前編でお伝えした「春日祭」の神事です。地域の村祭りは、子どもたちにとっては一大イベントで、この日は学校もお休みです。小学生の女の子たちも、入念にお化粧して、大好きなお祭りに臨みます。
祭りの準備は、古い木造家屋の「青年会館」で、地区のお母さんや年配の女性が、子どもたちに着付けやお化粧を施します。ぼんやりと暗い室内で、子どもたちも真剣な表情。
つい先程まで、あどけない表情で笑っていました。
そう、思わせたのは一瞬でした。着付けが終わると、あっという間にいつもの元気な姿に逆戻り。
祭りの行列でも、先頭に立って、得意満面で太刀棒を振ります。
6月とは言え、まだ冷たい水が打ち寄せる北国の渚。そんなの、へっちゃらで海に水飛び込んで行きます。
「コラー、危ない!」。神輿の下を男の子が駆け抜けて行きます。心配して戸惑いながらも、大人たちは皆んながホッコリと癒されています。
「ほら、これが太刀振りのお手本だよ」と、大人たちが実地訓練。青年の踊り手も減ってゆき、今は子どもが主役の祭りですが、大人も皆んなが楽しんでいます。
行列がスタートした途端、全身を使って踊ります。子どもたちが着る赤い襦袢のいわれは、記録などが残っていないためよく判りません。ただ、医療技術が発達していない時代、青森県を始めとする東北地方の西海岸にも、伝染病である天然痘や赤痢が猛威を振るった、と記録に残っています。その当時、患者の衣類から調度、玩具にいたるまでを、すべて赤色ずくめにする風習があったそうです。それは、天然痘の発疹が赤いほど経過が良い、という理由だけでなく、痘瘡の鬼が赤色を嫌うことからきているとされてます。太古から、赤は魔除けに使われてきた習わしが、子どもたちに着せる襦袢に引き継がれているのかもしれません。
「危なぁーい」。お母さんが、大声を上げて、祭り衣装の坊やを追いかけます。太刀振りの最中、あどけない坊やが真ん中を横切りました。
村の人たちが見守る前を皆んなで行進。子どもたちの踊る姿を見るのがお年寄りたちの励みになります。まさに祭りの花形です。
大人たちも負けてはいません。春日丸を担ぎながら、沿道からの冷やかしの声?に、弾ける笑顔で応えます。皆んな祭りが大好き。それは、日々の仕事や暮らしの安全祈願であり、豊穣な実りや大漁を祈願する重要な神事でもあるからです。1984年(昭和59年)に青森県の無形文化財に指定されています。
鯔背な男衆の横に並べられた太刀棒には、参加者である持ち主の名前が書き込まれています。最後には、舟と一緒に海へ流します。
行列が舟宿に近づくと、その班の人たちが祭りの主役たちを出迎えます。昔は行列の中心で踊り、祭りを盛り上げる主役でした。
漁協組合の男衆らも、浜で見物。皆んな、北国の厳しい海で網を引く、実直な働き者です。よく、お魚を戴くので、足を向けて寝られません(笑)。
華やかな祭りの行列に、ワンちゃんも大喜び。神輿を担いでいた男衆に、つい甘えて飛びついていました。
可愛い鉢巻き姿の赤ちゃんとお母さん。集落の人ではありませんが、笑顔で見物。
祭りをひと目みようと、出稼ぎの中国人労働者たちが、宿舎前に顔を出しました。参加者が履く雪駄を見て、「おしゃれー」と、興味津々でした。
舟宿に置かれた春日丸。今年の舟の出来はいかが?、と皆が集まってきます。「あの衣装は誰が繕ったの」、「顔の表情がいいね」、それぞれの感想を呟きながら。北国の初夏の日差しが暖かい、午後のひととき。
祭りの行列を待つ地区のお年寄りたち。右から2人目が総代さん。楽しみにしていた、待ちに待った瞬間です。
「私の若い時は、こうだった」、「それは何十年前?」。軽妙なやりとりに、笑顔が弾けるおばあちゃんたち。彼女らこそ、祭りを準備し、ご馳走を作り、着付けまでこなす、スーパーガールズ。戦争や出稼ぎなどで男衆が村を開けた時にも、この集落を支えてきた屋台骨でもありました。私たちにも、とても優しくて尊敬できるお母さんたちです。長生きしてくださいね。
子どもたちの行列を拍手で迎え、満面の笑みを見せるおばあちゃん。祭りが大好きだと、聞きました。
夕暮れ前、舟流しをする浜で、おばあちゃんが一人で祭りの行列を待っていました。浜に拾いに来た薪を手押し車に満載にして。深浦町の過疎と住民の高齢化は深刻です。私たちが暮らす地区も、限界集落に向けてまっしぐらに突き進んでいるのでしょう。若衆や子どもたちの数もどんどん減っており、地区にあった小学校は40年前に統廃合されてなくなりました。今は集落の大半が高齢者の暮らす住居となっています。そんな中でも、祭りは華やかに執り行われています。しかし、今後も安定的に継続できるかは、地区を上げての論議になっており、その行き先が心配です。
こうした集落では、私たちのような移住者は珍しく、最初は奇異な目で見られているなと感じることもありました。が、今では集落をあげて歓迎してくださっているのを実感できます。こんな良い人たちが暮らす村が、消えてしまうようなことになっては、心が痛いだけでは済まされません。写真を撮り、記録を残していくことでしか伝えることはできませんが、町と集落がまた昔のような活況を取り戻せるように、取材活動を続けていきたいと考えています。都会の皆さん、よければ遊びにおいでください。そして、祭りを体験するも一興ですよ。それで、ここが気に入ったら、私たちのように移住して来てくださいな。村を上げて大歓迎されますから。
ありがとうございます