もう、止まりません。まさに、暴走機関車のように走り続けます。通行止めになっているので、交通量は少なめですが、すれ違う車の方々も血相を変えてハンドルを握っておられます。地区の総代さんや役所に勤める友人たちもです。県境まで後1~2キロの所で、道路にバリケードが。知り合いの駐在さんが、いつになく真剣な顔で駆け寄って来られました。「あー、浜田さん。秋田へは行けないよ。斜面が崩れて、完全に塞がっている。午前中に復旧すれば、いいけど‥」と、顔を曇らせています。が、夫は、あっという間にバリケード内へ入り込み、約100㍍上の斜面に目をやったかと思うと、カメラを構えて撮りはじめました。 山に降った雨水が国道101号にあるトンネル脇の側溝を滝のように流れ落ちる なんと、斜面の中腹にあるJR五能線の線路が、宙づりになっているのです。増水した沢水に枕木の下へ敷き詰められた土砂が流され、約20~30㍍の区間の線路がむき出しになっています。が、高い位置なので、それを見守る保線作業員の表情も、下からでは窺い知ることが出来ません。この状態を見るだけでも、本日中の復旧は難しそうです。 枕木の下にあった土砂が流れ出し、宙づりになったJR五能線の線路 で、夫です。「おい。帰るぞ。夕刊用に送ってやらなければ」とポツリ。「えー、新聞社の仕事は辞めたのに、何でよ?」と聞くと、「電話をくれた彼が現場到着するのが遅れていたら、手助けするのが筋だろう」と、なぜかぶっきらぼうに答えます。ちゃらんぽらんな所も多いのですが、「仕事スイッチ」が入るとこうなのよね。トタトタと車に向かって走る姿を見て、思わず吹き出してしまいました。「ま、好きになさい‥」。 JR五能線が走る斜面上は、流れ落ちる水と共に大量の土砂が崩れ落ちていた そして、自宅着。断水の恐れもあるので、お風呂や鍋、バケツなどに水を溜めていると、何やら電話で話し込む声が。災害を知らせてくれた地元新聞の記者だけでなく、最近交流が出来つつある全国紙の記者やテレビ局の記者らと話し込んでいます。売り込むのはいいけど、今日は週末に来る友人のために、秋田の能代市へ買い出しに行く約束でしょ。ホラホラ早くして。 採石場の入り口も完全に水没していた 午後になって、道路はほぼ復旧。秋田へ向かう国道101号も、所どころ崩れていますが何とか走れます。車を止めて取材したそうになる夫ですが、大雨と災害取材の峠は越えています。「ホレ、もう終わりよ。昔の仕事の余韻にひたるのも、ね」。そして、買い物先のスーパーでは、いつもの夫に戻っていました。カートを押しながらも、自分の欲しい食材の前でウロウロし、私の目を盗んでカゴに入れています。 左の脇道が無ければ、朝の通勤時間帯に交通がマヒしていた 夕方、帰宅してテレビをつけると、朝日放送系列の「ABA青森朝日放送」さんとTBS系列の「ATV青森テレビ」さんが、午後6時のニュースで、夫の写真を使ってくれていました。そして、毎日新聞さんや読売新聞さんにも。良かったね。さぁ次は、週末のボランティア活動へまい進するよ。そっちも、大切だからね。会社を辞めて、のんびりと暮らすために移住した白神山地の小さな村。なぜか、春から夏にかけて、毎年のように忙殺される出来事が起こります。いや、起こさせているのかな、「働き蜂」の夫が。私は、北国の短い夏をゆっくりと楽しみたいのに。あー、木陰で、静かに読書がしたい。夫抜きで、ね(笑) まだまだ手持ちでスローシャッターが切れると胸を張る夫。でも、この写真はどこの社にも採用されなかった Post Views: 253
