遺骨収集家の国吉勇さんたちが集めた戦没者らの遺留品が、福岡県筑前町にある「大刀洗平和記念館」で展示されています。タイトルは「物言わぬ証言者 遺物が語る沖縄戦」。同館の戦後70年企画展として、6月29日まで開催されています。
沖縄戦で使用された武器や薬品類、生活道具などが150点余り。激しい戦闘で破壊されたり、永年土に埋もれて劣化していたりしていますが、戦争の往時の記憶を呼び起こす品々ばかりです。
今回、紹介されているものは、国吉さんの10万点を超える所蔵品からすれば、ほんの一部です。が、同氏が60年間に亘って集めた遺留品が沖縄を出て、このような本土の資料館で展覧会をして戴くのは、初めてのことです。
展示品で、まず目を引くのが、旧日本軍兵士が持っていた拳銃や小銃などの武器類です。当時、物資が不足し、粗悪な原料で作られたせいか、鉄製品は劣化してボロボロになっています。特に、銃弾で穴が開いた鉄兜の薄さに驚きます。
そして、鉄の代用品として作られた陶器や磁器の地雷や手りゅう弾。武器として、どれだけ役に立ったのかは不明です。が、皮肉なことに、鉄製ならば朽ち果てているところ、ほぼ完全な姿で残っています。
これらは、資源のない日本が巻き込まれた無謀な戦争の貴重な証拠です。有名な窯元も、陶磁器の手りゅう弾や地雷などを焼かされたそうです。
そうした職人たちは、暮らしの道具だけでなく、「人を殺す武器作りのお手伝いをした」として、今も激しく後悔されている、と聞き及んでいます。
戦争の残虐さを感じさせるのが、火炎放射器などで焼かれて変形してしまった注射器や飯盒などです。ガラスやアルミが熱で溶けて、原型を留めていない状態で出土したそうです。
また、壕内に持ち込んだ茶碗に焼かれて付着した遺骨や、野戦病院壕で出土した切り取られた腕の骨など、兵士や民間人が味わった戦場の地獄を垣間見ることができる遺留品も展示されています。
まさに、沖縄を訪れたことがない「ヤマトンチュ」にとって初公開となるものばかり。この企画展の開会と同時に、読売新聞社などの全国紙が紹介してくださいました。夫・哲二が、この15年間、沖縄で撮影してきた遺骨収集作業の写真も、一緒に展示されています。
大刀洗平和記念館は、福岡県筑前町が2009年(平成21年)10月、開館した歴史資料館です。旧日本陸軍の九七式戦闘機や、海軍の零式艦上戦闘機など、第二次世界大戦当時の資料などが約1800点が展示されています。
建物の外観は、飛行機などの格納庫を模した蒲鉾型です。戦時中、この大刀洗飛行場から、特攻隊の中継基地として、多くの隊員を乗せた機体が飛び立っていったそうです。
そうした隊員たちの遺影や遺書、父母や兄弟へ宛てた手紙なども展示されています。勇ましい言葉の行間に、切々とした家族への想いが滲み出ていて、何度も読み返すうちに涙がこぼれてきます。
東洋一の規模を誇った飛行場でしたが、1945年(昭和20年)3月などに、米軍のB29爆撃機による空襲を計7回も受けています。
飛行場やその周囲の軍事施設は壊滅的な被害を受け、兵士だけでなく、幼い児童を含む多くの犠牲者を出しました。その犠牲者の遺影や資料なども展示されているのです。
数多くの犠牲のうえに成り立つ平和を享受できている今。この資料館も、二度と戦争は起こさない、という決意のもとで、「平和への情報発信基地」として、 メッセージを伝え続けています。
可能ならば、家族への想いを胸に、若くして戦没した若者たちの遺言と、悲惨な沖縄戦の「物言わぬ証言者」を見るために、大刀洗を訪ねてやってください。未来ある若者の悲壮な決意と、言葉にできない無念さが胸に迫りました。
今回の展示会を企画して下さった同館長の山本寛さま、学芸員の廣瀬薫さま、梅津繁美さま。そして、コーディネートのために走り回って下さった野田良太さまをはじめ、同館のスタッフの皆さま。心より感謝いたします。ありがとうございました。
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君が代すわろうず活動報告φ( ̄▽ ̄)b
「君が代すわろうず」の活動してきたでぇ∠(・ω・)ピッ
第88回選抜高等学校野球大会
於:阪神甲子園球場
2016年3月20日 開会式 [50段26]の席 v( ̄▽ ̄)v
チェックチェックゥ♪ヽ(´ー`)ノ
君も「君が代すわろうず」に入らへんか?(笑) o(^▽^)○
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おきばんなはれo(^-^)o
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