みらいを紡ぐボランティア

ジャーナリスト・浜田哲二と学生によるボランティア活動

青森県深浦町の小さな集落     
2024年

ヤフーニュースに切り抜き記事がでました

https://news.yahoo.co.jp/articles/4a709967b3065c37730d88cb3cde00191102b152

https://news.yahoo.co.jp/articles/5efad553bd9697291b02a9d25f0787bb2a9c9998

https://news.yahoo.co.jp/articles/98221867c5873d902d06548ecf913bfcd097fbcf

 拙著の抜粋記事をデイリー新潮がリリースしてくれました。 こうした手法で書籍の普及を訴えるのを初めて知りました。ネット社会ゆえんのことでしょうが、紹介した戦没者を「凄腕スナイパー」にしてしまうのは、ちょっとなぁ(笑)

 まるで映画か漫画の主人公のようで、恥ずかしくなってしまいます。ただこれも、より多くの方に本書を手に取ってもらうパブリシティのひとつと割り切って受け止めています。

 まだ、手に取っていただけていない方も、よろしくお願い申しあげます。いまひとつ話題にもならず、売れ行きも行くないみたいですので‥

 メインの写真は手紙に同封されていた戦没兵士の写真です。NHKの取材を受けたときに、横から撮影しました。ほとんどが遺影に使われたカットで、これには胸を締め付けられました。

東奥日報の書評欄で紹介されました

 青森県の県紙・東奥日報さんが私たちが執筆した本を書評欄で紹介して下さいました。以前からお世話になっている同社の記者さんや地元の集落の友人が繋いで下さったのです。

   東奥日報さんの書評欄で紹介された記事

 私たちは今、沖縄に滞在しているのですが、青森や北海道などの友人たちが次々と出版を祝福して下さいます。そして、ご遺族へお送りしたところ、大喜びで受け取ったとの返信が返ってきました。

   文化面の左端で紹介された

 「仏前に供えて、手紙を書いた母さんと話し合ったよ。様々なことを想い出して涙がこぼれた……」と。それを聞いた私たちも、涙がこぼれました。ほんと、頑張って良かった。

   事務所の近所の書店に並んでいた私たちが書いた本

 そんな中、事務所の近所の書店に行ってみると、なんと拙著が店頭の一等地に並んでいました。嬉しかったのですが、まだ、それほど売れていないようです。購入戴いた皆さま、よければAmazonなどにレビューを書いてやってください。伊東大隊長やご遺族、一緒に活動してくれた若者たちの願いと想いが籠った同書。一人でも多くの読者へお届けしたい。

書籍のパブリシティが出ています

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001327.000047877.html

新潮社のパブリシティです。

主に目次ですが、内容も少し紹介されています。

活動と取材を同時並行させながら、足掛け7年かけて書き上げました(執筆期間は約半年でしたが)。

取り組みに参加してくれた元学生さんたちにも登場願っています。

ここまで来れたのも、ご協力戴いたご遺族、生き残りの兵士、関係機関の皆さまのおかげです。

この場を借りて御礼申し上げます。

伊東大隊長との約束、ようやく果たせそうです。

一人でも多くの皆さまの手に届くことをお祈りして。

2024年1月、現場で活動を開始しました

    事務所でくつろぐ。近所の100円市で買ったパッションフルーツと

 沖縄に事務所を設営して2年目を迎えました。今回の活動から約半年間は滞在して、遺骨収集とご遺族への調査などに時間を充てようと考えています。今まではウィークリーのアパートに泊まり込んで、若者が来ても同部屋での雑魚寝を余儀なくされていました。でも今後は、女子メンバーにも個室を用意できそうで、早速、一月末からメンバーが来てくれます。

    垂れ下がったガジュマルのひげ根を払いながら前へ進む

 さて、北国の暮らしだと初夏のような気候が続いていた沖縄本島の南部。ようやく気温が下がってきたので現場に出ています。来沖して1カ月以上が過ぎましたが、活動を始めると言いつつ、行動に移せていなかったのが、季節外れの陽気のせいでもありました。というのも、暖かいと森の中に生息する毒蛇のハブが怖いのです。

