東奥日報「Juni Juni」の連載:2回目 ツイート 「Juni Juni」での連載記事の2回目 (紙面の著作権は「東奥日報社」にあります。無断使用や転用は厳禁です) 「Juni Juni」の連載です。前回の続きで、白神マタギたちのクマ猟に同行させて戴いた時のエピソードです。新聞記者や女性が、伝統的な仕来たりを重んじる山人たちに受け入れて貰えるのか、を描きました。ここでも、伊勢勇一親方の人徳と、岩崎マタギたちの「懐の深さ」に助けられました。 仕留めたクマに食らいつくクマの狩猟犬・ロッキー 今から、18~19年ぐらい前の話です。ご一緒した方々の一部は、すでに鬼籍に入られており、時の流れの速さを感じてしまいます。当時は、1995年に発生した阪神大震災やオウム真理教の一連の事件などが、世を賑わしていました。夫の哲二は、それらの仕事にも関わっていましたが、どちらかというと主に海外での紛争地取材に明け暮れていました。 仕留めたクマを引っ張る白神のマタギたち アフガンの首都の近郊であった不発弾処理を伝える紙面 アフリカ・ルワンダやアフガニスタンの内戦など、一歩間違えると、命を落としかねない戦場ばかりです。現場の事情に理解がある上司と組める時はいいのですが、新聞社内の論理や机上の空論を振りかざす上司が担当になると、現場を無視した無理難題な指令が下されたようで、とても苦労した、と振り返ります。 アフガン内戦を伝える紙面での連載の一部 哲二がアフガンで撮影した写真グラフ 中でも、アフガニスタンでは、あまりに理不尽な社命に憤り、上司に歯向かったところ、「もう君は二度と海外主張に出さない」と、強制帰国の命。帰ってすぐ、大喧嘩になり、腹立ちまぎれに未消化だった休暇を取って、私と箱根の温泉で骨休めしていました。 隠し撮りでタリバンが支配する当時のカブール軍用空港を撮影した写真が掲載された紙面。見つかれば処刑されたかも‥ ルワンダ内戦のルポ すると、社から一本の電話が。「南米ペルーで日本大使館が占拠された。すぐに行って欲しい」との命令。哲二は、「私は二度と海外へ出されないのでしょう。何ですか、舌の根も乾かぬうちに」と、憤激しています。そして、「お断りします。もう私は、国内の取材だけで充分ですから」 ルワンダの写真グラフ 射止めたクマを解体するマタギたち。山の神に感謝をして、すべての部位をありがたく頂戴する そして、白神山地で、マタギたちの生き様を追いかけることになったのです。上司の命令を蹴った後ですから、仕事に自由はまったく利きません。ゆえに、溜まっていた休暇を取って、出張の経費は自腹で取材していました。この時から、時期が来たら会社を辞める決意を固めていたようです。 熊撃ちの現場で、阿仁マタギの流れを組む上杉親方と語る伊勢親方。上杉親方はかえでちゃんのお祖父ちゃん 熊見台からクマを狙う伊勢親方 が、またしても、スノーモービルに乗る親方の姿を見た上司が、「現代のマタギはスノーモービルで猟をするのか。おもしろいな。それを記事にしよう」と指令。それだけを取り上げたら、世界自然遺産に登録された後、狩猟をする機会や場所を狭められて苦労する、山人たちを茶化すような内容になってしまいます。 冬場の狩猟で、スノーモービルに乗る親方 秋のなめこの収穫 そんな、ミスリードになりかねない記事と写真は出したくない、と哲二は拒否。また、意見が食い違ってしまい、あえてボツにしたそうです。そして、今までお蔵入りにしていた内容の一部を、東奥日報さんの「Juni Juni」の紙面を借りて報告しています。 熊見台でクマを探す ウサギ狩りに臨む親方。雪盲除けのメガネが時代を感じさせる ドロドロした企業内の嫌な話ですが、そうした事が重なって、会社を早期に退職してフリーとなる道を選んだ夫が、ずっと追いかけてきたテーマのひとつです。いつか、どこかで伝えたいと考えていました。 射止めたクマに手を合わせる伊勢親方 初冬、積もった雪からのぞくなめこを採取 詳しい内容は、いずれまとめて発表しようと思っていますが、まず序章(プロローグ)として、お付き合いください。消えゆく日本の姿を地道に伝えていくために、今後とも、夫婦で取り組んでまいりますので。 皆既日食に浮かび上がるブナの梢 皆既日食がブナの木陰から見えた Post Views: 115 « 東奥日報社の小中学生向け新聞「Juni Juni」で連載が始まりました:1回目 東奥日報「Juni Juni」の連載:3回目 »
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