みらいを紡ぐボランティア

ジャーナリスト・浜田哲二と学生によるボランティア活動

青森県深浦町の小さな集落     
2021年遺骨収集活動 歩兵第32連隊の兵士が奇跡の帰還

2021年遺骨収集活動 歩兵第32連隊の兵士が奇跡の帰還

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    ご自宅へ届けられた戦没者の遺骨

https://www.otv.co.jp/newstxt/index.cgi?mode=detail&code=00002436

 ↑ 沖縄テレビの松本記者さんらが制作したニュース動画

長らくご無沙汰してしまい、申し訳ございません。種々の事情で、ホームページの更新を見送っていました。ここで書くと、弊害がある内容も含まれているので、あえて公表は致しません。ただ、氏名やプライバシーを晒して活動する難しさをここ最近、強く感じています。ネット社会にはついて行けないかもなぁ、と相方と諦念に至っています。

    金岩外吉さんの遺骨と遺影

高木記者が書いた北海道新聞の記事 ↓

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/533191

さて、水面下で長らくサポートしてきた活動の成果がようやく陽の目を見ました。沖縄守備隊だった第24師団歩兵第32連隊の伊東孝一・大隊長の部下の遺骨が、北海道の遺族のもとへ帰還できたのです。戦没者と遺族である妹さん(92)のDNAが一致して。2014年に同連隊の兵士の認識票を発見して以来、足掛け7年かけて辿り着いた奇跡です。

産経新聞の記事 ↓

https://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/210415/lif21041507500006-n1.html

沖縄タイムスの記事 ↓

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/738249

    「山3475」と刻まれた歩兵第32連隊の認識票

    掘り出された金岩さんの遺骨に手を合わせる高木と後藤=2019年3月、糸満市で

故郷へお帰り戴けたのは、第一大隊の第三中隊に所属された金岩外吉さん。1945年6月17日、沖縄本島南部の糸満市で亡くなった、と大隊長が残された記録などに記されています。北海道安平村(現安平町)出身で、戦没当時21歳、階級は上等兵でした。12人兄弟の8番目で、3歳上の兄も満州で戦死されています。

    歩兵第32連隊第一大隊・第三中隊の金岩外吉上等兵(当時)

金岩さんのご遺骨を発見し、発掘できたのは2019年の1月から3月の活動でした。糸満市照屋にある同部隊などが構築した陣地壕の入り口に、土砂と戦後捨てられたごみの下に埋もれていたのです。水が浸透しやすい土質で長年、放置されたせいか、少し力を加えると簡単に折れてしまうほど、骨は脆くなった状態。ただ、足の一部を除いてほぼ全身の部位が揃っていました。

    頭蓋骨と脊椎など

    壕口に眠っていた金岩さんのご遺骨。ゴミと土の層に埋もれていた

「少し劣化が心配だけど、これはDNAが抽出できるかも・・」と、期待を込める相方。遺骨収集情報センター(沖縄県)へ仮納骨し、厚生労働省へ戦没者の身元を特定してくれるよう、依頼しました。終戦直後にご遺族とやり取りされたお手紙を託して下さっただけでなく、「自分たちが出来なくなってしまった部下の遺骨収容に心から感謝する」と活動を労って下さる伊東大隊長に報いるためにも。

    DNA抽出の重要な歯のついた顎

    骨盤に食い込んだ金属の破片

そこからが長い道のりでした。これまでの経験上、遺骨を預けただけでは、国は親身になって遺族探しをしてくれるように感じなかったからです。厚労省がプレスリリースをしたり、ホームページなどで呼びかけていますが、私たちが手紙返還でお訪ねしたご遺族たちは、そんな事情に全く気付いていません。再訪して「DNA鑑定をやってみませんか」と説明すると、ようやく内容を理解される方がほとんどでした。

