みらいを紡ぐボランティア

ジャーナリスト・浜田哲二と学生によるボランティア活動

青森県深浦町の小さな集落     
●2016遺骨収集活動79日目 最激戦の生き残りを訪ねて㊤ 歩兵32連隊・伊東孝一大隊長

2016遺骨収集活動79日目 最激戦の生き残りを訪ねて㊤ 歩兵32連隊・伊東孝一大隊長

伊東大隊長(手前右)と学生たち

伊東大隊長(手前右)と学生たち

今年、遺骨収集活動をした糸満市国吉で、米軍と大激戦を繰り広げた第24師団歩兵32連隊。その中で、敵味方の双方に勇名を轟かせた「歩兵32連隊第一大隊(伊東大隊)」を率いた、伊東孝一様のお宅を学生たちと訪ねました。

身振り手振りを交えて、当時のことを振り返られる

身振り手振りを交えて、当時のことを振り返られる

あの激しい戦闘のなかを生き残り、国へ帰られた後も、お元気で長生きされている姿を見て、驚くのと同時に、お会いできた嬉しさに感動を禁じ得ませんでした。そして、優しい笑顔で、最愛の奥さまと二人、学生を迎えて下さったのです。

庭で学生たちとベンチに座られる伊東隊長と奥さま

庭で学生たちとベンチに座られる伊東隊長と奥さま

今回は、私たちが活動した現場の「当時の状況」を教えて貰い、そこで戦没された方々の情報をいただくのが目的です。そして、学生たちが発見した名前の刻まれた遺留品を、ご遺族へ返還するための手がかりになればと考え、面会をお願いすることにしました。

質問に答えて下さる

質問に答えて下さる

参加したのは、日本青年遺骨収集団(JYMA)と国際ボランティア学生協会(IVUSA)の学生たち10人です。どんな戦場だったのか、勝てる戦いと信じていたのか、戦時中の若者の想いは、郷土の言葉を軍隊で使えたか、など、それぞれが質問しました。

質問するIVUSAとJYMAの学生

質問するIVUSAとJYMAの学生

御年95歳とは見えない、凛とした佇まいの大隊長。背筋を伸ばした姿勢で、学生たちに澱みなく答えてくださいます。目が見えづらくなっている、と言われますが、私たちが提示した遺留品や発掘現場などの写真を手に取って、種類や場所の違いなどを的確に判別なさいます。

優しそうな笑みを浮かべられているが、時折、鋭い視線も

優しそうな笑みを浮かべられているが、時折、鋭い視線も

その言葉は冷静で沈着。大げさな表現や偏った内容のない、すべてが事実に裏打ちされたお話しです。この世代の方がよく話される、懐かしさを込めた戦場の描写でなく、私たちの目の前に71年前の風景が広がるような、リアルな状況説明が続きます。

学生たちを前に語られる

学生たちを前に語られる

圧倒的な戦力差を誇る米軍が上陸してきた時の事、中部の前田高地周辺で功労をあげた時の戦闘の様子、部下を無駄に死なせない戦い方など‥。決して戦争を美化することのない語り口調が、かえって臨場感を高めます。まさに、感嘆する内容の連続です。よく生きて帰ってこられたなぁ、と。

前田高地近くの戦闘で挙げられた武勲への感状

前田高地近くの戦闘で挙げられた武勲への感状

感状に付けられた伊東大隊長の添え書き

感状に付けられた伊東大隊長の添え書き

ここで、驚いたことが。質問が一段落した後、大隊長から、学生へアンケート用紙が配られました。その中身は、「太平洋戦争について」。①止むに止まれぬ戦争、②愚かな戦争、の質問です。記名なしで10秒以内に思いを答えよ、と記されています。

用意されていたアンケートを配られる

用意されていたアンケートを配られる

戸惑いながら、答えを書く学生。後で聞くと、先の大戦の生き残りである大隊長に配慮して、①と答えた学生が多かったと聞きました。が、お別れの直前、配られた文章の中には、意外な所管が書かれていました。