「鹿島(春日)祭」の神事2014 今年も執り行われた鹿島の神事 浜に戻ってきた春日丸。村人が見守る中、海へ向かう 今年も「鹿島(春日)祭」の季節が訪れました。毎年、私たちのホームページで取りあげていますので、もう内容的には書くことがありません(笑)。でも、地域の方々が楽しみにしている神事であり、今後も継続し続けたい大切な伝統行事でもあります。 行列が出発する前、春日丸の前で拝礼 青年会館から運び出される「春日丸」 お化粧してもらう男の子 それゆえ今回は、年々、参加者が高齢化などで減り続け、存続が心配されている現状を報告いたします。写真は毎回、夫がコマめに記録していますので、いつものようにたくさん貼り付けます。 お祭りの行列の後ろから春日丸を見る 太刀棒を激しく打ちつけ合う男衆 太鼓や笛などのお囃子も後継者が必要 五穀豊穣と大漁を祈願し、家内の安全と幸せを願う、県の無形民族文化財に指定される鹿島祭。毎年、田植えが終わる頃の初夏に執り行われます。 子供たちに太刀振りの指南 祭りの主役は子供たちに変わりつつある お化粧してもらう女の子 ただ近年、若者の都会への流出や地域住民の高齢化が進み、伝統的な形式で神事を継続できなくなる可能性が出てきているのです。 お祭りの行列も短くなってしまった、と嘆くお年寄りも それでも祭りの列が通りかかると、集落中の人が見物する 舟宿に置かれた春日丸の周りに集まる女衆 今のところ、主要な内容に大きな変化はないのですが、昔は10班各自に1軒ずつ設けられていた舟宿が、今年からは3班で1軒ずつに変更されました。 舟宿での団らん。このひと時がないと、最後まで歩けない 何でも食べ放題に飲み放題。子供たちはお祭りが大好き 大はしゃぎで、ポーズをとってくれる。みんな素直で良い子ばかり これは、各家庭がお年寄りだけの世帯になり、行列を迎え入れる準備や賄いのご馳走を作るのが、負担になってきたからです。そして、各班を構成する世帯が減っていることも、大きな要因です。 梅雨の晴れ間、集落内を走る国道沿いを歩く行列 国道沿いの若いご夫婦の家の前で 我が家からも気持ちだけのご祝儀を さらに、祭りの花形である太刀振りやみこしの担ぎ手が高齢化し、地域の方々も、このまま存続してゆけるのかどうか、と先々の不安を語り合っています。過疎と限界集落化が進んだ結果ですが、一抹の寂しさを感じられます。 駐在さんのパトカーの先導で出発 お巡りさんも祭りが安全に終わるまで、付きっきりでサポート 国道を行列が渡るときは、地区の重鎮が交通整理をする 今から、この集落に若い人が移住してくれるとは考えにくく、いずれは滅びてしまうかも知れません。祖先から受け継いだ伝統行事が未来の子供達へ継承されることを、地域の「祭りの保存会」の皆さんも切に願っています。 タチアオイの花が咲く横を行列は進む 春日丸が浜に帰ってくるのを待つ集落の人たち 行列が浜に帰って来た が、このまま過疎化が進むと、現実は厳しいと言わざるを得ません。そこで、私たちが考えているのは、都会の若者、特に社会へ出る前の大学生らが、祭りのお手伝いに来ていただけないか、という提案です。 男衆の手で海へ流される春日丸 沖合の船に向けて、男衆が泳いで曳航する 沖合の船に引き揚げられる春日丸を見守る子供たち 大都会の都市部では、地域のコミュニティーが崩壊し、若者が伝統的な神事や祭りなどに参加することが難しくなっています。ゆえに、その若者たちに、深浦町で実施される祭りの準備から実行作業までを、地域の方々と手を携えてやってもらう、というボランティア事業の案です。そして、祭りを通して町民と交流しながら、深浦の素晴らしさを実感して貰うのも狙いです。 太刀棒を海へ放り投げる男衆や子供たち 太刀棒を海へ放り投げる子供たち 太刀棒を海へ放り投げる男衆 放り投げられた太刀棒の周りを泳ぐ子供たち 今、心当りの学生さんたちにお声掛けしている最中です。もし、この記事を読んで、我こそは、と手を上げるグループがあれば、ご連絡ください。この記事のコメント欄に連絡先を書き込んで戴ければ、こちらからご返信いたします。 船を見送る集落の人たち 春日丸を流すために沖へ向かう漁船 子供たちの未来のためにも、祭りの存続を願わずにいられない 読者の皆さま、よろしくお願い致します。 ご閲覧に感謝します。 Post Views: 190