みらいを紡ぐボランティア

ジャーナリスト・浜田哲二と学生によるボランティア活動

青森県深浦町の小さな集落     
2014年遺骨収集15日目 「IVUSA」の若者たち

2014年遺骨収集15日目 「IVUSA」の若者たち

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IVUSAの学生たち

IVUSAの学生たち

決意込めた熱い眼差し

決意込めた熱い眼差し

沖縄県の遺骨収集家・国吉勇さんを訪ねて、多くのボランティアが集まってきます。特に2月、暑くもなく、内地ほど寒さも感じないこの時期は、数多くの団体が遺骨収集のお手伝いに来てくださいます。3年ぶりに大人数で参加してくれたのが、国際ボランティア学生協会(International Volunteer University Student Association)、通称「I・V・U・S・A」(イビューサ)の大学生たちです。

通称「タコ壺」と呼ばれる竪穴の塹壕を掘る学生たち

通称「タコ壺」と呼ばれる竪穴の塹壕を掘る学生たち

国際協力、環境保護、福祉活動、災害救援などの分野で、ボランティア活動を通して若者の情熱や力、それぞれの感性を活かしたい、と願う団体です。様々な現場で社会貢献をしながら、参加した学生らも実戦で学習することを目的に結集しています。近年では、豪雪地帯の屋根の雪下ろし、東日本大震災のがれき撤去、発展途上国での国際貢献など、多様な活動を行っています。

学生らに、石油の入ったビール瓶ぼ説明をする国吉さん

学生らに、石油の入ったビール瓶の説明をする国吉さん

出土した武器などの遺留品を説明する国吉さん

出土した武器などの遺留品を説明する国吉さん

壕の中から出てきた煙幕弾の説明を熱心に聴く学生たち

壕の中から出てきた煙幕弾の説明を熱心に聴く学生たち

そして今回は、首都圏や関西、九州など、幅広い地域の大学生が約90人参加して下さいました。男女を問わず、澄み切った瞳と輝くような笑顔で、一生懸命に働いてくれる若者たちに、夫も私も、あっという間に心を奪われました。その一途さと可愛さに、もうメロメロです。

塹壕を掘る学生たち。この場所から週榴弾と肩甲骨が出てきた

塹壕を掘る学生たち。この場所から手りゅう弾と肩甲骨が出てきた

民家が並ぶ丘の上で遺骨収集の現場に向かう学生たち

民家が並ぶ丘の上での収集現場からバスへ戻る学生たち

ただ、残念なことに、私ら夫婦がインフルエンザに感染していたよう(後日に判明、ごめんなさい)で、高熱と止まらない咳による寝不足で、ここ数日、フラフラの状態でした。いつも参加してくれる遺骨収集を専門とする学生グループ「JYMA」ならば、エキスパートも揃っているので、安心して任せられるのですが、ほとんどが初体験という「IVUSA」には、そういう訳にも行きません。

熱い眼差しで、活動に挑む学生たち

熱い眼差しで、活動に挑む学生たち

作業開始前に、戦没者とご遺族へ黙とう

作業開始前に、戦没者とご遺族へ黙とう

でも、この子たちの為ならと、弱り切った身体に鞭打って、現場に出ました。収集場所は、糸満市真栄里の病院壕と周辺の陣地跡。戦没者の遺骨や遺留品に向き合うのは初めて、という学生さんがほとんどです。が、皆、熱心に、道具の扱い方や不発弾が出た時の注意などを聞いています。

約90人の参加者。写真もたくさん掲載します

約90人の参加者。写真もたくさん掲載します

仲間が働く姿を携帯電話でパチリ。ん、その手元の塊は何?

仲間が働く姿を携帯電話でパチリ。ん、その手元の塊は何?