配られたアンケートを見る学生

配られたアンケートを見る学生

それを学生たちの前で読み上げられます。「率直に申し上げて、『愚かな戦争』であった、と思う。その因をなしているのは、真実を看破する明に欠けて開戦に及んだことであり、その反省無しには戦死者の霊は浮かばれない」

学生への答えを含む声明を読み上げられる

学生への答えを含む声明を読み上げられる

まだ、士官学校本科時代の19歳。海外の戦術や戦略関連の書物を読み漁り、来るべく時に備えていたそうです。そして知ったのは、ノモンハン事件などでソ連軍と戦った旧日本軍の本当の実力。さらに、中国との泥沼の戦争が続く中、米英に宣戦を布告し、南方へ戦端を広げ続ける大本営の無謀さ。その只中で、厳しい現実に気付きながらも、声を上げて変革できなかった無力さを、噛み締めての言葉だそうです。

話を聞く学生たち

一生懸命に話を聞く学生たち

そして、「五十年を恥ぢ永らへて畢生の戦記を出だし世に問はむかな」との和歌に想いを込めて出版された、「沖縄陸戦の命運」を見せて下さいました。この本は、生き残ったことを自責しながらも、部下将兵の勲や自らの戦いの軌跡を残した貴重な沖縄戦の記録です。そこには、凄まじい戦闘に立ち向かう決意と覚悟、上官や部下を思いやる心の揺れが、伊東大隊長の人柄を物語るように記されていました。

学生と一緒に当時を振り返る

学生と一緒に当時を振り返る

ここで、私たちが夫婦が知りたかった質問をひとつ投げかけました。「当時、沖縄を守備していた旧日本軍の中には、同胞である島民へ非道な行為をした兵士がいたと聞きました。が、32連隊が駐屯した国吉で、集落のお年寄りに聞き取りをしたところ、この部隊の悪口をいう人は見つかりませんでした。それよりも、自宅への出入りを許し、一緒に食事をされた、という方も。懐かしんで、会いたい、と話されていましたが‥」

毅然とした態度で、質問に答えられる

毅然とした態度で、質問に答えられる

この質問に、「私は部下に、民間人の家に出入りをしてはいけない、と命じていた。兵士が出入りすると、その家人が敵に狙われやすくなるし、あらぬ誤解を生む恐れもある。だから、安易に行き来する部下はいなかったと思う」と、毅然とした言葉と態度で答えられます。

立ち上がって質問する学生

立ち上がって質問する学生

さらに、「隊の兵舎は、民家を接収しないで自分たちで小屋掛けした。生活の物資も、なるべく自前での調達を目指した。これは、民間人へ負担を掛けないように振る舞え、と訓示されていた、雨宮巽師団長の命令を守っただけだよ」と、謙遜のなかに、上官を敬う返答が帰ってきました。

当時のことを思い起こしながら、冷静に答えて下さる

当時のことを思い起こしながら、冷静に答えて下さる

そうした規律ある行動の結果が、今も、国吉の集落に残っており、この隊を悪く言う住民は、私たちの聞き取りでは、いらっしゃいませんでした。逆に、近くで司令官を殺された米軍側に、残虐な目に遭わされた証言が目立つほどです。

自衛隊からの感謝状

自衛隊からの感謝状

そして終戦の後も、良好な関係は続き、隊の炊事を担当して下さった沖縄の女性たちと、ずっと交流をされていたそうです。武装解除を受け、米軍の捕虜になるときも、その女性たちが泣いて別れを惜しんでくれた、と振り返られます。

最後に学生たちと記念撮影。笑顔がこぼれた

最後に学生たちと記念撮影。笑顔がこぼれた

最後に、奥さまと共に、遺骨収集をする学生たちへ感謝と労いの言葉を掛けて下さいました。伊東大隊長のお話は、まだまだ描き足りません。また、お会いしに行く用事が近々できそうです。その時に、続きを書くつもりです。ご期待ください。