
構築壕で遺骨収集中の筆者たち(今回の撮影は律子がスマホで担当。すべて去年の写真です)
沖縄の壕の中で、戦没者の遺骨を掘っているとき、手を休めて壁にもたれ、ヘッドライトに浮かぶ天井をぼんやり見つめてしまうことがある。その場所には、お尻と背中がすっぽりと嵌まり込むような窪みがあり、心地よさで時間の経過を忘れ、疲れも重なり、目を閉じてしまいそうに‥。

出土した薬瓶。中身は不明
ふと、74年前の兵士たちは、どんな想いで壁にもたれていたのか、と思索。父母を案じ、妻を慕い、成長した子の姿を想っていたのだろうか。故郷の美味しい水や米で腹をいっぱいに満たしたい、と飢餓に苛まれたのだろうか。時間が止まったような空間から、何の音も聞こえてこない。

マラリア予防薬の容器
劈くような轟音で南国の空を切り裂いて行く米軍機の喧騒も、この季節に飛来する猛禽が縄張りを主張する声も耳に届いてこない。が、音のない反面、夢か現身なのか、すぐ隣に誰かがいるような感じがする。濃密な人熱れに壕内が満たされたような錯覚。煙草の匂いや汗臭い体臭を感じてしまうのは幻なのだろうか。ふと壕の奥から誰かが歩いてくるような気配も。

日本軍の手りゅう弾
もう20年近くやっているので、何かが怖いわけではないけど、つい気になってヘッドライトを気配に向ける。そこには、ひんやりとした空間とデコボコの壁面が浮かび上がるだけ。ちょっと呆けてきたのかなぁと、立ち上がって耳を澄ますと、相棒が鶴嘴で地面を叩く音が、時折、ズンズンと響いてくる。

土の中に埋もれていた自作の対戦車火炎瓶
齢を重ねるにつれ、これまで見えなかった人の心や姿が朧気に浮かぶようになり、見えていたつもりの人間関係が判らなくなりつつある。スピリチュアルな現象には、ほとんど出会ったことがなく、まったく信じていない。が、今回、伊東孝一さんから預かった手紙を元に活動を続けていると、不思議な縁や出会いに驚かされることが多い。詳しくは語らないが、一瞬の閃きや行動を怠っていたら、出会うことも手紙を返すこともできなかった関係もあった。

青森県鰺ヶ沢町のわさおの勇姿
これから、どんどん弱ってゆく自分に何が出きるのか。今のままで、夫婦ともに暮らして行けるのか。暗中模索のまま、明日もクワズイモとトゲだらけのブッシュを歩きに行く。これから来るメンバーのために、遺骨や遺留品が出そうな壕を見つけなければ、先遣隊として来てる意味はない。74年前、命を守ることが出来る空間を探し求めた兵士や民間人も、同じようにジャングルを徘徊したのか‥。

北海道のご遺族を再訪。戦没者の遺影を手にした後藤まりあ
家族や国を守るために命を賭して戦った若者たちと、平和な日常が戦禍によって破壊され尽くされた地元の方々が、無念を抱いたまま地中に眠り続けている島。その記憶を時が消し去ってしまう前に、何とか手を差し伸べたい。そんな想いで日々、取り組んでいる。ふるさとで待ち続けている、ご遺族の心を癒す意味も込めて、明日も頑張らなければ。
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