そして説明が終わると、病院壕を中心に、トーチカ、塹壕、たこつぼ跡などに分かれて配置につき、熱心に掘り進めて行きます。壕の中は、通路の左右に「病室」が作られていますが、土質は地元の方々が「クチャ」と呼ぶ固い粘土層です。病院とは名ばかりの泥の穴に、驚きと慄然としながらも、熊手やスコップにへばりつく粘土と格闘しながら作業をしてくれました。 

何と、旧日本軍の手りゅう弾でした。危ないよ!

何と、旧日本軍の手りゅう弾でした。危ないよ!

危険物が出たので、然るべき機関に連絡して下さい!。リーダーが、直ちに本部へ連絡

危険物が出たので、然るべき機関に連絡して下さい!。リーダーが、直ちに本部へ報告

同じような激戦地だった小笠原諸島の硫黄島へ派遣されたメンバーもいると聞いていましたが、この作業は生半可な経験ではエキスパートになれません。でも、真面目で熱心な想いが通じたのでしょうか、戦没者の肩甲骨や頭骨などの遺骨が次々と発掘されました。また、遺留品も、痛んでいない万年筆の完全品が出たほか、煙幕弾や手りゅう弾などの武器も見つかり、陸上自衛隊の爆発物処理係に最終処分をお願いしました。 

作業終了。ヘルメットに付いた汚れを拭う

作業終了。ヘルメットに付いた汚れを拭う

期間は3日間でしたが、90人の学生たちは一人の脱落者もなく、最後まで働き続けます。大きなスコップで、1㍍以上も泥を掘り進めた女子学生らには驚かされました。そして、道具が足りなくても、全身を使って大岩と格闘する凛々しい男子学生。夫が語る悲惨な戦争体験者の話を聞き、涙を拭いながら遺留品を探し当てた男女のペアの誇らしげな顔‥。やり終えたみんなの笑顔が、とても素敵でした。

塹壕跡から出てきた、頭蓋骨の説明を聴く

塹壕跡から出てきた、頭蓋骨の説明を聴く

神妙な顔つきで話に引き込まれる学生たち。涙する女子学生も

神妙な顔つきで話に引き込まれる学生たち。涙する女子学生も

最終日、いく柱か出た遺骨を前に、全員で黙とうを捧げます。数多くの学生が、69年間も放置されてきた戦没者を目の当たりにして、涙を流しています。それは、素晴らしい光景でした。そう、君たちが来なかったら、この人たちは未だに暗い土の中に埋もれたまま、供養もされずに忘れられていたんだ。「ほんとに、よくやってくれた。ありがとう」と、掘り出して貰った戦没者の声を代弁するかのような言葉が、私たちの口から自然に出ていました。

掘り出した遺骨を並べる準備をする学生ら

掘り出した遺骨を並べる準備をする学生ら

号泣する女子学生

号泣する女子学生

今回の遺骨収集を通して、一人ひとりの若者が沖縄戦と向き合い、戦禍で命を奪われた人や、その帰りを待ち詫びていた家族らに想いを馳せることができたと思います。人間の命と尊厳を簡単に踏みにじってしまう戦争の理不尽さを、十二分に考えてくれたことでしょう。

沈み込んだ瞳から涙を拭う女子学生ら

沈み込んだ瞳からこぼれ出す涙を拭う女子学生ら

掘り出した遺骨を並べる学生ら

掘り出した遺骨を並べる学生ら

「この石の下で誰か亡くなっているかもしれない!」と、歯を食いしばりながら巨岩と格闘してくれた男子学生たち。「私、何にも知らなくて‥」と、遺骨を前に号泣した女子学生さん。「何か刻み込まれてない?」。掘り出した遺留品に名前が書き込まれていないか、一生懸命に汚れを拭ってくれた君‥。みんな、自らの力の限りを尽くして頑張ってくれたね。その一途で純粋な気持ちを、いつまでも忘れないでください。