   DNA鑑定書へ記入するご遺族ら

    8軒のご遺族からお預りした鑑定書

それでも粘り強く、ご遺族探しを続けました。この地区で戦没している同隊所属の兵士は約40名。学生時代から活動を継続してくれている若者たちと一緒に、北海道や秋田、長野などのご遺族を一軒ずつお訪ねしたのです。そこで、ご遺骨の発見状況、当時の記録、大隊長たちの証言、鑑定の手続きなどを細かく、丁寧に説明しました。そして8軒のご遺族からの要望を受けて、国へ申請できたのです。半年近く費やしながら。

    在りし日の伊東大隊長と談

    外吉さんが見つかった壕内を掘る後藤と高木記者

でもここから先も、遅々として進行しません。発見された遺骨が戦没者であるかの鑑定、沖縄県での出土数の統計を取る作業、新型コロナウイルス騒ぎによる研究機関の運営障害‥、様々な理由を述べながら、国は成果を伝えて来ませんでした。が、仮納骨から2年にならんとする2021年1月末、厚労省の担当者から、「遺骨のDNAが北海道のご遺族のものと一致し、身元が判明しました」との連絡。

    ご遺骨の全身の部位を並べ終えた途端、メンバーは泣き崩れた

   伊東大隊長の元へ届けられたご遺族の手紙

涙がブワッと吹き出しました。いきなり開けたように感じた視界に、狂乱して喜ぶ相方の姿が。思わず吹き出しましたが、嬉しさと感動の涙は止まりません。間髪を置かず、頑張ってくれた若者たちへこの一報を伝えると、全員が電話口で号泣。心境を伝えてくる声が、もう言葉になっていません。これまで積み重ねてきた活動の大変さを噛み締めるような歓喜の瞬間でした。

    外吉さんの遺留品を手渡す後藤と高木記者

   お届けした外吉さんの遺留品を確かめるためにアルバムを見る

そして迎えた2021年4月14日、北海道新聞の記者となった高木乃梨子、メンバーの後藤麻莉亜と一緒に金岩外吉さんのご遺族宅へ。二人の甥御さんとその奥さまが出迎えて下さいました。2年前の夏、外吉さんの父・理左エ門さんが、伊東大隊長へ宛てたお手紙を返還していたので、快く受け入れて下さいました。甥御さんである兄(74)と奥さま、弟(72)さんも、一度も対面したことのない叔父の帰り待っています。

    外吉さんのご遺骨は北海道庁の職員が厚労省から伝達してきた

    ご遺族へ手渡されるご遺骨

庭や軒下に、まだ雪が残る北国の春。北海道で最も雪深いとされる空知地方の自宅へ、外吉さんは帰って来られました。北海道庁の職員が、遺族を代表する弟さんへ「金岩外吉伍長」と記された真っ白な骨箱を手渡します。そして、「あの過酷な沖縄戦で、祖国を想いご家族の身を案じながら戦死した金岩外吉さんのご遺骨がただいまお帰りになられました」と鈴木直道知事からの追悼の言葉。同席した若者たちからすすり泣きがこぼれます。

    外吉さんの甥御さん(手前)へ、道庁職員から手渡されたご遺骨

    ご遺骨が安置された祭壇へ黙とう

新型コロナ禍のなかで三密を避けるために、国や道からの「遺骨伝達式」はわずか30分ほどで終了しました。戦死されて2階級特進されて帰って来られた外吉さんの遺骨を前に、ご遺族も感慨深そうです。そして、「まさか帰って来れるとは思わなかったので、戸惑いと嬉しさが入り交じった気持だ。戦没者の妹とその家族へ報告した後、叔父は両親や兄弟が眠る墓へ一緒に入れて供養する。遺骨を発見し、身元を判明に繋げて下さった方々に心よりの感謝とお礼を申し上げる」と深々と頭を下げられます。

