みらいを紡ぐボランティア

ジャーナリスト・浜田哲二と学生によるボランティア活動

青森県深浦町の小さな集落     
④深浦町の「マタギ」伊勢勇一親方(第4部)

④深浦町の「マタギ」伊勢勇一親方(第4部)

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新芽③hp

白神の山々に春が訪れ、冬枯れの木々に新芽が吹き出す頃、害獣駆除としてのクマ猟が行われます=写真上、一斉に新芽が吹き出した木々。後方の山々には薄らと雪が被っている、深浦町で。本来、マタギたちがクマを獲る現場は、撮影を目的とした報道関係者はもちろん女性の参加はまず許されません。それを親方が仲間の皆さんを説得してくださり、許可が下りました。特に山の神さまは女神であり、それを敬うマタギたちは猟に女性が同行するのを極度に嫌います。女性の山入りを忌み嫌う風習は各地に存在しますが、マタギたちのその掟はとても厳しいものです。が、親方の尽力による、まさに特別の計らいでした。

狙う④hp

クマ狩りのメンバーは親方を入れて6人。それと、親方の愛犬、アイヌ犬の「ロッキー」です=真上、クマ見台から向かいの斜面にいるクマを狙う親方。全員が隊列を組んで、クマが登りそうな木を求めて、白神山地の奥深くへ入って行きます。カメラ機材を持つ夫と私は、その早いペースに息が上がってついていけません。すると、ロッキーが心配そうな顔で戻ってきて、私が手に持つ杖の先を咥えて、引っ張ってくれます。「ほら、皆に遅れると危ないぞ。早く来い、来い」と導くように=写真下、仕留められたクマの踵にかぶりつくロッキー。唸り声を上げながら何度も、何度も

ロッキー④hp

急峻で、立っているのがようやくの斜面にマタギたちが付けた道が奥深くへ続いています。そこを飛ぶような速さで、メンバーが歩いてゆきます。最後尾の親方が、心配そうに私たちを気遣ってゆっくりと歩いて下さいます。急斜面のマタギ道を1時間ほど歩くと、ほぼ断崖絶壁の開けた場所に出ました。「ここがクマ見台だびょん(だよ)」と親方。双眼鏡を手にしたメンバーたちが、沢を挟んだ向かい側の山の斜面を、食い入るように凝視しています。クマが木に登るのを待っているのです。早朝、登ることもあれば、午後に登り始めることも。その時々の天候や気温によって左右されるそうです=写真下、仕留めたクマの運搬。4人がロープで引きずって下ろす

運搬①hp

観察を初めて10分ほどで見つけました。向かいの斜面のブナの木に登り、太い枝に腹ばいになって身体を干しています。こちらとの距離は直線で200~300㍍。男たちが、トランシーバを手に一斉に動き始めました。クマが逃げる方向に先回りし、待ち伏せて撃つためです。全員が散弾銃ではなく、ライフル銃を手にしています。クマやイノシシなどの大型の獣は、強力なライフルの弾でないと仕留め損ねることがあるからです。手負いで逃げた獣が、何よりも危険な存在になることを皆が身に染みて判っています=写真下、クマを引く旧岩崎猟友会のメンバー。全員が伊勢親方の仲間で屈強な益荒男たちだ

クマ引く①hp

1時間もしないうちに、全員が配置に付いたと連絡がありました。「バーン、バァーン」と鼓膜が破れそうな激しい音。私たちとクマ見台に残った親方が、クマに向けてライフルを1発、2発と発射しました。驚いたクマが木から滑り降り、山の頂上付近に向けて駆け上がるのが見えます。すぐに遠方で、「ターン」と乾いた音が響き、クマが斜面を転がり落ちてゆきました。メンバーが撃った弾が命中し、クマを仕留めたのです。親方に繋がれていたロッキーが放たれ、沢に落ちたクマめがけて弾丸のように走ってゆきます=写真下、解体される前のクマ。マキリが胸元に置かれていた

解体前①hp

間もなく、メンバーたちがクマの手足にロープを縛り付けて、斜面を登ってきました。全員が満面の笑顔。ロッキーが、こと切れたクマの後ろ足に唸り声を上げながら、かぶりついています。親方も笑顔で迎えます。体長約1メートル、80キロぐらいのクマでした。それほど大物ではありませんが、メンバーたちの綻んだ表情を見ると、猟は成功だったようです。ロッキーだけが牙をむきだして険しい顔をしています。クマ犬の本性なのでしょう=写真下、以前お伝えした熊の胆。金と同じ値段で取引されることもあるという