遺骨に手を合わせる学生ら

遺骨に手を合わせる学生ら

そして、平和な日本を築き上げるために、今後も若い力を結集して新たな道を切り開いて下さいね。「私たちは『IVUSA』ですから。どんな過酷な仕事も、丁寧にやり遂げます」と、まなじりを結して語ってくれたチームリーダー。未来の日本を託す意味も込めて、思いっきり、期待していますよ。そのためには、来年も、ぜひ、沖縄に来て下さい。そして、一緒に頑張りましょう。諄いようですが、お待ちしていますよ。

納骨袋に発掘の日時と場所、団体名を記す

納骨袋に発掘の日時と場所、団体名を記す

最後に一言。活動の終了後、現場を離れようとする私たちの車に、別れを惜しんだのか全学生が駆け寄って来て下さいました。皆が口々に、「お世話になりました。ありがとうございました」を連呼してくれます。そして、私らの姿が見えなくなるまで、千切れるほど手を振り続けてくれたのです。もう、感動で胸がいっぱいになりました。この体験、私ら夫婦の「生涯の宝物」になりそうです。ほんと、ありがとう、「IVUSA」のみなさん。また、会おうね!

遺骨を納骨袋へ納める

遺骨を納骨袋へ納める

お祈りの後、現場での事実の重みに打ちひしがれる学生たち

お祈りの後、現場での事実の重みに打ちひしがれる学生たち

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コメント

  • 赤木衛 より:

    学生たちが本当にお世話になり、ありがとうございました。
    2/8朝に少しだけしかご挨拶できず失礼いたしました。
    毎年毎年JYMAの学生がお世話になり、今回はIVUSAの学生が大人数でお世話になりました。
    私はJYMA、IVUSA双方の理事をしているものですから、本来なら事前のご挨拶、終了後の御礼に残らなければならないのですが、双方とも現場で出会った先達、大人の方々に、或いは物言わぬ御英霊に教示を乞う意味で、僕ら大人は出来るだけコミットしないようにしております。
    ご夫妻のインフルエンザ罹患はJYMA学生のものが伝染ったのではないかと思うと申し訳なく思います。どうかご自愛ください。
    無責任に聞こえるかもしれませんが、来年も、再来年も、お元気で、若き等をご指導いただきたくお願いいたします。

    • hamatetsu より:

      赤木さま

      こちらこそ、ありがとうございました。
      素晴らしい志を持った「若き力」と出会わせて戴いて、心より感謝とお礼の言葉を申し上げます。
      良いですねぇ、IVUSAも。
      JYMAの若者たちとは毎年、沖縄で一緒に活動していますので、同じ釜の飯を食う仲間のような親近感があります。
      が、IVUSAは3年前に一度、ご一緒しただけで、どんな方々が集っているのか、判りませんでした。
      今後は、両方のグループが、兄弟のように形で、遺骨収集活動に関わって下されば、国吉親方も含め、沖縄県で遺骨収集に関わるメンバーも大喜びすると思います。
      あの大戦で亡くなられた戦没者の方々を、ひとつの骨片も残さずに「recovery」するのも大切な目的なのですが、後の世代に「悲劇の事実」を伝えることも最重要だと考えています。
      私たちにできることは知れてますが、身体が動く限り、毎年、沖縄を訪ねて、活動を続けるつもりです。
      来年にお会いできるならば、ぜひ、国吉親方ご推奨の「八竹」で一献傾けましょう。
      子どもたちへのご指導、頭が下がる思いです。
      今後とも、よろしくお願い致します。

      追記ですが、インフルエンザはJYMAの学生さんからではなく、元凶は親方のお孫さんかな、と見ています。それが、親方を通して、学生さんと私らに伝染ってきたのでしょう。理由は、私らが滞在中は、絶対に収集活動を休まない親方が、今回は体調不良で休んだからです。その時に、嫌な咳をしていたので、もしかしたら、と思っていました。どうも、親方のご家族にも蔓延していたようですよ。ゆえに、大丈夫です。学生さんに罪はありません。いえ、どちらかというと被害者です(笑)

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