深浦町に移住してきて、季節ごとに伝統行事が数多く行われることに驚いています。都会暮らしだと、地域の盆踊りにさえ参加したことがなかったのに、旧暦のお盆を含め、田植えの時期や年末年始にも、持ち回り制ですが様々な行事や神事が執り行われます。
今回、紹介するのは「産土講」の準備作業である「しめ縄作り」です。深浦町では、年末に岩崎地区で行われる「裸参り」が産土講として有名です。裸の男衆が、巨大なしめ縄と米俵を担いで集落を練り歩く勇壮な神事です。海辺の神社と山あいの神社に向かって、行列の男衆が同時に駆け出し、海に早く到達したら豊漁、山に早く到達したら五穀豊穣を得られるという、とてもユニークな行事です。これにはアマチュアの写真家や観光客も大勢訪れます。これも、いずれ紹介いたします。
私たちの集落の産土講は、もう少し地味な形で進められます。12月上旬、まず、田で収穫した米の稲わらを男衆が協力しながら編んでゆきます。平均年齢が前期高齢者に近い集落。作業は80歳を超える長老の指示のもと、60代から70代までの方々が中心となって始まりました。役に立ちそうもない夫が手伝おうとしましたが、「おめは、写真撮っとけ」と一喝。ビクつきながらもホッとした様子で、カメラを構えています。
この集落には10班まで班分けがあり、私たちは1班です。山に近い方から若い番号を割り振られており、山と深い関わり合いを保ってきた人々の暮らしぶりが伺えます。しめ縄作りは、稲わらを1本ずつ束ね、縄で編んでゆきます。全長は20メートル近く有り、10~15センチ前後の太さまで編み上げます。朝から作業に掛かり、終わるのはお昼を越えます。集落の伝統を受け継ぐ高齢者たちが、時には厳しく、時には満面の笑顔で作業を続けます。
作業には女性陣も参加します。津軽の女性は奥ゆかしくて、いつも男を立てて一歩引きながら仕事をしていますが、実は芯が強くてとてもしっかりとした働き者です。男がダメになっても、まさに女手ひとつで家族を食べさせる心意気を持つ強い女性です。特に齢を重ねるほど、その傾向は強まり、尊敬の念を抱きます。私も見習って、夫の尻を叩こうと思ってしまいます。
そして、無口で無骨な雰囲気ながら、力自慢でシャイな男衆は文句も言わず黙々と作業に取り組みます。高齢の先達を立てながら、時には真面目な顔つきでジョークを飛ばしながら、淀みなく縄は締め上がっていきます。唯一、流れに乗り切れず、オロオロと作業の邪魔をしているのが我が夫です。んもー、写真に専念していなさい。
締め上がりの時は、全員で力一杯に引っ張ります。この時は男も女も参加します。これで完成。後は、稲荷神社の鳥居に飾り付けるだけです。
稲藁とはいえ、これだけの太さになると相当の重量。男衆が数人で担ぎ上げて軽トッラクの荷台に積み込みます。
この地域の産土講についての歴史は、相も変わらずの勉強不足で解りません。産土の神とは、土地の守護神を指すようで、そこで生まれ育った信者を一生守護してくれると信じられているそうです。ウィキペディアなどによると、氏神と氏子が血縁関係を基に成立しているのに対し、産土神は地縁による信仰意識に基づいているとされています。この社は、白神大権現の里宮として祀られている稲荷大社ですが、古くから地域の人々の信仰の拠り所として、様々な神事や伝統行事を司る場所であったようです。産土講も、神社を中心とする信仰を守るために、毎年持ち回りで執り行われてきた神事のように思われます。
1年の穢を払うために、まずしめ縄を奉納する神社の境内を男衆が清掃します。
そして、女衆は社殿内を清掃し、神事に向けての神具を並べます。電気もなく、暖房もない北国の師走時、手がかじかむのを通り越して、感覚がなくなります。それが、全身に及ぶ頃、ようやく作業が終了します。
そして、男衆らが、鳥居にしめ縄を飾り付けます。長老の指示を受けながら、歪まないよう慎重に作業は進みます。折り悪く、雨も降ってきましたが、誰も怯みません。作業現場は、辛抱強くて粘りにある東北人独特の雰囲気で、黙々と進んでゆきます。
そして、完成。地区の総代さんが、最後の飾りつけをして終了。無口な男たちの表情も一様に緩みます。外気温は氷点下2度。手だけでなく、全身が悴んでいます。心よりお疲れ様でした。
この後は、本番の産土講を1週間後に執り行う予定です。その内容は後日に続きを記します。これも、都会人にとっては初めてずくしの体験でした(後編に続く)。
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