みらいを紡ぐボランティア

ジャーナリスト・浜田哲二と学生によるボランティア活動

青森県深浦町の小さな集落     
デブ夫婦のウォーキング日記⑧「もしかして、がん?」

デブ夫婦のウォーキング日記⑧「もしかして、がん?」

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今から28年前の1994年、取材で訪ねたアフリカのルワンダ難民キャプで子供たちに囲まれる

 12月9日の記事です。 

 この夏頃から、食べ物を飲み込んだときに胸が痞えるような症状に悩まされていました。ググって該当するのは、食道がん?、もしくは咽頭がん?‥。恐ろしくなって先月の初め、隣町の総合病院へ駆け込みました。

沖縄の巨匠・大城カメラマンと遺骨収集の現場で

 友達の皆さまはご存じだと思いますが、私は大酒飲みの暴食家で、これまでの人生はやりたい放題でした。タバコも1996年のアフガニスタン内戦取材の時まで、ピースを1日40本ぐらい吸う悪煙家。新聞記者時代の不摂生は言うが及ばず、今も律子が止めるのを聞かないで、好き放題の日々を送っています。それゆえ、ついに来たのかと、怯えての末でした。

青森へ移住して3年、チェーンソーの刃を目立て

 問診して下さった消化器内科の若きドクターは、「あー、だいぶ無茶されてきたようですね。え、がん?、その可能性もあるでしょう。よし、胃カメラやりますか」とにべもない診断。これまで、自ら構えることが仕事だったカメラを、人生で初めて飲み込みました。

沖縄県糸満市の遺骨収集の現場で。去年撮影

 何とも言えない違和感と鼻でしか息ができない苦しさ。親指ぐらいのスコープが喉を過ぎて行くのを感じながら、「もしがんだったら、律子は独りで生きて行けるのかな?。んで、どう謝ろうか‥、おっと今、案件が進行中の戦没者のご遺族へなんと説明しようか‥」と、苦悶の中でも先々の心配が頭を過ります。  

新聞社の現役カメラマンだった頃のプレスカード

 約10分ぐらいで終了。写真を見たドクターが、「うーん、食道や胃の一部に糜爛はあるけど、がんは見当たりませんね。しばらく様子を見て、症状が改善されなければ、また来てください。え、胸に痞える症状?。それは逆流性食道炎でもおこるのです。浜田さん、はっきり言いますけど、太り過ぎですよね。痞えるのは、内臓脂肪を含めた腹圧が原因かも‥。まず、痩せて下さい。でないと長生きできませんよ」との宣告。恥ずかしくて、駆け出すように診察室を飛び出しました。

 カンボジアで1992年に撮影したプレスカード用の写真。うーん、若い!

 それからです。私の暴飲暴食と夜更かしに巻き込んだ律子とウォーキングを始めたのは。美しい海岸を悲壮感を漂わせて歩む姿は、映画「砂の器」を思いだします。が、実際はそんなドラマ性の無い不摂生なデブ夫婦の散歩。ただ、本人たちはいたってまじめに取り組んでいます。悪天でどうしても歩けないときは、トランポリンを模したクッションで飛び跳ねるのです。死にたくありませんから。

血液検査の結果。左が前回、右が今回。数値が改善された

 医師より、恥ずべき宣告を受けてから、ほぼ1カ月。年に数回受ける定期健診が本日ありました。貼り付けたのは3カ月前と今回の検査データ。その結果、中性脂肪を示すTG(トリグリセリド)や肝機能のデータが改善されていました。普段、私を定期的に診て下さる腎臓血液内科の先生が、「おー、中性脂肪が劇的に改善されています。え、歩いた?。それは頑張りましたね。うん、今後も続けて下さい」とお褒めの言葉。

青森へ移住間もない頃、庭でガーデニング・ティーを楽しむ

 テストで初めて百点満点を取って凱旋する子供のような表情で、律子へ自慢げに見せつけます。が、冷めた目で、「ふーん。で、今、何キロ痩せたの?。検査の数値はいいけど、標準体重迄あとどれくらいあると思っているのよ。ゴールはまだまだ遠いのよっ!」と突き放されました。

浜田夫婦の友人夫妻とマタギの親方。収穫したマイタケを手に

 なんだよ、自分だって太っているくせに。今日は良い気分でおもいっきりビールを飲んでやろうと思ったのに。え!、それも冷えてないって‥。もう今夜は布団に潜り込んで、枕を濡らすだけです。

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