糸満市の海に近い集落の脇にある壕から、旧日本軍の急造爆雷が出てきました。木箱の中にピクリン酸が含まれた火薬を詰めて使用されていました。3キロ、5キロ、7キロ、10キロ、15キロと区別されていたと記録が残っており、主に米軍の戦車対策として使われたようです。火薬量が少ないものは戦車のキャタピラを破損させる程度でしたが、10キロを超える大きなものは本体の破壊も可能だったとされています。
ただ、この爆雷、沖縄戦では、投げつけたり、仕掛けたりするのではなく、ほとんどが兵士が背負って戦車などに肉弾攻撃をしていたようです。なかでも、鉄血勤皇隊と呼ばれた学徒兵の一部が、この爆雷を背負って切り込み(特攻)させられたとする報告もあり、未来ある尊い命を軽視した無謀な戦い方に憤りを覚えます。
この爆弾は、信管が傷んでいるのと火薬が湿気っているせいで爆発しないと思われます(素人考えです)が、民家から5mも離れていない壕の入口に68年間も放置されていたことに驚きました。一緒に手榴弾や機関銃の銃弾なども出てきており、沖縄の人々が、いまだ危険な不発弾と隣り合わせで暮らしているのが気の毒でなりません。一日でも早く調査を進め、国や県が責任を持って回収すべきだと思います。



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