   ご遺骨に手を合わせる後藤麻莉亜

    取材の合間に手を合わせてくれた高木乃梨子記者

外吉さんの遺影の前に安置されたご遺骨に手を合わせた後藤が、泣きじゃくりながら外吉さんへ話しかけます。「あの陽の光が届かない壕の中で70数年間もいらっしゃって、どんなに怖かっただろうか、辛かっただろうか・・。でも、ご家族の元へ帰ることが出来てよかったです。お疲れさまでした」。高木も取材終了後にご霊前へ座り、「故郷の北海道で、ご両親とゆっくり過ごしてください」と目じりを抑えました。

    焼香する外吉さんの甥御さん

    外吉さんの写真の裏に押されていた昭和19年6月7日付けの検閲印

外吉さんの父・理左エ門さんが1946年6月8日、伊東大隊長へ宛てた手紙です。

「このたびは、故外吉の事につきまして、ご丁寧なるお便りを下さいまして、家内一同、感激いたしております。私達も戦争中は、心を併せて協力いたしましたが、残念ながら敗戦の詔書を拝しました時は、二人の子供を戦地へ出している親としては、何と申して良いやらわかりませんでした。息子の帰りを、一日千秋の思いで待っておりました今日、突然貴官殿より戦死の報。一時は途方に暮れましたが、『これも故外吉だけでなく、私達の様な運命の方も世間には沢山ある、今は一人位の事では』と思い直し、家内一同増産に励んでおります。故外吉の兄・利次も、南方方面に出征中なるも、未だ帰還せず。毎日、心秘かに待っております。最後に、末筆ではありますが、生存中は故外吉がお世話様になりました事を、家内一同、衷心より御礼申し上げます。=以下略」

    外吉さんのお父さんが伊東大隊長へ宛てた手紙。1ページ目

    2ページ目

二人の息子を失った父親の慟哭があふれ出すような内容です。軍国の父ながら、敗戦国の悲哀を心に刻み、国家再建の増産に励む姿が目に浮かびます。こうした356通の手紙をご遺族のもとへ届けながら、その方々のご遺骨を探して、毎年、沖縄へ通い続けています。伊東大隊長が率いられた部隊の兵士が戦った軌跡を追いながら、沖縄の山野で掘り出したご遺骨も増えてきました。

    今年、出て来られたご遺骨

    今年、納骨したご遺骨

去年は1柱、今年は8柱の方に陽の目を浴びて戴けました。その方々の身元特定とご遺族探しも開始しています。部隊の8割が北海道出身者で占められた32連隊の第一大隊。その戦没者とご遺族、生き残りの兵士へご奉仕する活動はまだまだ続けます。大学時代の4年間、一生懸命がんばってくれた高木さんが道新へ入社し、昨春から、熱心に戦争取材を取り組んでいます。それも応援しつつ今年も、北海道を行脚するつもりです。

    32連隊の碑の前で遺骨を清める

引き続き皆さまも応援して下さい。

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コメント

  • 村上 より:

    浜田様
     金岩外吉様のご遺骨の発見からDNA鑑定、ご遺族の元への返還までの経緯を詳しくご紹介頂きありがとうございます。皆様の長年のご尽力が奇跡を生み出されたものと思います。
     私の伯父は、海上挺進基地第28大隊(善通寺市で編成)に所属、昭和20年6月20日に沖縄真壁で戦死、となっています。昨年、厚労省の「沖縄県の10地域で収容された戦没者遺骨のDNA鑑定」に申請し、甥2名の検体を提出しています。故郷へ戻してあげられるよう希望を持ち続けています。
     昨年8月のコメント欄に「海上挺進基地第26大隊」が紹介されていますが、伯父の部隊とほぼ同じ時期に鹿児島から出港し、沖縄上陸後は同様に編成替えを繰り返していたようです。沖縄戦の陣中日誌や部隊記録は一部しか現存していません。両部隊については、第32軍残務整理部が昭和22年に作成した部隊毎の「史実資料」に概要が書かれているだけのようです。
     故伊藤孝一様が残された手記「沖縄陸戦の命運」は是非拝見させて頂きたいと思います。また、ご計画されておられる「伊東大隊長とご遺族のお手紙」の公開も期待しております。
     浜田様および「学生-みらいを紡ぐボランティア」の活動に感謝いたします。
     