胆のうhp

ここから、麓の村までの運搬がひと苦労です。更なる大物になると、現場で解体して持ち帰ることもありますが、このクラスだと全員がロープで引っ張ります。それでも、屈強な男衆が4人、力一杯引きながら森を駆け下りてゆきます。ロッキーがそれに噛み付きながら追いかけてゆきます。車を止めてある沢筋の林道まで運ぶと軽トラックの荷台に乗せて、集落へ。この後は解体です=写真下、手のひらは中華料理の高級食材。一つひとつ丁寧に取る

熊の手hp

シートを引いた解体場の上に横たえられたクマの胸元には、解体用のマキリ(マタギの山包丁)が置かれました。しゃがみこんだ親方がクマに手を合わせ、小さな声で呟いています。何を唱えているのかは、聞き取れません。そして参加者全員で、手際よく皮を剥いでゆきます。高価な熊の胆は慎重に。手のひらも中華料理の最高の食材にされるといいます。毛皮も内臓もすべて利用します。特に脂肪は、やけどなどの治療に使う脂として重宝するそうです。ロッキーが怪我をした時もクマの油を塗りこまれていました=写真下、全員で行う解体作業。皮を剥ぐと脂肪と赤身が見えてきた

解体①hp

解体が終わると直会(なおらい)です。参加者と希望する家族が呼ばれます。手が空いている地元猟友会のメンバーも駆けつけました。まず、鉄板で肉が焼かれ始めました。皆が焼けた肉に手を付ける前に、細切れにした心臓などを串に刺して、猟に参加したメンバーに配られます。これもクマを獲った時に必ず行う儀式だそうです。私たちも戴きました。コリコリとした歯触りと濃厚な味が口内に広がります。初めて食べたのですが、美味しい。そして、鉄板焼き。油が乗った赤身の肉で、柔らかさに驚きます。男たちは、大声で本日の猟の様子を語りながら、弾けた笑顔で飲んでいます。親方もニコニコ笑って、私たちに焼けたお肉を寄せてくれます。ひとしきり食べたところで、次は味噌味のお鍋。ゴボウをたっぷりと入れたクマ肉の鍋は、とても美味でした。これは、後日にクマ鍋のレシピと一緒に紹介いたします=写真下、仕留めたクマを前に得意満面のロッキー。良い猟犬だったが不慮の事故で急逝してしまった

ロッキー①hp

 白神山地の恵み豊かな森で、有史以来、人々は狩猟と採集をしながら生活をしてきました。今も畑の水路や田の中から、矢じりや石包丁などの石器が出土するそうです。この地で生きてきたマタギたちは、そんな人々からの生活文化を脈々と引き継いで暮らしています。伊勢親方は、この地の出身者ではないのですが、東北地方のマタギの伝統を体現するひとりと思われます。そして、親方と行動を共にする猟友会のメンバーたちも、その多くが地元の出身者であり、白神山地で代々狩猟をしてきた人々の末裔でもあります=写真下、ロッキーの後継犬と紅葉の山を歩く親方

四目沢カミとhp

つい、数十年前まで、山々はこうしたマタギたちが闊歩する場であり、自然と共に生きる人たちの生活の場でもありました。しかし、世界遺産の指定と共に、マタギたちが入れない場所ができ、獲物も自由に獲ることが難しくなりました。今ではマタギを専業とする人は存在しません。かつて活気に満ちていた村は、若者の都会への流出で、過疎と限界集落化が進み、空き家や耕作放棄地は増える一方です。それに輪をかけて、狩猟者が高齢化によって減り続けていることで、サルなどの動物たちが増え、農家の畑を荒らす被害が顕著になってきました。クマも集落の近くで目撃されることが頻繁にあります。動物との境界線が変わり、人間の暮らしが押され始めているのです。野生動物にとってマタギや狩猟者は、恐るべき天敵です。その数が減り、狩猟の文化が終わる時、獣害によって山の辺の零細農家は全滅する可能性もあります=写真下、阿仁マタギの流れを汲む仲間(中央)から、クマの目撃情報を聞く親方。この方も優秀なマタギだったが数年前に他界してしまった

上杉さんと②hp

人々の暮らしが近代化し、今の若い世代は自らが生き物を解体して食べることは、ほとんどありません。野生動物を殺して食べるなど、もっての外だ、との声もあります。でも、野生の生き物を狩り、解体し、その肉を食べてきた文化があったからこそ、今の私たちの食卓に、美味しいお肉が上っているのです。白神山地周辺での人々の暮らしの中に、稲作とは違う、狩猟採集によって生きてきた日本人の原点があるように思えます。その伝統文化が絶えてしまわないことを祈らずにはいられません=写真下、一人で縄張りを歩く親方。雪がチラつく氷点下の渓流を歩いて渡る。最近は一人で山を歩くことが多くなった(5部へ続く)

川渡るhp

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