青森県深浦町の小さな集落     
●「化石」人骨

日本人のルーツを探る「化石人骨」

縄文晩期もしくは弥生人が使っていたとみられるヒメゴホウラ(手前)などの貝から作った装身具

縄文晩期もしくは弥生人が使っていたとみられるヒメゴホウラ(手前)などの貝から作った装身具

遺骨収集活動をしていて、思わぬ出来事がありました。それは、遺骨収集ボランティアのメンバーたちが、沖縄本島中南部の洞穴や巨岩の下から、歴史資料としてとても価値の高い発見をしたのです。糸満市摩文仁にあるハンタ原(ばる)遺跡から出土しました。この付近は戦跡国定公園の特別保護区に指定されており、地面を掘ることも、岩ひとつ動かすのも正式な許可が必要です。メンバーたちは付近の洞穴で遺骨を探しているときに、偶然、地表に出ていた「溶けた石のような骨」と一緒に拾ったそうです=写真下。直ちに市の教育委員会へ届けました。そこで、人類学に詳しい山口県下関市にある土井ケ浜人類学ミュージアムの松下孝幸先生が駆けつけました。

溶けた骨hp

沖縄が真夏の太陽に照らされる2007年7月、本格的な発掘調査が始まりました=写真下、糸満市摩文仁で

発掘現場1⑧

発掘当時、松下先生は「装身具や骨の状態などから、出土しているのは縄文の晩期から弥生初期のもの」と推定されていました。ただ、表層部に骨が折り重なっている状態で=写真下、その下層には更に古い時代の遺物が埋まっている可能性があるそうです。

発掘断面6⑪

実は沖縄本島南部からは、旧石器時代の人骨が発見されているのです。約1万8千年前の港川人の骨で、復元可能なものが数体出土しており、東アジア最大級の歴史資料とされています。それ以外にも、本島や周辺の離島などで貴重な資料が次々と見つかり、沖縄は化石の宝庫と呼ばれています。

糸満市内の道路工事現場で見つかった弥生人のものと見られる下顎骨

糸満市内の道路工事現場で見つかった弥生人のものと見られる下顎骨

その理由は、島々がサンゴ石灰岩の地盤で成り立っており、雨などで溶け出した石灰分に覆われた骨は風化しにくく、大地の酸性化も進まないため、地表面や地下の化石が守られてきたのです。同時に自然洞穴が無数にあり、その洞穴の中からもかなり古い人骨や動物たちの骨などが見つかっています。

サンゴ石灰岩の岩に挟まれた隙間にあるハンタ原遺

サンゴ石灰岩の岩に挟まれた隙間にあるハンタ原遺跡の発掘現場

今回、ハンタ原遺跡から出土した装身具や人骨を紹介します。

出土したままの人骨。まだ土が付いている

出土したままの人骨。まだ土が付いている

宝貝に穴を開けた装身具

宝貝に穴を開けた装身具

サメの歯を加工したもの。錐で開けたような穴がひとつ空いていた

サメの歯を加工したもの。錐で開けたような穴がひとつ空いていた

土器片。縄文晩期のものと推定されている

土器片。縄文晩期のものと推定されている

今回、発掘の指揮を執った松下先生どんな小さな遺物も見逃さないようにするため土はふるいにかけ、細かな作業をする道具はほとんど手作りで臨むそうです

見えてきた頭蓋骨の周辺にある土を慎重に取り除く

見えてきた頭蓋骨の周辺にある土を慎重に取り除く松下先生

骨や遺物の状況が見えてくると、まず計測し、写真の撮影と正確な配置と形状などを用紙に記録します=写真下

発掘風景hp

 先生は、吉野ヶ里遺跡の調査などにも関わられた、骨の同定に詳しい人類学の権威です。そして発掘調査のきっかけとなった人骨や装身具を見つけたのは、国吉勇さんらのグループです

遺跡発掘に臨む国吉さん(右端)と松下先生(左端)、人類学のNPO法人・松下真実さん(中央)

