
遺跡の発掘現場で語る国吉さん
遺骨収集家の国吉勇さんが、第一線から退かれることを表明されています。昨年末、奥さまを亡くされて以来、少し元気がありませんでしたが、最近は体力の限界も、呟かれています。

発育が足りていない小型の頭蓋骨を手に

国吉さんのお兄さん、故真一さん。鉄血勤皇隊として、沖縄戦で戦った
鉄血勤皇隊として旧日本軍に従軍して、部隊のたった一人の生き残りとなったお兄様に連れられて、初めて足を運んだ沖縄本島南部の壕内。そこには、お兄様の戦友の遺体が、まだ生々しく残っており、恐怖のあまり泣き叫んだそうです。

真っ暗な壕内を懐中電灯で照らす

遺骨が並ぶ八重瀬の野戦病院壕で、井上さんご夫妻と語る国吉さん(中央)
それが、小学3、4年生の頃だったと振り返られます。それ以来、約70年。本格的に遺骨収集活動を始められて約60年間。足繁く南部戦線跡に通い、戦没者と、その帰りを待つ遺族と向き合ってこられました。

今年の収集活動で、学生にあいさつする遺骨収集家の国吉勇さん

学生たちに説明する国吉親方
心より、お疲れ様でした、とお声がけするのと同時に、人生のすべてを掛けて続けてこられた「慰霊の仕事」に最大の敬意を表したいです。また、近々、国吉さんのお気持ちをお伝えすべく、インタビューします。

軍医部壕で掘り出した印鑑を手に

今年の現場で、岩の割れ目を覗かれながら、活動場所を探る国吉さん
お母さまと兄弟、祖母らを沖縄戦で亡くされた、戦争の犠牲者でありながら、ウチナンチュもヤマトンチュの戦没者にも分け隔てなく接してこられた国吉さん。その偉大な仕事は、他の追随を許さない功績として、今後も語り継がれていくでしょう。

JYMAの学生たちと掘り出した遺骨を鑑定

今年の現場の壕口で、遺骨を探す。後方は筆者の律子
及ばずながら、後継する仕事をさせて頂く私らも、ずっと国吉さんの事を忘れません。でも、また、気が向いたら、いつでも現場に来てください。厳しい場所は、哲二におんぶさせても歩かせます。余生は、自ら築かれた戦争資料館で、これまでのお仕事の内容を語り、聞かせてください。ありがとうございました。でも、ほんとに引退するの?。まだ、信じられないけど‥
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国吉さんの引退を今日伺いました。ショックですがなんと気の遠くなる年月を遺骨収集に捧げられたことかを思えばお体をいたわっていただきたいです。ご一緒させていただいたのはつい一年ほど前のしかもたった一日、短時間ではありましたが、悲願の祖父を探しで国吉さんに出会えた私たち兄妹は幸運でした。また一緒にやりましょうね!と笑顔言ってくださったお姿に習ってつたなくも一歩一歩前進したいと思います。肌身で感じた国吉さんの平和への執念ともいえる悲願を今胸に刻みつけ引き継ぎます。私達が気づくまで頑張っていてくださってありがとうございました。でもまた会いましょうね!そして奥様のご冥福をお祈りいたします。安らかに。