青森県深浦町の小さな集落     
●次々と出る不発弾とその処理

次々と出る不発弾とその処理

壕などから出てきた旧日本軍の銃弾。900発近くある、糸満市で

壕などから出てきた旧日本軍の銃弾。900発近くある、糸満市で

これでもか、というほど、毎日、不発弾が出てきます。米軍の砲弾、旧日本軍の爆雷、手榴弾、地雷、銃弾‥。火薬量が多くて危険なものは、出てきたらすぐに通報するようにしていますが、銃弾などは連日のように十数発ずつ出てくるので、まとめて処理していただくようにしています。

壕から出てきた急造爆雷に入っていた火薬。10キロはあるとみられ、これが3個出土した、糸満市真栄里で

壕から出てきた急造爆雷に入っていた火薬。10キロはあるとみられ、これが3個出土した、糸満市真栄里で

今回は民家のすぐ裏手の丘にある元病院壕の出口付近で収集活動をしており、穴を掘り進めている場所は母屋から10メートルも離れていません。もし、山火事などで地面付近にある不発弾に引火して誘爆すると、不発弾の数や火薬の量からいって、間違いなく大惨事になると思われます

壕同じから出てきた地雷。これも日本製

壕同じから出てきた地雷。これも日本製

この家に住んでいらっしゃるご家族も、「戦没者の遺骨収集と不発弾処理が終わらない限り、私らの戦後は終わらない」と、憤っておられ、ボランティアの手でなく、国による抜本的な対策が望まれるところです。しかし、遺骨収集事業にしても、不発弾処理にしても、ほとんどは情報があれば動くという程度で、国を挙げて積極的に進めようとする姿勢は感じられません

同じ壕から出てきた砲弾。種類は不明

同じ壕から出てきた砲弾。種類は不明

この壕も約20年前に、反対側の入口で国による遺骨収集事業が行われ、半分ぐらいは収骨も終わっているとされています。でも、民家に近い側は20年近くも放置され、最近になってようやく国による新たな収集事業が検討されています。住んでいらっしゃる方々は、「一度で全部終えて欲しかった。戦中から戦後、私たちは不安と恐怖と共に暮らしてきた。早く何とかして欲しい」と訴えています。

通報を受けて駆けつけた警察官。銃弾の数の多さに目を丸くしながら、遺骨収集家の国吉勇さんの話を聞いていた

通報を受けて駆けつけた警察官。銃弾の数の多さに目を丸くしながら、遺骨収集家の国吉勇さんの話を聞いていた

68年前、数多くの貴重な命を戦場に送り込み、多くを帰らぬ人にしてしまった日本国。その無責任な体質は、当時も今もあまり変わらないなぁ、と遺骨収集や遺留品返還の活動をしていて感じます。仮定の話ですが、もし私たちが再度、他国と戦わなければならない事態になったとしたら、こんな他力本願な形でしか戦後処理を進めない国のためには、戦いたいとは思えません。投獄されてでも、戦争の反対を訴え続けたほうが、まだマシのような気がします。あくまでも仮定の話ですが。

陸上自衛隊の爆発物処理部隊が来てくれた。撮影していると、厳しい視線で一瞥。問答無用で排除された。危険な壕内から掘り出したのは私らなのに‥。せめてねぎらいの言葉でもかけて欲しかった

陸上自衛隊の爆発物処理部隊が来てくれた。撮影していると、厳しい視線で一瞥。問答無用で排除された。危険な壕内から掘り出したのは私らなのに‥。せめてねぎらいの言葉でもかけて欲しかった

今回掘り出した不発弾類は糸満警察署を通して陸上自衛隊に処理して戴きました。感謝の気持ちと共に、ご苦労さま、とお伝えしたいです。自衛隊は新聞記者時代に、カンボジアや旧ザイール(旧コンゴ民主共和国)の派遣に同行したこともあり、施設部隊などの能力の高さや、折り目正しい態度で勤勉に任務に励む派遣隊員の方々を高く評価しています。今回のような不発弾処理のことなどを考えると、沖縄や硫黄島での遺骨収集活動は、自衛隊の新人さんたちに担当していただけないかと、思ったりもします。今も数多くの遺骨が眠る海外での活動は、関係国の国民感情などから難しいと考えますが、日本国内だけでも自衛隊による遺骨収集が実現しないかと思います。もし、この記事を読んでくださる関係者の方がいらっしゃればご一考ください。