    昨年の台風による大雨で壕口には土砂が流れ込んでいた

 「気温が25度以下になると、動きが緩慢になってくる」。本島北部のやんばるで生き物たちを取材した時に聞きました。生物学的な見地かどうかは不明ですが、毒蛇と共存してきた地元の方からの助言。以来、最高気温が高い日が続くときは無理をしないで自粛してきました。

 そして、活動ができなかったもう一つの理由が出版です。本来、到着しての数日間は、掘削する現場の地主さんを訪ねて活動許可を頂く前準備をします。が、編集者からの注文に応えるために待機していたので、一月の半ばまで何も手をつけられませんでした。その仕事にも目途がたったので、重くなってしまった腰をあげられそうです。

    崩れた土砂で埋もれていた別の壕口も整備。これで準備OK

 1年ぶりに訪ねた森は一月でありながら、盛りもりとした緑に覆われ、昨年に切り開いた進入路が見つかりません。夏に直撃した台風で倒れた樹の枝が折り重なり、それを覆うように蔓の草が生え繁っているので、壕口がどこであるかも判らなくなっています。ガジュマルのひげ根が縄のれんのように垂れ下がり、とっても不気味‥。こんな状況で、今年はスタートしました。

校了して、書影ができあがりました。

    2月15日に刊行される書籍

 書影(こんな言葉も初めて知りました)が上がってきました。近代の歴史作家の巨匠と、元外務官僚の作家でこれまた巨匠のお二人にコメントを戴き、恐縮至極です。

    2月に出る本にも掲載される予定

 昨日、校了して、あとは印刷を待つばかり。何もかも初めてずくめの夫婦なので、年甲斐もなくドキドキしています。チラシも貼り付けちゃったけど、よかったのかしら?

沖縄戦(伊東大隊長の手紙)の書籍を出版することになりました

 沖縄戦の生き残りである、歩兵第32連隊第一大隊の伊東孝一大隊長(享年99)からお預かりした手紙を、現代の遺族へお返しする取り組みを始めて足掛け7年。その活動の軌跡を記録した書籍が「新潮社」から出版されることになりました。

伊東孝一大隊長

   在りし日の伊東孝一大隊長

 題名は「ずっと、ずっと帰りを待っていました―『沖縄戦』指揮官と遺族の往復書簡―」で、拙いながらも哲二、律子の書き下ろしです。新たな年となった2024年2月15日に上梓される予定で、計272ページ、判方は四六判変型、定価は1760円(税込み)になります。

伊東大隊長がご遺族へ出した手紙など

 沖縄戦で亡くした部下の遺族から終戦間もない頃に、伊東大隊長のもとへ届いた356通の手紙。これを「世に出してほしい」との依頼を受け、高校生や大学生たちと一緒に古語や候文が入り混じる難解な文(ふみ)を読み解き、現代の遺族を探して返還を続けているボランティア活動の記録です。

    母の手紙を読んで涙ぐむ、ご遺族

 手紙の差出人である遺族やその子孫が生き抜いた、戦後の苦難の人生。若くして志を絶たれた戦没者の無念の想いや為人(ひととなり)。それを沖縄の戦場で、兵士が戦死した日時の時系列に合わせて紹介してあります。

    満洲から届いた戦没者の写真とその裏書。妻へ宛てた手紙に同封されていた

    手紙を受け取って号泣する戦没者の三女〈左から二人目〉と孫たち

 「ありったけの地獄を集めた―」とされる沖縄戦を生き抜き、復員した伊東大隊長や第一機関銃中隊の笹島繁勝兵長たちから聞き取った証言。他の復員兵が残した出版物や口伝。日米両軍の記録などをもとに構成しました。

    戦友の遺影の前で銃を構えるそぶりをする笹島繁勝兵長

    学生たちを前に語る伊東大隊長

 新聞社を退職したジャーナリスト夫婦が、初めて挑戦したノンフィクションの書籍。一人でも多くの皆さまに戦争の惨劇と悲劇をお伝えしたく、精魂を込めて認めてあります。読み終わった後、このページに感想をいただければ幸甚の至りです。

    糸満市の原野で掘り出した戦没者のご遺骨

※下記は新潮社からです。

https://www.shinchosha.co.jp/book/355551/

    並べられたご遺族からのお手紙