遺跡発掘に臨む国吉さん(右端)と松下先生(左端)、人類学のNPO法人・松下真実さん(中央)

国吉さんは、ハンタ原以外にも中南部の4~5ヶ所で古い時代の人骨を見つけており、遺骨収集家が貴重な歴史資料の発見につながるお手伝いもしています。

まだ未調査の洞穴にある人骨。石灰岩と頭蓋骨の一部か接着している

まだ未調査の洞穴にある人骨。石灰岩と頭蓋骨の一部か接着している

未調査の洞穴にある人骨。岩に腕か足の骨の一部が溶け込んだようになっている

未調査の洞穴にある人骨。岩に腕か足の骨の一部が溶け込んだようになっている

 ハンタ原遺跡の調査は終了しました。その結果、縄文時代後期(約4千~3千年前)の遺跡であることが判り、85体分の人骨と貝製品などの装身具が約230点出土しました。そのなかに、国内最大級となる大人男性の右前腕部の尺骨が含まれており、その身長は170センチ近くあったと推定されます。当時の男性の平均身長が約158センチだったので、かなりの高身長であったようです。これほど大きい尺骨の縄文人骨は、国内で発見された例がほとんどなく、松下先生は「港川人が進化したのか、それとも九州縄文人が南下したのか謎は残るが、貴重な発見だ」と説明されています

表土に現れた人骨など

表土に現れた人骨など

今回の発掘作業は、土井ケ浜人類学ミュージアムと糸満市教育委員会が2007年7月から10年7月まで実施し、成人男性32体、成人女性31体、子ども15体、不明7体を発掘しました。頭骨を石灰岩で取り囲む「石囲墓」と呼ばれる方法や、骨を1カ所に集める「集骨」と呼ばれる方法で埋葬されており、国内で始めて出土した貝製の装身具類も見つかっています=写真下。遺骨収集家の発見が、貴重な歴史資料であることが証明されたのです。

頭蓋骨1⑩

しかし、遺骨を取り巻く事情は、良い話ばかりではありません。ハンタ原遺跡の発掘調査が進んでいた当時、衣装ケースに詰められた謎の人骨が糸満市内の洞穴に放置されていました=写真下。墓荒らしの容疑で捜査されましたが、遺族も容疑者も不明です。100柱以上あり、死後、数十年過ぎた土葬の骨と見られています。結局市が無縁仏として引き取ったそうです。

放置人骨6⑯

そして、トラブルはこれだけではありません。人骨が見つかった場合、まず警察が事件や事故の有無を調べ、戦没者なら県の福祉・援護課が、古い人骨の可能性があれば地元の教育委員会が対応します。しかし、十分な鑑定もなく、すべてを戦没者として納骨してしまう例がこれまでにあった、といわれています。このハンタ原遺跡も特別保護地区でありながら、過去に一部遺骨収集された痕跡が残っています。激しい地上戦があった60数年前の沖縄では、風葬のお墓だった洞穴や岩の隙間に、戦禍から逃れようとした避難民や兵士があふれていました。そこで犠牲になった人の骨は、今もお墓の埋葬骨の中に紛れています。そして、その場所は古代人が永い眠りについている聖なる地でもあるのです。山野に、戦没者の遺骨、風葬による埋葬骨、何千年も昔の人骨が混在しているという、悲劇の島の特殊な事情がうかがえます。

松下先生も、この事態を憂いていらっしゃいます。

私たちは遺骨収集のボランティアを国吉さんと共に、今後も続けるつもりです。新たな仲間も増え続けており、人類学の権威で骨の専門家である松下先生もお誘いしていますが、まだまだご多忙なようです。いずれは先生の力もお借りしたいと切望しています。このホームページを読んで下さった皆さまも、沖縄で一緒に骨を探してみませんか。もしかしたら、戦没者の慰霊と歴史的な大発見を体験できるかもしれませんよ。

(哲)