みらいを紡ぐボランティア

ジャーナリスト・浜田哲二と学生によるボランティア活動

青森県深浦町の小さな集落     
「学生」ーみらいを紡ぐボランティア
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沖縄戦(伊東大隊長の手紙)の書籍を出版することになりました

 沖縄戦の生き残りである、歩兵第32連隊第一大隊の伊東孝一大隊長(享年99)からお預かりした手紙を、現代の遺族へお返しする取り組みを始めて足掛け7年。その活動の軌跡を記録した書籍が「新潮社」から出版されることになりました。

伊東孝一大隊長

   在りし日の伊東孝一大隊長

 題名は「ずっと、ずっと帰りを待っていました―『沖縄戦』指揮官と遺族の往復書簡―」で、拙いながらも哲二、律子の書き下ろしです。新たな年となった2024年2月15日に上梓される予定で、計272ページ、判方は四六判変型、定価は1760円(税込み)になります。

伊東大隊長がご遺族へ出した手紙など

 沖縄戦で亡くした部下の遺族から終戦間もない頃に、伊東大隊長のもとへ届いた356通の手紙。これを「世に出してほしい」との依頼を受け、高校生や大学生たちと一緒に古語や候文が入り混じる難解な文(ふみ)を読み解き、現代の遺族を探して返還を続けているボランティア活動の記録です。

    母の手紙を読んで涙ぐむ、ご遺族

 手紙の差出人である遺族やその子孫が生き抜いた、戦後の苦難の人生。若くして志を絶たれた戦没者の無念の想いや為人(ひととなり)。それを沖縄の戦場で、兵士が戦死した日時の時系列に合わせて紹介してあります。

    満洲から届いた戦没者の写真とその裏書。妻へ宛てた手紙に同封されていた

    手紙を受け取って号泣する戦没者の三女〈左から二人目〉と孫たち

 「ありったけの地獄を集めた―」とされる沖縄戦を生き抜き、復員した伊東大隊長や第一機関銃中隊の笹島繁勝兵長たちから聞き取った証言。他の復員兵が残した出版物や口伝。日米両軍の記録などをもとに構成しました。

    戦友の遺影の前で銃を構えるそぶりをする笹島繁勝兵長

    学生たちを前に語る伊東大隊長

 新聞社を退職したジャーナリスト夫婦が、初めて挑戦したノンフィクションの書籍。一人でも多くの皆さまに戦争の惨劇と悲劇をお伝えしたく、精魂を込めて認めてあります。読み終わった後、このページに感想をいただければ幸甚の至りです。

    糸満市の原野で掘り出した戦没者のご遺骨

※下記は新潮社からです。

https://www.shinchosha.co.jp/book/355551/

    並べられたご遺族からのお手紙

芸人のEXITのお二人に活動を紹介して戴きました

https://www.youtube.com/watch?v=BE3i2_9726k

 先日、フジテレビの朝の情報番組「めざまし8」にリモートで出演した収録の内容がYouTubeで公開されています。

 若者に人気のEXITの二人が絡んでくれ、醜い夫婦の様子が全国へ流れました。齢60となり(律子は58です)、アンカー役の若き芸人さんに活動を紹介して戴くとは思っても見ませんでした。

 事前の評判では、チャラい(失礼)と聞いていましたが、二人とも真摯に向き合ってくれ、熱心に質問も下さいました。見かけでは人を判断できないことを痛感すると共に、現代の若者の感性の鋭さに感嘆しております。

 こうした番組に出たことで、若者たちに戦争を伝えることができれば幸甚です。よければこの放送を見た皆さんも、感想を聞かせて下さい。

デブ夫婦のウォーキング日記⑮「押しつまってきました」

日課のようになった海辺の祠へお祈り

本日は律子です。

 今年もおしつまってきましたが、西津軽の天候はどっぷりと冬型。雪は断続的に降り続き、北風が吹き荒れています。例年、お正月は静かなんですが‥。ウォーキングを初めて約1カ月半、当初は健康のためでしたが、北国の寒村に移住した夫婦の日記ネタになりつつあります。

