白神山地に棲む哺乳動物の頂点に君臨しています。人間のほうが上だ、という指摘もあるでしょうが、武器もなく対峙したら、まず勝てません。鋭い爪と牙、そして人間の手足ぐらいの丸太なら簡単にへし折ってしまう馬鹿力の持ち主です。私たちも山を歩くときは、必ずクマよけスプレーと鉈(なた)、しっかりとした杖を手にしています。春先に親子連れなどと突然出くわすと、大変なことになりますので、我が身を守るためにもこの3点セットは必ず持っていきます。
ネコ目クマ科に分類され、主に木の実などの植物質のものを食べていますが、昆虫や肉もしっかり食べる食肉類です。アジアクロクマとも呼ばれ、北海道に生息するヒグマよりもひと回り以上は小ぶりです。本州以南に棲息していますが、九州では絶滅宣言が出され、四国でも相当数が減っているようです。特に九州や四国は有数の林業振興地なので、植林したスギやヒノキの皮をはいでしまう事から有害鳥獣として駆除対象になったのも、大きく数を減らした要因のひとつです。
白神では、山菜やキノコ採りに出かけると、3回に1回は遠方で見かけたり、通り過ぎたあとに木から滑り降りてきたりして、クマを目撃できる確率の高い森です。が、距離が遠すぎるのと、こちらが気づく前に不意をついて木から降りてくるので、なかなかきっちりと撮影できない、と夫はこぼしています。
更に森へ行くと、クマのサインがいくつかあります。ナラやミズキなどの樹の上に、寄生木(やどりぎ)のような枝の固まりがあります。これはクマが木に登って新芽や実などを食べた「クマ棚」です。白神の森をマタギと歩きますと度々みられますが、その季節ごとの木の実や野いちごなどの実り具合、山菜の繁茂の量で、棚が見られる数も違ってくるようです。そして、クマがよく登る木には、無数の爪痕が残っています。母子もあれば大型のオスの深い爪痕もあります。特にブナの木肌の痕跡は目立つので、マタギたちは行動のひとつの指標にしているようです。
地元のマタギを始めとする狩猟者にとって、クマは重要な存在で、古くから獲られてきました。肉はもちろん、内臓や脂肪、毛皮や骨も余すことなく利用されています。記録によると、江戸時代には津軽藩へ肉や毛皮、熊の胆などが献上されていたそうです。
白神山地のクマは有史以来、哺乳類の頂点として森の中で君臨してきました。しかし、知恵と道具を得た人間が、その地位を脅かしました。特に縄文以前の時代からクマを狩り続けてきた狩猟者(マタギ)の存在は、恐るべき天敵で、何度も生きるか死ぬかの争いを繰り広げてきたようです。
それが、時代の変化とともに、様変わりしつつあります。白神山地の麓の村々では、過疎と限界集落化が進み、狩猟で生計を立てる人がいなくなってきたのです。クマ狩りには、様々な手法が用いられています。東北のマタギたちは伝統的に巻狩りを重んじてきました。確実に仕留めることと、安全性に留意するためです。それが最近では、狩猟者の数が激減し、巻狩りができるほどメンバーが集まらなくなってきました。そして、マタギの後継者もほとんどいません。有史以来続いてきた人間の伝統的な生活文化が衰退し始めことで、クマやその他の野生動物たちが活動範囲を広げています。それがお互いにとって思わぬ弊害を生み出しています。
深浦町など、白神山地周辺の市町村では、ここ最近、野生動物による農作物への食害が深刻になってきました。それは、クマだけでなく、サルや外来生物なども被害を及ぼします。その話は、近々、アップする予定です=写真下、田んぼの米を食べたあと、道路を横切って森へ戻ったクマの足跡、深浦町で。(律)