沖縄県の遺骨収集家・国吉勇さんを訪ねて、多くのボランティアが集まってきます。特に2月、暑くもなく、内地ほど寒さも感じないこの時期は、数多くの団体が遺骨収集のお手伝いに来てくださいます。3年ぶりに大人数で参加してくれたのが、国際ボランティア学生協会(International Volunteer University Student Association)、通称「I・V・U・S・A」(イビューサ)の大学生たちです。
国際協力、環境保護、福祉活動、災害救援などの分野で、ボランティア活動を通して若者の情熱や力、それぞれの感性を活かしたい、と願う団体です。様々な現場で社会貢献をしながら、参加した学生らも実戦で学習することを目的に結集しています。近年では、豪雪地帯の屋根の雪下ろし、東日本大震災のがれき撤去、発展途上国での国際貢献など、多様な活動を行っています。
そして今回は、首都圏や関西、九州など、幅広い地域の大学生が約90人参加して下さいました。男女を問わず、澄み切った瞳と輝くような笑顔で、一生懸命に働いてくれる若者たちに、夫も私も、あっという間に心を奪われました。その一途さと可愛さに、もうメロメロです。
ただ、残念なことに、私ら夫婦がインフルエンザに感染していたよう(後日に判明、ごめんなさい)で、高熱と止まらない咳による寝不足で、ここ数日、フラフラの状態でした。いつも参加してくれる遺骨収集を専門とする学生グループ「JYMA」ならば、エキスパートも揃っているので、安心して任せられるのですが、ほとんどが初体験という「IVUSA」には、そういう訳にも行きません。
でも、この子たちの為ならと、弱り切った身体に鞭打って、現場に出ました。収集場所は、糸満市真栄里の病院壕と周辺の陣地跡。戦没者の遺骨や遺留品に向き合うのは初めて、という学生さんがほとんどです。が、皆、熱心に、道具の扱い方や不発弾が出た時の注意などを聞いています。
そして説明が終わると、病院壕を中心に、トーチカ、塹壕、たこつぼ跡などに分かれて配置につき、熱心に掘り進めて行きます。壕の中は、通路の左右に「病室」が作られていますが、土質は地元の方々が「クチャ」と呼ぶ固い粘土層です。病院とは名ばかりの泥の穴に、驚きと慄然としながらも、熊手やスコップにへばりつく粘土と格闘しながら作業をしてくれました。
同じような激戦地だった小笠原諸島の硫黄島へ派遣されたメンバーもいると聞いていましたが、この作業は生半可な経験ではエキスパートになれません。でも、真面目で熱心な想いが通じたのでしょうか、戦没者の肩甲骨や頭骨などの遺骨が次々と発掘されました。また、遺留品も、痛んでいない万年筆の完全品が出たほか、煙幕弾や手りゅう弾などの武器も見つかり、陸上自衛隊の爆発物処理係に最終処分をお願いしました。
期間は3日間でしたが、90人の学生たちは一人の脱落者もなく、最後まで働き続けます。大きなスコップで、1㍍以上も泥を掘り進めた女子学生らには驚かされました。そして、道具が足りなくても、全身を使って大岩と格闘する凛々しい男子学生。夫が語る悲惨な戦争体験者の話を聞き、涙を拭いながら遺留品を探し当てた男女のペアの誇らしげな顔‥。やり終えたみんなの笑顔が、とても素敵でした。
最終日、いく柱か出た遺骨を前に、全員で黙とうを捧げます。数多くの学生が、69年間も放置されてきた戦没者を目の当たりにして、涙を流しています。それは、素晴らしい光景でした。そう、君たちが来なかったら、この人たちは未だに暗い土の中に埋もれたまま、供養もされずに忘れられていたんだ。「ほんとに、よくやってくれた。ありがとう」と、掘り出して貰った戦没者の声を代弁するかのような言葉が、私たちの口から自然に出ていました。
今回の遺骨収集を通して、一人ひとりの若者が沖縄戦と向き合い、戦禍で命を奪われた人や、その帰りを待ち詫びていた家族らに想いを馳せることができたと思います。人間の命と尊厳を簡単に踏みにじってしまう戦争の理不尽さを、十二分に考えてくれたことでしょう。
「この石の下で誰か亡くなっているかもしれない!」と、歯を食いしばりながら巨岩と格闘してくれた男子学生たち。「私、何にも知らなくて‥」と、遺骨を前に号泣した女子学生さん。「何か刻み込まれてない?」。掘り出した遺留品に名前が書き込まれていないか、一生懸命に汚れを拭ってくれた君‥。みんな、自らの力の限りを尽くして頑張ってくれたね。その一途で純粋な気持ちを、いつまでも忘れないでください。
そして、平和な日本を築き上げるために、今後も若い力を結集して新たな道を切り開いて下さいね。「私たちは『IVUSA』ですから。どんな過酷な仕事も、丁寧にやり遂げます」と、まなじりを結して語ってくれたチームリーダー。未来の日本を託す意味も込めて、思いっきり、期待していますよ。そのためには、来年も、ぜひ、沖縄に来て下さい。そして、一緒に頑張りましょう。諄いようですが、お待ちしていますよ。
最後に一言。活動の終了後、現場を離れようとする私たちの車に、別れを惜しんだのか全学生が駆け寄って来て下さいました。皆が口々に、「お世話になりました。ありがとうございました」を連呼してくれます。そして、私らの姿が見えなくなるまで、千切れるほど手を振り続けてくれたのです。もう、感動で胸がいっぱいになりました。この体験、私ら夫婦の「生涯の宝物」になりそうです。ほんと、ありがとう、「IVUSA」のみなさん。また、会おうね!

























学生たちが本当にお世話になり、ありがとうございました。
2/8朝に少しだけしかご挨拶できず失礼いたしました。
毎年毎年JYMAの学生がお世話になり、今回はIVUSAの学生が大人数でお世話になりました。
私はJYMA、IVUSA双方の理事をしているものですから、本来なら事前のご挨拶、終了後の御礼に残らなければならないのですが、双方とも現場で出会った先達、大人の方々に、或いは物言わぬ御英霊に教示を乞う意味で、僕ら大人は出来るだけコミットしないようにしております。
ご夫妻のインフルエンザ罹患はJYMA学生のものが伝染ったのではないかと思うと申し訳なく思います。どうかご自愛ください。
無責任に聞こえるかもしれませんが、来年も、再来年も、お元気で、若き等をご指導いただきたくお願いいたします。