みらいを紡ぐボランティア

ジャーナリスト・浜田哲二と学生によるボランティア活動

青森県深浦町の小さな集落     
●機関銃の保弾板付弾倉と弾を発掘

2013年2月2日、機関銃の保弾板付弾倉と弾が出てきました

錆を落とせば今にも発射できそうな機関銃の銃弾、糸満市で

錆を落とせば今にも発射できそうな機関銃の銃弾、糸満市で

本日も1月29日から収集活動をしている壕で作業をしました。少しの遺骨と大量の遺留品が出土しました。そして、壕の入口の土砂の下から機関銃の弾と弾倉が多量に出てきました。戦後68年が過ぎた今も、こんな危険な武器が残っていることに、驚きよりも憤りを感じます。もう発射されることはないと思いますが、昨日発掘した爆雷のすぐ横に埋まっていたため、どちらかに引火したら、周辺の民家は大変なことになってしまいます。

火炎放射器で焼かれ弾けて、弾頭がなくなった機関銃の薬莢。500発前後はあった

火炎放射器で焼かれ弾けて、弾頭がなくなった機関銃の薬莢。500発前後はあった

そして、保弾板に付いていた銃弾は、火炎放射器で焼かれていたため弾頭が弾け飛んでいました。当時、轟音と共に何百発の銃弾が飛ぶ音が壕の中にも響き渡ったでしょう。

重機関銃の保弾板付弾倉

重機関銃の保弾板付弾倉

この壕は、旧日本軍が傷病者の収容に使っていた、と、近所の方々は証言して下さいます。でも現在は、人ひとりが屈んでようやく歩ける広さの通路しか残っていないため、作業は難航しています。その上、入口付近に大量の土砂とゴミが投げ込まれており、割れた瓶や金属片などもあって、とても危険です。更に、頻繁に爆雷や手榴弾などが出てくるため、先の尖ったツルハシなどを思い切って奮えません。

旧日本兵が使っていたアルミ製のカップ。焼かれてへしゃげていた

旧日本兵が使っていたアルミ製のカップ。焼かれてへしゃげていた

この壕は、県の外郭団体である「戦没者遺骨収集情報センター」が厚生労働省に依頼して、近々、大規模な発掘作業をする予定を立てているそうです。が、十数年前にも同省が反対側の入口から遺骨収集をしており、その時は壕全体の発掘が完全に終わらないまま、中途半端に終了したようです。それを受けた地元の方々は、「今度こそ、きちんと完遂して欲しい」と訴えておられます。私たち個人の労力では、入口の一部をやるので精一杯です。どうか、国や県など責任ある機関が住民の声に真摯に耳を傾け、最後まできちんと対処して欲しいと願っています