みらいを紡ぐボランティア

ジャーナリスト・浜田哲二と学生によるボランティア活動

青森県深浦町の小さな集落     
●白梅学徒隊の中山きくさんとIVUSAの学生が交流

2015年遺骨収集活動20日目 白梅学徒隊の中山きくさんとIVUSAの学生が交流

野戦病院壕の前で、当時の様子を語る中山きくさん
野戦病院壕の前で、当時の様子を語る中山きくさん

太平洋戦争の終結から70年を迎える今年、「IVUSA」(国際ボランティア学生協会)の若者たちから、「沖縄戦の体験者から話を聞きたい」という申し出がありました。戦争の生き残りが少なくなり、その記憶も薄れる中、平和の大切さを考えて守るきっかけにしたい、とのこと。こんな時こそ、旧知の仲である「白梅学徒隊」の中山きくさんにお願いし、学生との交流が実現しました。

QAB琉球朝日放送で放映されましたhttp://www.qab.co.jp/news/2015020862797.html

読売新聞西部版で紹介されました。

http://www.yomiuri.co.jp/kyushu/news/20150210-OYS1T50008.html?fb_action_ids=539971122812694&amp

2月9日付けのNHK沖縄放送でも紹介されました。

きくさんの話を聞くIVUSAの学生たち
きくさんの話を聞くIVUSAの学生たち

白梅学徒隊とは、沖縄県立第二高等女学校の女学生たちによって編成された部隊です。「従軍補助看護婦」として、八重瀬岳(現八重瀬町)の第24師団第一野戦病院壕などに46名が配属され、最終的に22名が亡くなったとされています。まず最初は、その病院壕で、当時の様子を伺いました。

学生の手を借りて急な階段を一歩ずつ登るきくさん
学生の手を借りて急な階段を一歩ずつ登るきくさん

ゴツゴツしたサンゴ石灰岩と脆い砂岩を掘って造られた洞窟は、病院とは名ばかり。病室や手術場は岩肌や地面が剥きだしのままです。ろくな設備はなく、薬や包帯も不足し、手足を切断する手術でさえ、麻酔を使えなかったそうです。

野猿病院壕の入り口できくさんの話を聞くIVUSAの学生たち
野猿病院壕の入り口できくさんの話を聞くIVUSAの学生たち

そして、負傷した兵士の傷口には蛆がわき、肉が壊死して真っ黒に変色していく様子を直視できなかった、ときくさんは振り返ります。連日のように降り注ぐ砲弾の雨の中、血膿に汚れた包帯を艦砲射撃で空いた穴の溜まり水で洗ったり、切り取った手足を空き缶に入れて捨てたりしたことが、今も忘れられないそうです。

学生たちに絵本を使って当時の様子を語るきくさん
学生たちに絵本を使って当時の様子を語るきくさん

戦局が悪化するにつれて、運び込まれれる傷病兵は500人を超え、医師も看護士も眠る暇もなく治療にあたりました。きくさんたちも、横になる時間や場所もなく、壁にもたれて立ったまま居眠りしたそうです。それでも、傷ついた兵士たちの治療に全力を注いでお手伝いし続けた、と証言されます。

周囲の状況が見渡せる高台にある野戦病院壕の近くで、戦争の講話が続けられる
周囲の状況が見渡せる高台にある野戦病院壕の近くで、戦争の講話が続けられる

参加した約130名の学生たちは、実際の現場で語られる凄惨な体験を固唾を飲んで聞き入ります。メモを取りながら、涙を拭う女の子も。きくさんが配属された「手術場(しゅじゅつば)壕」は、四畳半ほどの広さ。壕の入り口のすぐ右脇にあり、学生たちは怖々のぞき込んでいました。

きくさんの話を聞く学生
きくさんの話を聞く学生

午後からは、きくさんの同窓生が10名亡くなった糸満市国吉の壕の中で、遺骨収集作業を実施します。この壕は、一度解散した学徒たちが、再び集まって、隠れていた野戦病院壕です。沖縄戦の終結間近に、米軍から激しい攻撃を受け、兵士や学徒たちが数多く命を落としたそうです。

