みらいを紡ぐボランティア

ジャーナリスト・浜田哲二と学生によるボランティア活動

青森県深浦町の小さな集落     
2014年遺骨収集9日目 その目は何を見たのか

2014年遺骨収集9日目 その目は何を見たのか

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サンゴ石灰岩が混じった土に埋もれていた戦没者の頭骨。目の部分から根っ子が出ていた

サンゴ石灰岩が混じった土に埋もれていた戦没者の頭骨。目の部分から根が出ていた

遺骨収集活動も9日間が過ぎました。収集する時間より、その他の用事が目白押しで、まともな活動も、書き込みも、なかなかできません。そんな中、糸満市真栄里集落の裏山で、戦没者の遺骨を発見しました。沖縄戦の末期、このあたりは真栄里高地と呼ばれ、南下してくる米軍を迎え撃つ旧日本軍兵士が、死守していた場所だそうです。

出土した戦没者の頭骨を手にする国吉勇さん

出土した戦没者の頭骨を手にする国吉勇さん

野戦病院壕の出入り口付近にある壊れたトーチカ跡。崩れた岩の間の地面に、半分埋もれるような形で頭蓋骨が露出していました。終戦から69年、これだけ完全に残っている頭骨の出土は珍しいです。一緒に発掘した遺骨収集家・国吉勇さんも、「驚いたねぇ。長い事、誰にも見つからずに、この姿で空を見上げていたんだな‥。でも、良かったよ、出て来れて」と、感無量の声。

周りを掘ってやると、きれいに取りだせた

周りを掘ってやると、きれいに取りだせた

現在も収骨中ですが、骨の部位からすると、ほぼ3人分ぐらいだと推定されます。ただ、この場所は、古い沖縄のお墓だった可能性も有り、埋葬骨と思われる骨もパラパラと出ています。何人分、と私たちは特定できませんが、1体、もしくは2体分の戦没者の遺骨がありそうです。

骨を崩さないように労わりながら掘り進める筆者①の律子

「長い事お待たせしてごめんなさい‥」。骨を崩さないように、いたわりながら掘り進める

この場所は、沖縄戦末期の1945年6月、南下してくる米海兵隊と旧日本軍の歩兵第32連隊が激戦を繰り返した高台で、両軍ともに数多くの戦死傷者が出ています。そこにあった野戦病院を守ろうとした兵士の遺骨かも知れません。ただ、頭骨も鎖骨も、やや小ぶりなことから、もしかすると学徒兵の可能性もありそうです。正式に鑑定して戴かないと、何とも言えませんが、69年ぶりに出会えたその顔は、少し優しげな輪郭に見えました。

戦没者の頭骨があったトーチカ跡。刳れ落ちていた岩を退けると、畳2畳分ぐらいの空間ができた

戦没者の頭骨があったトーチカ跡。刳れ落ちていた岩を退けると、畳2畳分ぐらいの空間ができた

これからは、この戦没者らの遺留品を探す作業です。大岩を退け、堆積した土を掘り起こし、岩の隙間なども隈なくのぞきこみます。身元の分かるものが見つかれば、ご遺族へお返しできるからです。何とか、出て来て欲しい、と祈りながら、作業を続けています。明日もまた、この場所で「Recovery」を続けます。

約2日間で掘り出した戦没者の遺骨。少し未発達な骨も混ざっていた

約2日間で掘り出した戦没者の遺骨。少し未発達な骨も混ざっていた

最近は、体調不良が続き、身辺にも様々なトラブルが湧き起こっています。でも、地獄だった戦場で亡くなった後、69年間も放置されていた方々に比べると、たいした苦労ではありません。全身筋肉痛になった体に鞭打ちながら、「さぁ、明日も頑張ろう」と、夫婦で励まし合っています。こうして、私たちの元に出て来てくれるだけで、嬉しくて、発掘と同時に涙がこぼれそうになります。最後の一人を収骨するまでは諦めない、を目標に、歩んでゆくつもりです。応援してください。

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コメント

  • tomoko より:

    IVUSAのみなさんの活動、素晴らしいですね。
    若さという純粋さ、ひたむきさは大きな力。
    90人の若者が参加することによって他者に伝えることによって尊い活動の輪が広がること、長く続くことを信じています。ありがとうございました。お疲れ様でした。
    Mr.&Mrs.浜田さま、長丁場ですので体調を崩されないようくれぐれもお大事になさってください。

