みらいを紡ぐボランティア

ジャーナリスト・浜田哲二と学生によるボランティア活動

青森県深浦町の小さな集落     
地元新聞に紹介されました

地元新聞に紹介されました

このエントリーをはてなブックマークに追加

私たちの遺骨収集活動が地元紙に紹介されました。1ページのグラフ面で写真5枚、約50行の記事です。最初はお断りしたのですが紆余曲折の末、取材を受けることになってしまいました。ビジュアル的に全くいけてない中年夫婦の情けない姿を、沖縄の方々に見ていただくのは忍びないです。しかし、時計のネジを逆さに巻くわけにはまいりません。恥ずかしながらメディアに初出することになってしまいました。

写真グラフの紙面

写真グラフの紙面

期間は1週間程度でしたが、取材する立場からされる側にまわると、勝手が違って思うように行動できません。そして、取材記者も24歳の青年カメラマンだったので、お互いが緊張して息が合わず、最初は苦労しました。でも、終盤になってくると、私たちもカメラマンが気にならなくなり、自然な形で取材を受けることができました

たくさんの遺骨を前に国吉勇さん(左端)と語る筆者。中央は地元紙のカメラマン

たくさんの遺骨を前に国吉勇さん(左端)と語る筆者。中央は地元紙のカメラマン

メディアへの露出はできる限り避けたいのですが、戦没者の遺骨がおかれている状況を鑑みますと、そうも言ってはいられません。自ら報道することも重要ですが、他のメディアへの橋渡しはもっと重要だと認識しています、ゆえに、今後も機会があれば、遺骨収集関係の記事・写真を仲介したり、紹介したりする役割を担っていこうと自負しています。

« »

コメント

  • 上野 恵美 より:

    はじめまして。
    沖縄で、戦没者の遺骨返還活動をしている方がいらっしゃるというのは聞いたことがありました。
    ようやく、ご連絡できると思うと涙が出ます。

    母方の祖父が沖縄で戦死していると、子どもの頃に知らされました。墓参にいくたびに
    「この中に遺骨も入っていなくて、沖縄の戦没者慰霊
    碑くらいはお参りに行きたい」
    と言っていた祖母も、高齢でもあり、結局行けないまま3年前に亡くなりました。

    私も、沖縄へ行って名前だけでも見てきたい気持ちはあります。
    でも、自分たちの生活拠点が北海道なのとコロナとで、結局まだ行けずじまいです。
    母は終戦直前の生まれで、満州引き揚げしています。父親の記憶はないそうです。
    だからこそ、本当なら遺骨を安らかに眠らせてあげたいという気持ちも強いです。

    こんな風に思っている遺族が他にもいて、そのために動いてくださる方がいるだけで有り難く思い、コメントさせてもらいました。

    • hamatetsu より:

      上野さま

      メッセージありがとうございます。
      沖縄戦で亡くなられました御祖父さまのご冥福をお祈り申し上げます。
      当方がお手伝いできることがありましたら、ご連絡ください。
      連絡先をメールにて送らせて戴きます。

      管理人

  • 山田千鶴 より:

    叔父が沖縄戦で亡くなったというのは聞いていました。
    祖母の家には写真も飾られていました。
    でも、遺骨が戻って来たという話は聞いたことがありません。
    名前は、寺澤ちゅうじと言っていたはずです。初めて、このようなネットで、今でも遺骨を収集されている方がおられることを知りました。
    手がかりになればと投稿しました。

    • hamatetsu より:

      山田さま

      メッセージありがとうございます。
      もし当方にお手伝いできることがあれば、お声掛けください。
      連絡先は先ほど、メールさせて戴きました。
      よろしくお願い申し上げます。

      管理人・浜田夫婦

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください