みらいを紡ぐボランティア

ジャーナリスト・浜田哲二と学生によるボランティア活動

青森県深浦町の小さな集落     
●2014年遺骨収集29日目 ガジュマルの根の隙間で

2014年遺骨収集29日目 ガジュマルの根の隙間で

ガジュマルの根で入り口が覆われてしまったトーチカ跡

ガジュマルの根で入り口が覆われてしまったトーチカの跡

沖縄戦で、米軍が最初に上陸した地点に近い宜野湾市我如古にある病院壕とトーチカ跡で4日間、収集活動をしました。今回は、岡山県から来られた山口つえみさん、長崎県の池原梨恵さん、夫の新聞社時代の後輩二人、国吉親方、私たち夫婦の計7人です。

手掘りの病院壕。壁面にツルハシの跡が残る

手掘りの病院壕。壁面にツルハシの跡が残る

山口さんと池原さんは、アルピニストの野口健さんたちと一緒に収集活動をされていた方で、昨年来、独り立ちし、国吉親方の元を訪ねて来てくださいました。硫黄島で収集した経験もお持ちで、骨の見分け方などは親方が舌を巻くほど研究されています。

崖の中腹の陣地跡は、中腰になって活動できるスパースしかない

崖の中腹のトーチカは、中腰で活動するスぺースしかない。手前左が山口さん、右が池原さん

うら若き女性陣の参加に、親方も終始ニコニコしています。そう、私のようなおばさんや、夫のようなホッチャレたおっさんと活動するよりも、数倍、嬉しそうです。が、遺骨が出始めると、「兵士のものだね。焼かれている」と、いつもの厳しい遺骨収集家の顔に戻り、一片も残さないように拾い始めました。

発掘された薬瓶

発掘された薬瓶

この付近は、上陸した米軍を食い止めようとする日本軍が、最初に激しい抵抗をした防衛ラインで、この壕の近くにある嘉数高地の戦闘は、沖縄戦史に残る大激戦とされています。周辺では、多くの日本兵が亡くなっており、この壕やトーチカの跡からも数多くの遺骨が集められたそうです。にもかかわらず、今回も一人分ぐらいの部位が出てきました。

焼かれ焦げた遺骨を整理する

焼かれて焦げた遺骨を整理する

さて、夫の後輩の新聞記者たちですが、終戦から70年近くが過ぎて、あの大戦をどう伝えるかの模索に入っています。スケジュール的な報道と批判を受けるかも知れませんが、戦争の記憶を持つ世代が減り続けている時代に、何を捉えて伝えるかは、報道機関と記者個人のセンスが問われるところです。

ガジュマルのひげ根の隙間から、顔を出すボランティア

ガジュマルの根の隙間から、顔を出す後輩・新聞記者のボランティア

ゆえに彼らは、戦争の記憶を追える様々な現場に足を運び、体験しながら答えを探し出そうとしているのです。南の島のこの現場まで、訪ねてくる心意気や良し。あとは、どう伝えるかでしょう。でも此処で見たことは、一生、忘れえない体験だったに違いありませんし、きっと理解を深めてくれたと信じています。かつて「浜田道場」と呼ばれた、夫の新人記者養成の「虎の穴・門下生」ですものね(笑)

収集活動の終了後、みんなで骨を鑑定する

収集活動の終了後、みんなで骨を鑑定する

ま、バカな話は置いといて、色々な立場の方が、収集活動に参加し、先の大戦の悲惨な現場を身を持って知って下さることが、何よりも大切なことです。今年で69年目を迎える沖縄の終戦の日が、あと数カ月で訪れます。憲法の問題や自衛隊の存在意義を問う判断が、国の焦点と成り始めた、昨今。亜熱帯の島の土に埋もれ、日の目を浴びることも出来ない戦没者たちが何を訴えているのか、私たち夫婦に代弁できる力はありません。

壕の外には有毒のクワズイモの葉が青々と繁っていた

壕の外には有毒のクワズイモの葉が青々と繁っていた

でも、二度と、国のためにと強制されて、国民が死ぬことが正当化される時代は、来て欲しくないと訴えることはできます。国や家族のために戦うのは、誰かに強制されたり、無理やり決断する事ではないのです。あくまでも、自らの意志で、攻めてくる敵に対する自衛力として立ち上がるだけで、充分ではないでしょうか。実際、そんな小国の方が、帝国主義の大国を打ち負かして来た歴史も、過去に刻まれているようです。私たちは、そんなおっとり刀の生き方で、終生、のんびりと平和に過ごしたく、思っています。熱き想いの国士に怒られるかな?

残骨だったが、一人分ぐらいの部位がある

残骨だったが、一人分ぐらいの部位がある