    • hamatetsu より:

      Tomokoさま

      コメントありがとうございます。
      「若さ」とは、素晴らしいものですね。
      私ら夫婦も、若い、と思っていましたが、もう齢は50を越えてしまいました(律子はギリギリ40代)。
      でも、遺骨収集の現場では、まだまだ若手です。
      臥せっている場合ではないので、間もなく復活して、また、戦没者の皆さまと向き合います。
      来年は終戦から70年。
      大きな節目の年となります。
      そのためにも、今年も悔いなく、活動に力を注ぎたいと思っています。
      ありがとうございました。

  • AKI より:

    こんにちは。
    昨日までお世話になった国際ボランティア学生協会IVUSA同志社大学4年の山田明季と申します。

    たった3日間の作業で、素人の私達は90人もいたにも関わらず、むしろ迷惑をかけてしまったかもしれません。
    私達にできたことは、本当に少しかもしれません。
    ですが、私達一人一人、今までにない、環境の中で様々な感情を持ちながら、この事業に関われたことは、本当に大きなものになったと思います。
    私は3年前も、沖縄で浜田さんにお世話になりました。あの時の気持ちは今でも忘れられず、あの後硫黄島に2回行かせて頂き、そして今回再び沖縄に戻ってくることができました。
    戦争を経験した世代の方の高齢化が進むなか、
    今、この一瞬一瞬を大事に、真剣に、戦争に、そして平和にもう一度向き合い、日本という国を担っていきたいとおもっています。

    来年度、IVUSAとして必ず戻ってこれるとは限りません。また私は今年度で引退という形を迎えます。
    ですが必ず個人的に、もしくわOG会員として
    また沖縄に戻ってきます。ずっとずっと向き合い続けます。
    本当にありがとうございました。
    後1ヶ月ほどでしょうか?
    お体には十分気をつけて、活動頑張ってください。
    ありがとうございました。

    • hamatetsu より:

      山田明季さま

      今回の収集活動も、とても頑張ってくれましたね。
      ご苦労さまでした。
      そうですか、3年前にも来て下さったんですね。
      そして、硫黄島にも‥。
      終戦から69年、生き残った方々も少なくなり、戦争の記憶はどんどん風化し続けています。
      が、今も、南太平洋の島々、極東ユーラシアなど、あちこちの山野や海底に戦没者は放置されています。
      彼らの存在を忘れずに向き合うことが、本当の意味での平和を導く鍵のひとつになると思います。
      明季さんは、私たちの活動も理解して下さっているようですね。
      社会人になっても、今の気持ちを忘れずに、前へ進んで行って下さい。
      私らは、来年も活動を続けています。
      そして、国吉さんは、壕の中で倒れるまで、掘り続けていると思います。
      また、お会いできるのが楽しみです。
      来年に向けて、連絡を下さるのならば、facebookで私を探してみてください。
      ジャーナリスト仲間が中心に集っています。
      今後とも、よろしくお願いしますね。

  • tomoko より:

    頭骨に触れる律子さんの眼差しが優しさと哀しみと慈しみに満ち、とても美しいと思いました。亡き人にとっても見つけ出した人にとっても感動的な瞬間ですね。本当にお疲れ様です。

    • hamatetsu より:

      tomokoさま

      コメントありがとうございます。
      本人は掲載を嫌がってますが、モデル不在のため仕方なく、です。
      醜い夫婦の姿を晒し続けて、恥ずかしい限りですが、お付き合いしてやって下さい。
      なかなか更新できませんが、また、のぞいてやって下さいね。

  • つっちー より:

    浜ちゃん、律子さん
    ご苦労様です!
    きっと平和な世界を見続けていたのでしょう。
    これからも守っていかねばなりませんね!
    体に注意して頑張ってください。

    • hamatetsu より:

      つっちーさま

      コメントありがとうございます。
      そう、自らが犠牲になって、築きあげられた後世の平和を見続けて来たんでしょうね。
      それを、「ボケ」と言われてもいいので、守って行きたいです。
      最高の友人の書き込み、最大の励みになっています。
      いつも応援して下さって感謝です。
      また会って、一献傾けましょうね。
      ありがとうございます。

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