私たちが暮らす集落に伝わる神事、「鹿島祭(春日祭)」をご紹介いたします。4~5人の男衆が、原木の丸木をくり貫いた舟を担ぎ、その前を着飾ってお化粧した十数人の大人と子どもが、太刀棒を打ち合わせて踊り、集落内を練り歩く村祭りです。太鼓と笛のお囃子も加わり、とても勇壮で華やかです。村史などの記録によれば、古くは田植えが始まる前の5月上旬に、五穀豊穣と悪疫退散を祈願して行われていました。でも最近は、働く人たちの休日や子どもたちの学校の都合などで、6月第二土曜日に実施されることが多いようです。
この集落に引っ越してきた当時、譲っていただいた古民家の敷地内に、壊れかけの納戸がありました。ちょうど良い物入れになりそうなので、屋根に登って修繕をしている最中、なんと祭りの行列が通りかかったのです。こんな大切な時に、トンカチで屋根材を打ち付けている場合ではありません。屋根から飛び降りて、立てかけてあった大脚立を担ぎ、カメラを持って行列に先回りをして撮影しました。
この祭りは、青森県では日本海側の秋田県境に近い旧岩崎村(現深浦町)に古くから伝わってきた「鹿島祭」で、私たちが住む地区では「春日(かすが)祭」とも呼びます。男衆が担ぐ船は、サワグルミなどの原木をくり貫いて作ります。長さは約1.7㍍。桐の木や藁で作った人型を7体乗船させて帆をかけた姿は、北前船を模しており、「春日丸」と名づけられています。船を担いで村内を練り歩くこの神事は、執り行われる時期と祭りの形態から、「虫送り」の儀式も兼ねているかと思われます。
この丸木舟の前を、赤い襦袢にたすき掛けをした村の人たちが、踊りながら歩きます。先導するのは、色紙を重ねて切った御幣を手にした「先振り(サキフリ)」。御幣を振りながら、「アーラ、エンヤラ、エンヤラ、エンヤラ、ホーイ」と合図の掛け声を発すると、後ろの太刀を持った踊り手の「太刀振り」たちが手に持った太刀棒を高く挙げて、「エンヤラ、エンヤラ、エンヤラ、ホーイ」と応じます。これが出発の合図となります。そして先振りが、「ア、シッチョイ、シッチョイ、シッチョイナ」と繰り返すと、それに合わせて太刀振りも太刀棒を地面につきながら、同じ言葉を発して後に続きます。10回前後も繰り返したところで先振りが、「エイッ、ヤッ」と声を発すると、2人1組となった太刀振りが、互いに体を入れ替えて交錯しながら、太刀棒を強く2回打ち付け合います=写真下、太刀棒を打ち付け合う子どもたち。これが「太刀振り所作」のひと区切りで、この繰り返しで行列は進んで行きます。
元々は青年団らが取り仕切っていた行事らしく、集落の真ん中にある「青年会館」という集会所を午後1時に出発します。一行はまず、丸木の春日丸に灯明とお神酒をあげて拝礼します。そして行列は、山と海に面した家々を周り、最後は港に近い砂浜を目指します。これで、集落をほぼ1周する形になります。行列はこの間、4~5ヶ所の「舟宿(フナヤド)」で休憩しながら進んでいきます。この宿はかつて、集落の有力者が宿や酒食を提供していました。農地解放される前の地主が、労働力である小作人に、祭りを機に感謝の意を込めた振舞いをしていたようです。今は、10班からなる地区内の各戸が持ち回りで舟宿を務めています=写真下、舟宿の前で踊る先振り(右端)と太刀振りたち。
そして夕刻、集落内を練り歩いた後、行列は漁港近くの砂浜に到着します。ここで祭りはいよいよフィナーレを迎えます。春日丸の舳先にはろうそくの火が灯され、太刀振りたちが太刀棒を海に放り投げて流します。この時、春日丸は海へ浮かべられ、男衆が泳いで沖へ曳いて行きます。その後、漁船に引き上げて、さらなる沖へ持って行き、そこで本格的に海に流します。そこでも漁船が、海に浮かべた春日丸の周囲を時計回りに3周して港に戻ります。
きれいな写真ですね。きれいな笑顔ですね。残していきたい神事ですね