みらいを紡ぐボランティア

ジャーナリスト・浜田哲二と学生によるボランティア活動

青森県深浦町の小さな集落     
●2014年遺骨収集22日目 「戦没者慰霊の会ひょうご」との活動

2014年遺骨収集22日目 「戦没者慰霊の会ひょうご」との活動

ニービに構築された陣地壕を掘り進むひょうごの会のメンバーら

ニービに構築された陣地壕を掘り進む「ひょうごの会」のメンバーら

私たちがお付き合いしているグループのなかで、特に熱心な姿勢で遺骨収集に取り組まれている「戦没者慰霊の会ひょうご」(楠田誠一郎代表)のメンバーが、今年も沖縄で活動して下さいました。この会には、毎年のように参加されるリピーターが多く、楠田代表を中心に、もはや一つの「チーム」といっていい程の結束と技術力で、活動に臨まれます。 

出土した防毒吸収管を手にする楠田代表(右)

出土した防毒吸収管を手にする楠田代表(右)

今回、最初に取り掛かった場所は、浦添市の構築壕。ここは、首里にあった指令部を守る防衛線の要とされた場所で、大激戦があったシュガーローフの一部です。遺骨収集家・国吉勇さんによると、近隣にも多くの陣地壕が残っており、数多くの戦没者の遺骨を収集したと話されています。

「昭和15」と文字が記されていた

「昭和15」と文字が記されていた

この防毒吸収管(右)が出土した陣地壕

この防毒吸収管(右)が出土した陣地壕

この壕は、住宅地の下にある斜面の雑木林の中にあり、入り口がほとんど土砂で埋没していたため、69年間、誰も知らないままで放置されていました。もちろん、手つかずの状態です。こうした壕は、中に遺骨がたくさん残されている可能性もあり、穴の最深部まで流れ込んでいる土砂を完全に掻き出せば、大きな成果を得られることもあります。 

ゴーグルもしくは望遠鏡の部品らしいレンズが出土した

ゴーグルもしくは望遠鏡の部品らしいレンズが出土した

張り切る楠田代表を先頭に、まず、全員によるバケツリレーで、土砂を運び出します。私は運動と根性不足で、すぐ音を上げそうになるのですが、女子の参加者を始め、みんなが黙々と頑張ります。沖縄の方言で「ニービ」という独特色をした赤土は、掘りやすいのですが、水分を含むと泥のように重くなります。

どんどん奥に向かって掘り進めて行く会のメンバー。壕は手掘りらしく、ツルハシの跡などが壁面に残っている

どんどん奥に向かって掘り進めて行く会のメンバー。壕は手掘りらしく、ツルハシの跡などが壁面に残っている

今年は二月に入って例年以上に悪天候が続き、作業途中も間断なく雨が降ります。でも、チーム全員の頑張りで、外に積み上がったニービの赤い山は、どんどん大きく成長して行きます。その上で、お弁当が食べられるぐらいに竪穴を掘り進めると、入り口から壕の底までは約3メートルほどの深さになっていました。

壕の入り口に積み上がったニービの上で、お昼ご飯を食べる楠田代表ら会のメンバー

壕の入り口に積み上がったニービの上で、お昼ご飯を食べる楠田代表ら会のメンバー

そこが元の地盤です。人が一人、ようやく活動できる広さまで穴が大きくなったら、今度は奥へ向けて横穴を伸ばします。その間、ニービの砂をバケツリレーで、絶えず運び出して行きます。全員の息が上がり始めた頃、穴の奥から遺留品が出てきた、との声が。 

穴の奥から出てきた不発の照明弾

穴の奥から出てきた不発の照明弾

楠田代表が、潜り込んでみると、小銃弾やガラス瓶、見たこともないような油脂の塊などが出て来ています。やはり、旧日本陸軍の陣地壕だったらしく、兵士の持ち物が次つぎと見つかりました。不発の照明弾や銃弾の塊、爆発した擲弾筒の破片などです。

出土した銃弾の塊

出土した銃弾の塊

ニービに覆われていたせいか、比較的状態が良いままで出てくる品もあります。防毒マスクの部品として使われていた、解毒するための吸収管などは、文字が読み取れるほどの完全品として発掘されました。ここまで程度の良い品は珍しく、国吉さんも、「ここまで良いのは初めて見た。宝物だよ」と満面の笑みです。

亜熱帯のジャングルに残されていた陣地跡で活動する会のメンバー

亜熱帯のジャングルに残されていた陣地跡で活動する会のメンバー

供養するため、遺骨を並べてゆく

供養するため、遺骨を並べてゆく

でも、3日間かかって、穴の奥まで掘り進めましたが、結局、遺骨は一片も出てきませんでした。残念な結果でしたが、額に玉のような汗を浮かべた楠田代表が、「良かった。ここで誰も亡くなっていなかった、ということが、判っただけでも大きな成果です。みなさん、お疲れ様でした」と、笑顔でこの壕での作業の終了宣言。

掘り出した遺骨を並べる

掘り出した遺骨を並べる

掘り出した遺骨に手を合わせる楠田代表ら

掘り出した遺骨に手を合わせる楠田代表ら

最終日は、糸満市真栄里の病院壕付近の山野を全員で探査し、残骨を幾つか収集。糸満市摩文仁の国立戦没者墓苑に仮納骨して、今回の活動を終えました。納骨を前に、お線香をあげて、骨の部位を鑑定していると、訪れた観光客の方々も集まって手を合わせて下さいました。69年ぶりに日の目を浴びた戦没者や収集活動をした会のメンバーにとって、ありがたい供養の場を設けることができました。

それぞれの想いを込めて手を合わせる

それぞれの想いを込めて手を合わせる

2年連続で参加してくれた女性メンバー。間もなく仕事でアフリカへ派遣されるそうだ

2年連続で参加してくれた女性メンバー。間もなく仕事でアフリカへ派遣されるそうだ

来年以降は、ひょうごの会に属するメンバーに限って、私ら夫婦が沖縄で滞在している時期ならば、いつ来て戴いても現地で一緒に収集活動できるように、楠田代表と話し合って決めました。その場合は、必ず代表の了解を取ってから、私たちに連絡してください。そして、国吉親方と共に、一緒に収集活動を致しましょう。楠田代表も、休みが取れ次第、現地に駆け付けると話されています。この会との連携は、今後も更に深まっていきそうで、将来が楽しみです。

戦没者の遺骨に選考を手向ける楠田代表

戦没者の遺骨にお線香を手向ける楠田代表

最後になりましたが、改めまして、今年もごくろうさまでした。ありがとうございました。厚く、御礼を申し上げます。来年、また沖縄でお会いしましょう。

摩文仁の丘を訪れた観光客も、集まって来てくれた

摩文仁の丘を訪れた観光客も、集まって来てくれた