白梅の搭に献花するIVUSAの学生たち
白梅の搭に献花するIVUSAの学生たち

まず、白梅学徒隊を慰霊する搭に祈りをささげ、学生たちが一人ずつ献花します。「こんなにたくさんの学生さんたちに花を戴くなんて、6月23日の慰霊祭の様ですね」と、きくさんも喜ばれています。そして、社会人参加者を含めた約140名全員が、慰霊塔に拝礼した後、きくさんの講話に聞き入ります。

国吉勇さんが所有する旧日本軍の手榴弾を手にするきくさん
遺骨収集家の国吉勇さんが所有する旧日本軍の手榴弾を手にするきくさん

「米軍の火炎放射で、同窓生の一人は身に着けている服に火が付いたまま、壕の外へ飛び出したの。そこで米兵に抱きとめられて命が助かった。でも、背中に大やけどを負ったのよ」

白梅の搭横の壕から出てきた焦げた遺骨
白梅の搭横の壕から出てきた焦げた遺骨

真っ黒に焦げた米の塊を見て、「兵士たちに配られていた玄米のおにぎりですね。でも、これをお腹いっぱいに食べられる人はいなかった。お米は貴重品だったからね」

一列になって遺骨を収集するIVUSAの学生たち
一列になって遺骨を収集するIVUSAの学生たち

たくさん出てきた遺留品や遺骨を見て、「あれから70年。多くの同窓生が亡くなったり、寝たきりになっていたりするの。もう、現場まで来れる仲間はいない。だから、写真に撮って見せてあげる。みんなが懐かしむのと、悲しむのを、同時に見ることになるけど‥」

決意を込めた表情で、遺骨収集に向かう学生たち
決意を込めた表情で、現場に向かう学生たち

お話しの最中、学生たちが掘り出してきた遺骨や遺留品を見て、驚きながらも感慨深そうに言葉を選ぶ、きくさん。搭の前に並べられた真っ黒に焦げた乾パンを数個、ポケットにそっとしのばせます。これも、寝たきりになった同窓生に見せてあげるそうです。

IVUSAの学生たちと一緒に戦没した同窓生の碑に手を合わせるきくさん
IVUSAの学生たちと一緒に戦没した同窓生の碑に手を合わせるきくさん

午前9時から午後4時まで、昼食時を除き、ずっと立ったまま話を続けます。「今の私は、自宅へ帰れば、お風呂に入ることができ、美味しいご飯もお腹いっぱいに食べられる。そして暖かい布団で、心安らかに眠れます。でも、戦没した同窓生は、座ることも、寝ることも出来ないまま、働き続けて亡くなった。ここで証言する時は、私も戦時中に戻ります。だから、座りながら話すことなどできません」

野戦病院壕前のきくさんと学生たち
野戦病院壕前のきくさんと学生たち

足が曲がらなくなり、杖を手放せなくなったきくさん。証言する時は、絶対に腰をおろさないし、急な階段があっても必ず現場まで足を運んで下さいます。そんな姿に、女子学生たちは、「戦禍で、大切な学友を亡くした悼みが伝わって来る鬼気迫る姿です。私たちより若い時に、そんな地獄の出来事を体験したとは‥。平和な時代に生きる私たちにとって、身も心も引き締まるようなお話しです」

立ったまま、学生たちに体験談を話すきくさん
立ったまま、学生たちに体験談を話すきくさん

そんなきくさんも、戦争体験は約50年間、口を噤んでいたそうです。「言葉に出来ないほどの悲惨な出来事でした。同時に、生き残った事がうしろめくて‥。でも、次世代へ伝えないと、今の平和を守ることができない、と思いを改め、講話を始めました。それは、無念の想いを抱きながら戦没した同窓生が、見えない力で背中を押してくれているのでしょう。彼女たちのためにも、口や身体が動かなくなるまで、私は証言し続けます」

壕から出てきた熱で溶けた注射器を見るきくさん
壕から出てきた熱で溶けた注射器を見るきくさん

こぼれ落ちる涙を拭おうともせずに聞き入っていた女子学生が呟きました。「きくさんと今は亡き同窓生の方々の意志を継いで、平和の大切さを噛みしめて生きてゆきます。二度と戦争を起こさない国を作るのは、私たちの重要な役割なんだと再認識しました」

白梅の搭の横の壕に入るIVUSAの学生たち
白梅の搭の横の壕に入るIVUSAの学生たち