
IVUSAの学生が造った活動の実施要項

リーダーの合原波穂さん(中央)とIVUSAの学生たち
学生たちによる、沖縄県での遺骨収集活動を始める前に、糸満市内に点在する「沖縄戦で家族全員が死亡した家」を訪ねました。
※琉球朝日放送で放映されました。

平良宗潤先生

リーダーに引率され、現場へ赴く学生たち
糸満市史編集委員会委員長の平良宗潤先生から、一家が全滅してしまった当時の状況の説明を受けながら、「ありったけの地獄を集めた」といわれる沖縄戦を学習するのが目的です。

学生にあいさつする遺骨収集家の国吉勇さん

JYMAの学生たち
JYMA(日本青年遺骨収集団)とIVUSA(国際ボランティア学生協会)の大学生ら約200人が、終戦後から、集落内にそのまま残されてある屋敷跡に座り込み、先生の話を聞きます。

「全員死亡の家」の屋敷跡に座り込む学生たち
「4歳の時に沖縄戦で父を亡くし、戦後は過酷な日々だった」「隠れた壕内では、声をあげて泣く赤ちゃんが殺されることも‥」。その臨場感あふれるお話が、我が身に迫ってくるように感じたのか、涙を拭う学生もいます。

先生の話を聞く学生

学生にお話しして下さる平良先生
一家全員が死亡しているのに、手入れが行き届いた屋敷の跡。「いったい誰が管理しているのですか」と学生からの質問に、先生が「死者を悼むため、門中や地域の方々がお世話しているのだよ」と教えてくださいます。

学生が平和学習を受ける横を歩く地区のお年寄り

石垣と拝所だけが残る敷地で
通りかかった地区のお年寄りに、「遺骨収集に来た学生が平和学習をしている」と伝えると、「え?、私たちがやり切れないことを‥。ご苦労さま。うん、うん‥。でも、沖縄の人たちが被った悲しい歴史も忘れないでね」と労いの言葉を掛けていただきました。

収穫が進むサトウキビ畑の横を歩く学生たち

平良先生とサトウキビ畑を貫く道を歩く学生たち
この後、先生の案内で、沖縄戦における米軍最高司令官・バックナー中将が戦死した丘へ向かいました。近くの山の上に設置された「ガメラレーダー(自衛隊の防空用・固定式警戒管制レーダー装置)」を背に、サトウキビ畑を貫く道を歩きます。

丘の上にあるガメラレーダーを背に歩く
日米両軍が激しく戦った地が、今は双方の基地がひしめく、重要な防衛要所となっているのを目の当りにした学生たち。終戦から71年が過ぎても、軍隊や基地の存在から逃れられない沖縄県民に、それぞれの思いを馳せます。

海が見える丘へ登る学生たち

バックナー中将が戦死した丘で
「これ以上、基地を増やしてほしくない、という沖縄の方々の気持ちが理解できた」、「安保法制の施行が基地の集中する沖縄にどんな影響を与えるのか心配‥」などと、日本と沖縄を取り巻く現状を憂う声もあがりました。

先生と一緒にお昼ご飯

JYMAの学生たちも一緒に昼食
「未だ戦禍の傷は癒えず、影を引きずっている。この有り様では、犠牲になった方々が浮かばれないね」と平良先生。高台にあるバックナー中将の慰霊碑前で、「だから、二度と戦争を引き起こしたり、巻き込まれたりしてはいけないよ」と、学生たちを諭します。

バックナー中将の戦没碑の横で講義される平良先生
日米合わせて20万人以上が戦没した沖縄戦。その最激戦地だった南部の丘で、収穫期を迎えたサトウキビ畑を見渡しながら、学生たちは平和への誓いを新たにしていました。

真剣なまなざしで先生の話を聞く学生

バックナー中将の慰霊碑で
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こんにちは。今回の活動では、大変お世話になりました。IVUSAの佐野もも恵と申します。国吉さんの資料館の件でも、大変お世話になりました。哲二さん、国吉さんに連絡してくださって、ありがとうございます。律子さん、曾祖父の話を聞いてくださってありがとうございます。
国吉さんの資料館に行き、多くの遺留品を見て、人を殺める道具がたくさんあったことが、耐えられず、怖かったです。戦争の悲惨さ・悲しさは、知ったようなつもりでいましたが、実物を目前にし、平和とはなにかを問われているように感じました。国吉さんからお話を聞くことができ、遺留品と向き合える貴重な時間でした。ありがとうございます。
交通事故のお怪我がなく、幸いです。直前のご連絡申し訳ありませんでした。