勝手に「安徳さま」と呼んでいる祠

 歩き初めに手を合わせる海辺の赤い祠も、連日の降雪で真っ白なお化粧を施したように。その頭越しに見える集落も、綿菓子を飾り付けたようです。大型のショベルカーで除雪を終えた道路はカチカチに凍結、足腰の弱ったデブはヨチヨチとしか歩めません。そこで、ついにスパイク付きの長靴を導入しました。そうまでして海岸を歩いてるのは、どうも浜田夫婦のみ。雪の上に残される足跡も二人と野生の生き物だけになりました。どっぷーん、と打ち寄せる波うち際に、ゴメ(カモメ類)が集まっています。近づいても、なかなか飛び立ちません。

 「ん?、何で粘っているの‥」と首を傾げて見ていたら、どうもハタハタの卵「ブリコ」が打ち上げられるのを狙っているようです。私らが通り過ぎると、飛び立った後もすぐ戻って来るので、穴場を知っているのでしょう。賢い子たちです。

    ハタハタの卵(ブリコ)を奪い合うゴメ

 そういえば、マタギの伊勢親方がご存命の頃、毎朝のように海辺を歩き、樽烏賊(タルイカ)が打ち上げられるのを待っていました。秋から冬の時期、海が荒れたときに海岸近くに寄って来るそうで、一匹見つけると必ずペアがいたそうです。時には20㎏を越える大物も。捕獲時は固くて味がないそうですが、切り身にして冷凍すると、柔らかくなって旨味が増すんだ、と舌なめずりされていました。

 「こんな時期、デブ夫婦が海岸で転んだら、親方に樽烏賊と間違われたかもな」と、にやにや笑いの哲二がアホな妄想。何を言うか、私はもっと頑張って、スリムなヤリイカになるのよ。お前だけが樽のまま転がってな、と心で呟きながら帰路へ。

デブ夫婦のウォーキング日記⑭「雪かき地獄」

北国の定番である除雪車。油断できない存在

12月26日の記事。今日は哲二です。

 雪が降りやみません。本日も玄関先から、町道までのアプローチに30㎝以上は降り積もっています。こうなると、北国の朝は重労働の夜明けとなるのです。

 まず、雪掻き用のスコップやスノーダンプで歩道を確保し、新聞や郵便配達のお兄さん、お姉さんが通れるように掘り進めます。でも、降りやまないと、あっという間に元のもくあみ。また、天候を見計らって、一汗掻かなければならなくなります。

 ガレージの前も入念に除去する。シャッターが開かなくなってしまう

 そして、除雪車が来ると、ご近所の皆さまが飛び出してきてます。というのも、大型のショベルカーが路面の雪を押し退けた後、玄関先に高さ40~50㎝にもなる雪塊の壁が出来るからです。それを崩して除去しないと、わずか数十分でカチカチになり、二進も三進もいかなくなります。酷い時には、ツルハシが必要な時も。

 それでも、腰の曲がったお年寄りらが、フーフー言いながら、スノダンを押し、スコップを揮います。「今日も寒いね!」と笑顔をふりまいて。そんな姿に癒されながら、励まされながら、大雪の朝のルーティーンが始まります。そう、私の頑張りで、浜田家の「生命線」は確保されるのです。

自宅前の道路に出来た雪の壁

 それなのに、「頼んだわよ、しっかりね。終わったら、熱いお茶入れてあげるから」と、律子は部屋に戻ります。なんだよ、自分は楽をして‥、とプリプリしていると、「あー、手伝えってこと?。ハイハイ、洗濯物を畳んだらね」とのこと。

 外には干せない北国の冬の洗濯は、面倒でも合理的です。夜に洗ってすべて部屋干し。朝には薪ストーブの熱気で、ほとんど乾いています。こうすれば夜間、乾燥で喉がやられることも防げるのです。最近、夫婦で歩くようになったので、量が2倍になったそう。で、「あんたの明日着る服がなくていいの」と脅されるので、雪掻きはしぶしぶ一人で頑張らざるを得ません。

 でも今日は、やれども終わらない積雪量。嫌になりかけたときに、律子が「そうそう、ブログ用の写真撮っとかなくちゃね」と、いそいそ出てきました。ひと通り撮影した後、「どれ、私も少しやるか!」とスコップを手に路へ。

駐車場の雪を掻く

 あー、そこは‥、という声も届かず、スッテンコロリン。そう、除雪車が通過した跡は、アイスバーンになるのです。大丈夫か?、と声掛けするも、笑いが込み上げてきます。「痛てて‥」と腰をさすりながら、また部屋へ逆戻り。うーむ‥、結局、朝の雪掻きから解放される日は遠そうだな。