    • hamatetsu より:

      村上さま

      ホームページへのコメントありがとうございます。
      伯父さまが沖縄で戦死されたとのこと、心からのお悔やみとご冥福をお祈り申し上げます。
      DNA鑑定の結果が朗報としてお届けされるよう、当方たちもご遺骨の収容に励みたいとお誓い致します。
      取り急ぎ、ご丁寧なる書込みに感謝申し上げます。
      メールを差し上げますので、よければ対応して下さると幸いです。
      よろしくお願い申し上げます。

      管理人・浜田

    • hamatetsu より:

      村上さま

      ご丁寧なメッセージありがとうございます。
      みらいを紡ぐボランティアで活動しています社会人のN(25)です。
      戦没された伯父さまのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
      金岩さまのご遺骨の返還は奇跡のようでした。
      それは、戦没者を想うご遺族皆さまと生き残られた伊東大隊長らの働きが実ったのだ、と信じております。
      私の信念は、先の大戦で亡くなられた方々のご遺骨をご遺族の皆さまの元へお届けする事。
      今回のようなDNA鑑定結果の朗報がご遺族の皆さまへ届くよう、活動に励む所存です。
      励ましのお声に感謝申し上げます。

    • hamatetsu より:

      村上さま

      みらいを紡ぐボランティアで活動しています、社会人2年目のT(24)です。
      この度はホームページへのメッセージありがとうございます。
      伯父さまの沖縄での戦死、心からご冥福をお祈り申し上げます。
      DNA鑑定を申請し、大切な人の帰りを待っているご遺族のみなさまのためにも、ご遺骨の収容を続け、お返しすることを諦めません。
      村上さまのお言葉を胸に、活動に励んでまいります。

    • hamatetsu より:

      村上さま

      はじめまして、社会人2年目のG(25)です。
      ホームページのメッセージ拝見いたしました。
      大切なご家族が戦死されたこと、心からのお悔やみとご冥福をお祈り申し上げます。
      沖縄戦に従軍された伯父さまの部隊などを調べられたり、DNAの検体を提出なされたりしていることを知って、村上さまの戦没者への想いが痛いほど伝わってきました。
      この活動を通して感じていることは、終戦から76年、ご遺族の高齢化が進み、あまり時間が残されていないことです。
      先日、沖縄戦で父を亡くした息子さん2人に、DNA鑑定の申請書を書いていただきました。
      もしお父さまの遺骨が戻ってきても、今の自分たちには新しい父がいたから、居場所がなくて可哀想だから、と前向きになれなかったそうです。
      しかし今回、DNA鑑定の申請書を書いたら、実の父が戻ってくるかもしれないという、希望が生まれたと話されています。
      そして、わずかな望みながら父が帰ってくるようなことがあればどうしようかと、兄弟で真剣に話し合ったと教えてくださいました。
      そのためには、お互いが長生きして、花のひとつでもお供えしてあげたいなぁ、と。
      こうしたご遺族と出会う度に、活動を頑張らなければとの力をいただけます。
      村上さまのメッセージも励みにして、私たちもがんばります。
      希望を持ってくださるご遺族の想いに応えるために、今後も活動を続けてゆきたいです。

    • hamatetsu より:

      村上さま

      はじめまして。みらいを紡ぐボランティアで活動をしています、社会人のS(23)です。
      ホームページへのメッセージありがとうございます。
      叔父さまを沖縄で亡くされているのですね。
      心からのお悔やみとご冥福をお祈り申し上げます。
      初めて沖縄の真壁に行った時、民家などに使われている琉球石灰岩の塀が銃弾などで穴だらけになっていたのを見て、とても衝撃を受けました。
      この度いただいたお言葉に身の引き締まる思いです。
      村上さまにも良いご報告ができるよう、また、一人でも多くのご遺骨を見つけてご家族のもとにお返しできるよう、これからも活動を続けて参ります。

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