「鹿島(春日)祭」の神事2014 ツイート 今年も執り行われた鹿島の神事 浜に戻ってきた春日丸。村人が見守る中、海へ向かう 今年も「鹿島(春日)祭」の季節が訪れました。毎年、私たちのホームページで取りあげていますので、もう内容的には書くことがありません(笑)。でも、地域の方々が楽しみにしている神事であり、今後も継続し続けたい大切な伝統行事でもあります。 行列が出発する前、春日丸の前で拝礼 青年会館から運び出される「春日丸」 お化粧してもらう男の子 それゆえ今回は、年々、参加者が高齢化などで減り続け、存続が心配されている現状を報告いたします。写真は毎回、夫がコマめに記録していますので、いつものようにたくさん貼り付けます。 お祭りの行列の後ろから春日丸を見る 太刀棒を激しく打ちつけ合う男衆 太鼓や笛などのお囃子も後継者が必要 五穀豊穣と大漁を祈願し、家内の安全と幸せを願う、県の無形民族文化財に指定される鹿島祭。毎年、田植えが終わる頃の初夏に執り行われます。 子供たちに太刀振りの指南 祭りの主役は子供たちに変わりつつある お化粧してもらう女の子 ただ近年、若者の都会への流出や地域住民の高齢化が進み、伝統的な形式で神事を継続できなくなる可能性が出てきているのです。 お祭りの行列も短くなってしまった、と嘆くお年寄りも それでも祭りの列が通りかかると、集落中の人が見物する 舟宿に置かれた春日丸の周りに集まる女衆 今のところ、主要な内容に大きな変化はないのですが、昔は10班各自に1軒ずつ設けられていた舟宿が、今年からは3班で1軒ずつに変更されました。 舟宿での団らん。このひと時がないと、最後まで歩けない 何でも食べ放題に飲み放題。子供たちはお祭りが大好き 大はしゃぎで、ポーズをとってくれる。みんな素直で良い子ばかり これは、各家庭がお年寄りだけの世帯になり、行列を迎え入れる準備や賄いのご馳走を作るのが、負担になってきたからです。そして、各班を構成する世帯が減っていることも、大きな要因です。 梅雨の晴れ間、集落内を走る国道沿いを歩く行列 国道沿いの若いご夫婦の家の前で 我が家からも気持ちだけのご祝儀を さらに、祭りの花形である太刀振りやみこしの担ぎ手が高齢化し、地域の方々も、このまま存続してゆけるのかどうか、と先々の不安を語り合っています。過疎と限界集落化が進んだ結果ですが、一抹の寂しさを感じられます。 駐在さんのパトカーの先導で出発 お巡りさんも祭りが安全に終わるまで、付きっきりでサポート 国道を行列が渡るときは、地区の重鎮が交通整理をする 今から、この集落に若い人が移住してくれるとは考えにくく、いずれは滅びてしまうかも知れません。祖先から受け継いだ伝統行事が未来の子供達へ継承されることを、地域の「祭りの保存会」の皆さんも切に願っています。 タチアオイの花が咲く横を行列は進む 春日丸が浜に帰ってくるのを待つ集落の人たち 行列が浜に帰って来た が、このまま過疎化が進むと、現実は厳しいと言わざるを得ません。そこで、私たちが考えているのは、都会の若者、特に社会へ出る前の大学生らが、祭りのお手伝いに来ていただけないか、という提案です。 男衆の手で海へ流される春日丸 沖合の船に向けて、男衆が泳いで曳航する 沖合の船に引き揚げられる春日丸を見守る子供たち 大都会の都市部では、地域のコミュニティーが崩壊し、若者が伝統的な神事や祭りなどに参加することが難しくなっています。ゆえに、その若者たちに、深浦町で実施される祭りの準備から実行作業までを、地域の方々と手を携えてやってもらう、というボランティア事業の案です。そして、祭りを通して町民と交流しながら、深浦の素晴らしさを実感して貰うのも狙いです。 太刀棒を海へ放り投げる男衆や子供たち 太刀棒を海へ放り投げる子供たち 太刀棒を海へ放り投げる男衆 放り投げられた太刀棒の周りを泳ぐ子供たち 今、心当りの学生さんたちにお声掛けしている最中です。もし、この記事を読んで、我こそは、と手を上げるグループがあれば、ご連絡ください。この記事のコメント欄に連絡先を書き込んで戴ければ、こちらからご返信いたします。 船を見送る集落の人たち 春日丸を流すために沖へ向かう漁船 子供たちの未来のためにも、祭りの存続を願わずにいられない 読者の皆さま、よろしくお願い致します。 ご閲覧に感謝します。 Post Views: 191 « 木造高校深浦校舎の生徒らと流木をチップにする活動③ 私たちの集落で土砂災害が発生しました »
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