遺骨収集活動も一段落しましたので、私たちの本業である白神山地の生活文化の紹介を再開いたします。青森県を含めた東北地方では、縄文以前の時代から、世界有数のブナの森で暮らしてきた末裔たちが、今も狩猟採取を続けながら暮らしています。その一人が伊勢勇一親方=写真上、初春の木々が芽吹く直前の森で、ライフル銃でツキノワグマを狙う伊勢親方、深浦町で。
伊勢親方は、白神山地のある深浦町で生まれ育ったマタギではありません。宮城と山形両県の山深い村で生まれ、地元のマタギだった祖父や父親たちから狩猟採集の技術を叩き込まれました。20歳代の頃、親類を頼って同町に住み着き、以来、50年以上も白神の森でクマやウサギなどを狩り、キノコや山菜などを採取してきました=写真上、スノーモービルの荷台に狩ったウサギを積み込み、決めている場所であっという間に食べられるように解体した、同町で
ただ、獲物は法律に定められた期間しか捕獲することができません。それだけの活動では、当然、生活は成りたちません。ゆえに若い頃から、高度経済成長期に盛んだったトンネル工事や高速道路の建設現場などで出稼ぎ労働をしていました。が、45歳の時、青函トンネルの工事現場で、仕事の無理がたたったのか脳内出血で倒れ、生死の境をさまよった末に半身付随に=写真上、雪盲防止のサングラスに映り込む冬枯れの森。ここは親方のウサギ狩りの縄張りだ、同町で
本来ならば、業務中に発生した事故なので、労働災害の認定が下りてもおかしくない事案でした。でも、その手続きの方法も手順も判らなかった親方には、なんの保障もありませんでした。寝たきりに近い状態となったため、当然、仕事を続けることもできません。そのまま解雇となり、無収入で暮らしていかざるを得ない状況になってしまいました=写真上、雪が積もった荒野を行く伊勢親方。脳内出血の影響で今も左足を引きずって歩く、同町で
しかし、たった一人でクマと格闘したり、人が歩けないような断崖絶壁でキノコの採取などをしてきた親方は、不屈の闘志の持ち主でした。不随になった左半身の動きを取り戻すため、自ら考えた生きるためのリハビリテーションが森の中で始まりました。まず、歩けるようになるため、不自由な体で獣道からなる白神のマタギ道を杖を突きながら歩き回りました。そして、筋力を取り戻すために、左手にノコギリや鉈を縛り付けて木を切ったり、斜面に生えた下生えを掴んで体を引き上げながら登ったり‥。更に帰宅後、お風呂の中に徳利を持ち込んで、湯を入れた状態で持ち上げたり握り締めたりして、握力の再生も試みました。まさに復活するための必死のリハビリで、ようやく日常生活ができる程度にまで回復したそうです=写真上、森を歩くたびに様々な場所の説明をしてくれる。「ここはクマが通る道」、「ここに春先、山菜がでる‥」など。白神の森の知識は無尽蔵のようだ
でも、事態は深刻でした。ただでさえ仕事が少ない東北地方で、体を自由に動かせない人を新たに雇ってくれる企業は多くありません。山の測量や木を切る技術も他の人に引けを取らない親方でしたが、日雇いの仕事はあっても、常雇いの勤め先は見つかりませんでした。そして、白神の麓にある村々にも不景気の風が吹き始めると、懸命に介護してくれた奥様のパート労働の僅かな収入と、山野で親方が収穫してくる獲物だけが暮らしを支えるすべてとなりました。こうして不本意ながらも、狩猟採取だけが仕事になってしまったのです。そこから、白神のマタギとしての本格的な生活が始まりました=写真上、春先の森を歩く親方。リハビリのおかげで左足も動くようになり、輪かんじきを高々と上げられるようになった。(2部へつづく)
素晴らしい人ですね。今わたしも足が悪いため伊勢さんの生き方に共感しました。青森出身のせいかわたしはマタギの生き方が大好きです。本来人間が生きていくうえで大切なことを山の民の人々は失っていないと感じます。お亡くなりになっていたのですね。会って話をしてみたかったです。ご冥福をお祈りいたします。