稲荷神社のしめ縄も新調され、新年を迎える準備が整いました。産土講の当日です。
まず、男衆が神社に集まって、準備を始めます。各自が持ち寄った酒、餅、魚、野菜など、海の物、山の物、田から収穫された物を平等に供えます。生ものはすべて地元で収穫したものばかりです。前夜に降った雪が参道に積もり、気温も氷点下から上がりません。まさに凍(しば)れる朝です。
準備が整うと、暖房もない社殿内で待ちます。ほどなく地区の役員さんの案内で、神主さんが来られました。まだ20歳代で、過疎と高齢化が進んだ集落には珍しく若い神官です。終戦後、GHQの指令で国家神道を司る制度上の神官はすべて廃止されました。それだけが理由ではないのですが、氏子も少ない地方の神社の管理と神職だけでは、とても食べてはいけません。他の職業を掛け持ちしながらも、集落の神事には必ず駆けつけて職務を果たして下さいます。
太鼓を合図に産土講の神事が始まりました。祝詞が唱えられ、地区の方々が玉串を奉納されます。これまでの経験では、仏式の行事はとかく時間がかかるように思えましたが、神式はあっという間に終わります。準備時間も含めて1時間を少し過ぎたでしょうか、正座の足が痺れたかな、と感じ始めた頃に終わりました。
この後は直会(なおらい)です。神事に参加した方々が、一同に集まってお神酒(みき)を戴き、神饌(しんせん)食べる共飲共食の儀礼です。簡単に言えば打ち上げの宴会のようなものですが、この地区の産土講では、神事を構成する重要な行事として捉えています。
特に神饌には、地元で収穫した季節の野菜や魚介類などが供えられています。それを調理した郷土料理を食べることによって、生まれた故郷の海、山、田の守護神に感謝し、先祖から受け継がれてきた山や田畑などの自然遺産や、狩猟や採集などの伝統文化を受け継いでゆくための重要な行事として続けられてきたようです。
実際に参加してみると、地域の方々が和気合い合いと酒を飲み、美味しい郷土料理に舌鼓を打つ宴会です。が、毎年、班毎に集まって地域の信仰の場である神社を大切に守り続けてきた方々の想いが伝わってくような会でした。
参加者では、他所者の私たちが最年少でしたが、ごく自然に受け入れて下さいました。そして、これ以外の地域の様々な行事にも誘って下さり、古くから伝わる伝統や風習なども教えて頂けます=写真左右下、とても働き者で頼りになる地区の女衆。今後とも、お世話になります。
三ヶ月に1回、回ってくるゴミ箱の掃除当番。季節ごとにある全員参加の草刈や植樹など、都会ではまったく経験出来なかった地域の共同作業に加わってみると、誰もが文句を言わず黙々と従事されます。それどころか、集まれることが楽しいかのようにお喋り仕合い、一服時には持ち寄ったお菓子で茶会が始まったりします。
新聞記者時代は転勤に次ぐ転勤で、隣に住んでいる方の名前すら判らないことがありました。当然、地域の活動に参加した経験は皆無です。ここに移住してきて、地域の結びつきが強いことに驚かされましたが、郷に入ってみると、それはそれでとても心地よいものです=写真左右下、中国の故事である「剛毅木訥(ごうきぼくとつ)仁に近し」を地で表現するような地区の男衆。普段は無口で無骨な雰囲気だが、とても働き者で、仲良くなると仲間を大切にしてくれる、心篤き方々。
まだ、3年間しか暮らしていませんが、この町が、この集落が私たちの故郷に成りつつあります。それも、産土で育った作物や魚介類を食べているからかも知れません。深浦の産神さまと地域の皆様に心より感謝致します。
残念なことに、地域の神事を司って下さっていた若き神主さんが、年明け早々に急逝されました。享年29歳だったそうです。まだお若くて、ご家族もいたのに‥。心より、ご冥福をお祈りいたします。
地区の皆さんの表情から絆を感じます!